ぼくは何者だったのか考えてみた⑤

“その後”の人生に大きく影響を与えたであろう1985年86年のバンド活動。
それと並行して時代の流れもあって、非常に個人的ではあるけれど、
音楽に関わる時間が莫大に増えて行った時期。

時代の流れっていうのは、主に(前に挙げた)MTVでした。
洋楽はもちろん、邦楽でもいわゆるMV、
ミュージックビデオが表現方法として台頭してきた。
音楽を、ミュージシャンを、
プロモーションするためのビデオクリップだよね。

それに個人的にはかなり影響を受けたわけです。
特に1985年。

実はその少し前にマイケルジャクソンのスリラーが
大いに話題になっているのは知っていました。
へぇ~すごいじゃん、みたいな印象だったんだけど、
あれはもう映画の領域だと思っちゃっていて…
すごいんだけど別の次元だと。
もうミュージカル映画だったもんね。

でね。ぼくがおそらく最初にびっくりしたのは、
A-HaのTake On Meじゃないかな。
あと、We Are The World。
いわゆるミュージックビデオとしてすごい作品だな、って観てた。
作品から受けた影響はまた別の機会に。

ライオネルリッチーは、この少し前、いくつかの曲は好きでねぇ。
コモドアーズあとのソロ作品、TruelyやYou Areがキッカケで。
アルバムもよく聴いていました。

この時期はいつの間にか、フォークもメタルもあまり聴かなかったのかな。
いわゆるブラックミュージックだったり。時代だよね。
いろいろ視野が広がったんだろうね、きっと。
さっきまで「TM NETWORK」だったのになぁ。

いや、実は
TMもMV的にはめちゃくちゃエポックメイキングな作品が多くて。
これがまたEPICの映像作家イサクさんという方とのご縁に繋がる不思議。
どうやら、この頃にさ、邦楽でもミュージックビデオが流行り出すんだよ。

その後、日本でもミュートマとか
eZとかジャストポップアップなどの音楽番組が話題になってたなぁ。
(日本の音楽番組についても改めて書きたいと思っています。)

そんな流れに乗って、
とにかくライブ通いをしていて年間100本近くのライブに
足を運んでいたぼくは、音楽番組もものすごく観るようになっていた。

そこで、自分の中でどんどん、
必然的に「ライブ」と「映像」、「音楽作品」と「映像表現」が、
近付いてくるんだ。

観に行ったライブを“また”観たい、とか。
観に行けなかったライブはどんなセットリスト、どんな照明だったろう?
音楽世界を疑似体験できるビデオ、かっけーな、とかね。

だけど、
まだまだこの頃は自分が音楽映像に関わるなんて夢にも思わなかった。
だって、
相変わらず“ロックスター”“スーパーギタリスト”に
なれるんじゃないかって勘違いしてたからね。
あぁ、その意味では、ライブやMVでめちゃくちゃ研究してた。
特に好きなギタリストの立ち振る舞いや、メンバー同士の絡み方、
ステージの使い方、カッコよく見える仕草…。真似したもん。
まぁ、自分が思うほどうまくは行かないんだけどね。

でね、それがどうやらこの1985年から7年後、功を奏することになるとは。

そうそう前回書いてた、1987年にFANKS仲間で観に行った、
FENCE OF DEFENSEのデビューライブ。

それがまさに、邦楽ライブでは衝撃的な体験だったことを思い出した。
まず、打ち込みとハードロックの融合とでも言うのか、
それまであまり体験したことの無かった、ダンサブルでハードで、
しかもプレイヤーがみなさんスタジオワークやセッションで
名を馳せた方ばかり。凄腕ミュージシャン。

…なんだろうな。
昔から聴いていたハードロックと、それこそTM的な打ち込みと、
耽美で退廃的な歌詞世界は、曲によってではあるけど、
その観点ではフォークの世界にも似た印象があったりして。
それらが融合して、かつ打ち込みに取り込んでいた、
80年代後半を彩る流行りの洋楽サウンド(サンプリング)もセンス良くて。

しかも演出的にはシアトリカル(芝居がかったという意味ではなく)、
というか、
SEや照明で繋ぐ進行上の観せ方、だよね。
聴いてる側は、曲順から歌詞の意味合いを探ったりね。
MCは無い。カッコ良かったな。

その日は終演後、
「SMILE COMPANY」のメンバーと興奮して
おしゃべりが止まらなかったと記憶している。

その日以来、FODに関してはアルバムはすべて買って聴き込んで、
ほぼすべてのライブを観に行った。
このバンドのエピソードは、
またタイミングと御縁が巡り巡って不思議なことが起きるので、
これもまた別の機会に。

そうこうしている内に、ぼくは居心地の悪い高校を卒業し、
柄にもなく大学受験を迎えることになる。

はじめに言っておくと、ぼくは結果、1年浪人することになっていくんだ。
最初の年は、大学に進学する意味もわからないままに、
いろんな体裁を含めた家庭の事情や、
一応将来を考えて、みたいなこともあったのか?
“経済学部” を中心に受験してたんだよ。
それで1校受かったか全滅したかな感じで、
要は決まった行先に意味を見出すことが出来なくて。
時間稼ぎの予備校時代に突入していく。

音楽の専門学校、みたいな、
いまでは当たり前にありそうな選択肢が無かったことも奇跡的だったかも。

そしてこの予備校に通っている時期に、
またとんでもナイ友人たちと出会うことになっていくわけ。

人生の巡り合わせって、
本当に何がキッカケで転がっていくんだろうね。

断片だけ見るとよくわからないかもしれないんだけど、
この「SMILE COMPANY」から始まった、
少し年上のメンバーさんたちのおかげで、
ぼくの音楽的興味や真っ黒な高校時代が、
学校生活ではなく音楽生活として彩られていったのは本当に幸運だった。

とは言え、
キッカケのひとつにサイトウくんがくれたカセットテープがあって。
高校時代はもうそれを手に入れただけで十分な価値があったんだろう。
たった1本のカセットテープでね。
ありがとう、サイトウくん。元気でいるかな。

このカセットの中の曲たちがキッカケになって、
ぼくの音楽的な嗜好、志向、思考を形作ることになるとは、ね。
だってこの中の曲のルーツを辿ることが、
このあとの予備校時代、いや、さらにそのあとに、訪れることになるし。

問題の新たな予備校時代は、また波乱の幕開けになるんだけど、
「SMILE COMPANY」からの御縁は、
実は予備校でも炸裂することになります。


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