夕食日記 Day1『餃子丼』

 広島県福山市は、広島県の東端、岡山県との県境に位置する地方中堅都市であり、ぼくの生まれ故郷でもある。北部を山々に囲まれ、また南部を瀬戸内海に面した福山市のずばり南部に位置する「鞆の浦」は、国の文化遺産にも指定される隠れた名所であり、あの『崖の上のポニョ』の舞台にもなった穏やかで豊かな場所である。その鞆の浦から連絡船に乗り半刻ほどの地点に、母の実家はある。

 その母から先日、手製の冷凍食品が大量に届いた。祖父の栽培した野菜を送るにしてはやけに在宅時間を気にしているなと思ってはいたが、ずっしりとしたクール便の、ぎゅうぎゅうに敷き詰められた手料理を見ればそれにも合点がいった。図らずも、昨今のあらゆる技術の進歩と逆行するような極めてアナログな形で、ぼくは東京に居ながら母の手料理を食べることができるようになった。

 本日は、その食卓の1日目となる。冷凍庫じゅうを埋め尽くす料理の山々を眺めていると、6個×2人前の、こんがり焼き色のついた餃子が、ジップロックにころころと詰められているのが目に留まった。ご丁寧に1食分の小分けのタレも付属している。悩み抜いた末に、ぼくは初日のメニューを『餃子丼』と定めた。



 白米の上に餃子を載せてそのまま上からタレをかけるという発想は、我が故郷広島に代々伝わる土人文化というわけでは決してなく、東京は池袋の餃子楼という古びた中華料理屋の裏メニュー『餃子丼』の発想をそのまま受け継いだものだ。炊きたてでもないのに妙に熱々のご飯のうえに、バリバリに堅焼きされた油まみれの餃子を載せて、驚くほどしょっぱいタレをぶちまけた本家のそれには、何やら暴力に似た中毒性があったのだが、母の作る餃子にはそういった化学的なパンチはなく、驚くほど主張のない、どことなく優しい後味がかえって新鮮だった。洗い物の効率だけを考えて丼ぶり飯を選択したのだが、都会に暮らす人々に合わせた味の濃い餃子だからこそ『餃子丼』が成り立つのだろうな、と気づいたぼくは、この味付けは東京では流行らないだろうな等と考えながら、あっという間に丼を平らげてしまったのだった。


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