見出し画像

鈴木ザ転職戦記はじまりのプロローグepisode1前編約束の大地


 四月一日の入社式から、半年も経ってしまっていた。四年生大学に入学し、六年間の高等学部教育を修了した二十四歳。遅れてきた新卒ルーキーのぼくは、これまでの調子が嘘のように、驚くほど時間を守り、物をなくさず、また発作的な失踪をすることもなく、日々とめどなく、よどみなく、働いていた。社会との適合に強烈なアレルギーを持つぼくにとって、これは奇跡の半年だった。

 半年のあいだに奇跡を起こしたのは、何もぼくに限った話ではなかった。かつてのアルバイト先の友人は、料理が美味しいと評判の、彼の人柄のように親しみやすい居酒屋を開業していたし、別の友人は、音楽で東名阪のツアーを成功させていた。大小さまざま、奇跡的な報告がいくつも届いていた。それらは降って湧いたようなものでは決してなく、彼ら彼女らの積み重なる日々の果てに生まれたものであることは重々理解していた。ただそれが、ぼく自身とあまりに遠いものであったために、奇跡のように見えてしまったのだ。奇跡に過程は存在しない。彼らの奇跡には過程があった。

 ぼくが「半年間の労働に従事する」という奇跡を起こすにあたって積み重ねたものは、血便を出し点滴を打つに至るほどの多大な疲労と猛烈なストレスだった。毎日朝から日付が変わるまで働き、休みが月に二〜三日という環境だったため、疲労に関しては合点がいった。しかし、自身に積み重なったストレスというものに関しては、にわかに想像がつかなかった。

 なぜならぼくは驚くべきバカだからだ。

 物心のついたその時から、ぼくの頭のつくりは、喉元を過ぎたすべての熱さを完全に忘れ去るようにできていた。死ぬ寸前まで追い込まれても、小一時間の睡眠をとればすべての負の感情が消える、という驚くべき体質だった。三時間も寝ようものなら、苛立ちや絶望はみな砂になって消えた。鶏は三歩歩けば全てを忘れるというが、ぼくの持つこの性質は、人間が鳥類に進化する過程で発生したものであると考えるのが自然かもしれない。ぼくは鳥人間だったのか。ぼくが人間社会に適合できないのも、鳥人間であるから仕方ないのだ。そういえば、友人が開業した居酒屋は炭火焼鳥の店であった。

 愚かしく猛烈な鳥頭がなんでもかんでも一日でサッパリ忘れてしまうために、ぼくは今日まで全く反省のない人生を送ってきていた。だが、それでもここ数ヶ月を振り返ってみて、直近三ヶ月の休日数の合計がぴったり七日しかないのはどう考えても異常であった。月の労働時間も当然三〇〇時間を超えている。たとえ鳥であっても、流した血便や点滴のことは忘れてはいけないように思えた。転職だ。もうそれ以外にありえないのだ。

 控えめに言ってもドカタとSEを合わせたような驚異的な底辺のぼくが転職を成功させるのは、奇跡の後押しなくしてはありえないことは既にいやというほど理解していた。そして、奇跡にはそれ相応の積み重ねが必要なこともまた、理解していた。本日から転職活動をはじめようと思う。Twitterのバード・ウォッチャー達に助言を乞いながら、人間的な働き方ができる職場を探すのだ。これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?