かち:勝ちと価値の違い

外国に行くと、西洋人は「人に親切」と思うことがある。荷物を運ぶのを手伝ってくれたり、通るときに開けたドアを保持しておいてくれるのは当然だし。それはなぜか。

ひとつの考察は、「日本人は自分のポジションを高めたいときには周囲の人を落とそうとする。西洋人は自分のポジションを高めたいときには自らが善い行いをしようとする。」つまり「自分の価値を上げる」。

外国と比べて「日本が勝ち!」という思想を持つ人がよくいる。日本人の多くは「勝ちか負けか」を重要視して「自分の絶対的な価値」を見ないように思う。「勝ち組」「負け組」などと分類するのもその例。

電車で席を争って取るときとか、特売のものを争って買うのも、「ひとより得した」「勝った」という気分を味わいたいからなのではないか。それよりも、席を必要とする人に席を譲ったときの気分を味わった方が気持ちがいいのに。それこそ自分の「価値」が上がった感覚を味わえる。

私も、ドアをあけておく習慣は身についていて、コンビニでよくやる。そうすると20%くらいの人は無視していくけど80%くらいの人はお礼を言ってくれる。日本にいて、知らない人にお礼を言われるのはそんなケースくらいしかない。で、その人たちは「勝った」「楽した」「得した」と思うからお礼を言うのかな。違うと思う。

ところで先日、歯科医に行ったとき、衛生士さんが赤ちゃんを背負って仕事をしてた。ほほえましい姿だし、赤ちゃんもおとなしくしていて感心したのでその子を見てたら、帰るときにその衛生士さんが赤ちゃんを私に見せてくれながら、その子に「バイバイ」と促すと、赤ちゃんはじょうずにちいさな手を挙げてくれた。人間というのは、社会というのは、そういう行動で成り立っていると思う。「勝った」とか「得した」とか、そういうことじゃなくて。「価値」に対しては「負け」はいない。

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