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「なんか」やってない話

スズキってなんかやってるの?と訊かれることが多々ある。「なんか」とは制作活動のことで、訊くのはいつも「なんか」をやっている人だ。

このnoteでは「なんか」をやってない僕が「なんか」に携わるキッカケをまとめてみた。

◆◆◆

過去の記憶をたどると、小学生の頃からアートとは無縁ではなかったように感じる。いや、実際にはそれより前かもしれないが、幼稚園では女の子のスカートをめくっていた記憶しかない。

小学一年生の頃、絵画教室に通いたいと言ったことがあり、そこで数か月絵を描いていた。あやふやな中、富士山を描いた記憶だけがかすかに残っている。そのおかげなのか、毎年絵のコンクールでなんらかの賞(ほとんど入選だが)を取っていた。

絵画教室を辞めたあと、アートとはほとんど無縁の生活を送っていた。夏休みの宿題を期限後に出していたような、出来の悪い子どもだった。

中学まで続けたバスケも「疲れるから」という理由でさぼりがちになり、友達の家に入り浸っていた。
高校で始めたバンド活動も熱が入らず、斜に構えていたところも相まって宙ぶらりんになっていた。

当時通っていた高校はバイトが原則禁止だったのだが、夏の期間だけ特別に親からの許可を得て、アートイベントのバイトをした。今考えるとこれが転機になったのかもしれない。

「社長になりたいから」という漠然とした甘い考えで経営学部のある大学に入った。4月にまだ少しだけ続けていたバンドの伝手で、バンドのCDジャケットやフライヤーデザインと若手アーティストのマッチング事業を立ち上げ、なんとなく運営していた。

ただ、もうちょい収入が欲しいと思い、高校のときと同じ、アートイベントのバイトに申し込んだ。イベントは、汐留の駅中の柱に美大生が2週間かけてペインティングを施すというものだった。4月から始めた事業で若手アーティストさんと一緒に仕事をしていたが、実際に作品が出来上がる様子は圧巻だった。

そこで美大生のKと仲良くなり、地元・福生の祭りに呼んでもらった。この祭り自体かなり刺激的だったのだが、長々と書いてしまいそうなので筆を執るのはまたの機会にしようと思う。

祭りの後、Kと二人で酔っぱらって帰れなくなってしまった。どこかで寝ようと草の中に体を預けたのだが、ジメジメしていてなんとなく眠れない。ひとまずカラオケで寝ることにした。

カラオケに着いたのが3時頃、そこから5時くらいまで眠ったが、やはり慣れない環境で起きてしまった。Kはずっと起きていたらしく、かなり眠そうだった。
起きて始発で帰ろうと思っていたが、なんとなくそれを言い出せずにダラダラ話してしまった。

そこで聴いたKの作品の話や将来の話、大学の話が、僕が「なんか」に携わるキッカケになった原体験である。
展示の回数の少なさ、美大にマネジメントに関する授業がないこと、そしてなによりもアート業界の閉鎖的な姿勢に驚かされた。

そこで自分がなにかしなくてはいけないという、謎の感覚を得た。のちの結婚相手と出会ってしまったような、そんな感覚だった。

そこからはアート事業をより一層拡大すべく、多くの若手アーティスト(美大生も)の話を聴かせてもらった。当時はイベント会社の方から直接仕事を頂けるようになっていたため、イベントの現場に人を派遣する事業を始めたところだった。その資金を使って展示を開催したり、ギャラリーカフェのような場所を増やす事業の企画を始めた。

ぽつぽつと企画が形になり始めた頃、大きな問題が起きた。

当時のビジネスパートナーの1人と作家との間で個人的な問題が起きたため、それを知った作家が一斉にやめたのだ。1人1人に謝罪し、今後も続けていけるかどうかという話し合いをした。その問題自体は責任の所在がはっきりしないものだったが、とにかく信頼が失墜したのだ。

そこからは双方のコミュニケーションが上手く取れなくなり、空中分解してしまった。同時にそのビジネスパートナーも地元に帰り、人材派遣事業もやる気がなくなって他社に譲渡した。

そしてそこから1年ほどは東中野で暮らしながら、新宿のゴールデン街で働いていた。腐臭のするような時間だったが、そこで出会えた友達や尊敬する方々からはとてもいい影響を受けた。

2020年1月頃からコロナが騒がれ始めた。なんとでもなるだろうと高をくくっていたが、貯金も底をつき、仕方なく実家に帰ることにした。1人の時間は、考える時間になった。人と関わっていたとき欠かせなかったタバコは、今では3か月も吸っていない。それだけ楽な状態になり、人とあまり連絡も取らず、経済・株式・FX・仏教・民族史・アートなどを興味の赴くままに勉強していた。

当noteで続けている企画は、4月下旬、風呂に入っているときに思いついた。なにもできなかった自分にけじめをつけるという意味で始めたものだった。

だが、始めてみると1年前の感覚が戻ってきた。「もっとできることがあるのでは…?」というポジティブな気持ちが再び芽生えてきたのだ。いずれにせよ今年は、大学を卒業しなければならない。また「なんか」やってる人たちの力になりたいと強く思っている。今はインターンを募集していたギャラリーに応募し、盗めるものをすべて盗んでいる。

そしてそれを元に、「第三のギャラリー」というコンセプトでレンタルギャラリーのアクをすくい取ったサービスを温めている。来年一月を目途にサービス化し、作家の皆さまに認めてもらえるような質のものにすべく、今年いっぱいは仮サービスの提供を行って改善に努めている。

少々長くなってしまったが、これが「なんか」に携わるようになったキッカケだ。

また機会があれば、福生の祭りについてもnoteを書こうと思う。

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現在温めているサービスは、始めるタイミングで再度アナウンスします。ご興味のある方はプロフィールからツイッターに飛んでいただき、その旨のDMを送っていただければ対応致します。最後まで読んでいただきありがとうございました。

他のnoteも是非ご一読ください。

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