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SEALDsに関するどうでも良い話

 安保法案が可決された。
 ぼくは安保法案については全く何の立場もとっていなかったが、SEALDsの話題にはとても敏感に反応する人間だった。色々な意味で、とても面白い学生たちだな、と思っていた。そんな中、ぼくがSEALDsを語ることについて、いささか否定的なコメントが、少なからず見受けられるようになった。曰く、「ぼく(鈴木ザ煉獄丸)という人間は社会や企業に虐げられている被害者なのに、その彼がSEALDsを冷笑するのが理解できない」とこう考えられているのだった。

 上記について、まずはSEALDsについて少し話をすると、ぼく自身SEALDsの行動自体は、褒められたものではないものも含めて、とても良い流れだと思っている。いずれ何かを変えることになる大きなうねりが、これと同じような形で起きれば良いと考えている。だが、ことSEALDsという団体については、構成員が愚かであったり、圧倒的に無知であったりといった粗が多く見られたため、結果「何だこいつら」と一笑に付すに至ったのだ。彼らの行動力やエネルギーは大変素晴らしい。しかしそれだけでは、世の中の理性でもって行動する人間を説得できないのだ。暴力でなく、ファッションでなく、もっと強くて格好良くなったときには、ぼくはSEALDsについてあらためて見直すと思う。

 さて、「何で弱者のお前がSEALDsに賛同しねーんだよ」という話に戻すが、そもそも「企業に搾取されている」ということが、「安保反対を掲げるSEALDsに賛同する」という事柄と、どうして結びつくのだろうか。SEALDsが労働基準法の改善・是正のために声を張り上げ拳を突き上げようものなら、ぼくは一も二もなく賛同するが、彼らの主張は一貫して安保反対だ。ぼくは労働基準法についてとても関心がある。SEALDsは安保反対の立場だ。どうしてSEALDsに賛同する理由がある?ない。全くない。むしろ個人レベルの話をするなら、ぼく自身は徴兵を受けたほうが間違いなく待遇は良くなる。忘れかけていた人間としての生活を、取り戻せるのだ。(だからといって安保によって徴兵がおこるとか、徴兵制度に賛成だとか、そういうことを言っているのではないよ。)そもそも論として、SEALDsの主張とぼくの考えは交わらないので、賛同するに至らないのだ。

 しかしここで終わらず、「安保反対=安倍政権反対」という少し暴力的なロジックを以てして、「社会や企業に虐げられている被害者のオマエが、大企業優遇政策を徹底し一般労働者への冷遇を続ける安倍政権に反対しないのはオカシイ!」と考える人もいたりする。
 たしかにぼくは搾取される側の人間で、やはりというか全く良い暮らしも送っていないので、経団連のヤロー共は来世で中国製のすぐに爆発するプラスチックとかに生まれ変わればいいのにと当然のように思っている。憎しみで人が殺せたら、山手線の内側に住む人間は次々と謎の死を遂げ、東京では純度100%のドーナツ化現象が巻き起こる。それは確かなことだ。
 しかし残念なことに、安倍政権に反対することとSEALDsに賛同することとはイコールではないのだ。SEALDsという団体を介さずとも、安倍政権を否定したくなったら、ぼくは一個人として、否定する。選挙に行く。そしてウンウン唸った末に、ぼくを抱え込む足立区の候補者名簿の中から一番ましなものを選ぶ。ぼくはカレーが食べたいのに、大量のうんこの中から辛うじてカレー味のうんこを選ばねばならない状況だったとしても、ぼくはそういった方法でしか意志を伝えることができないのだ。汚い話だが、現実はこれ以上に後味が悪い。

 どうでも良い話ばかりが長くなってしまったが、SEALDsの皆さんについては、自分のやりたいことをすれば良いし、言われなくてもそうするだろうと思う。そして社会にマウントを取られてボコボコにされているぼくは無条件にSEALDsに賛同するわけではなく、主張が合致した時は賛同するし、交わらないうちは交わらない、というスタンスでささやかな暮らしを維持していくだけである。

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