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鈴江は書いた。戯曲にした。「明日のハナコ」事件について、なにを感じて、なにを考えたか。それを世に問う。

告知です。
鈴江俊郎は、戯曲を書きました。それは、上演されます。
 
◆2025年1月24日(金)~26日(日)うずめ劇場第41回公演にて
「ニッポン人は亡命する。
ーーけっして福井県高校演劇祭での「明日のハナコ」事件に取材しているわけではない喜劇――」
(作 鈴江俊郎 演出 ペーター・ゲスナー)
シアターΧ(東京都墨田区両国)提携公演 5ステージ
上演予定です。どうぞお楽しみに!
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「けっして事件に取材しているわけではない喜劇」と副題にしていますが、ほんとに果たして取材している劇ではないのか?した劇なのか?……そこは上演を見てのお楽しみ。どうしてこういう副題をつけたのか、そこになんの含みがあるのか、なんの訴えがあってこのタイトルなのか、……それもすべて上演までは謎にしておきましょう。

私は、書きました。それだけは確かです。この事件をどう感じたか、どう考えたか、どうすべきだと思っているか、私が、世界が。当事者が。取り巻く関係者が。そして風化させないぞ、という意地を手放すことができません。ひとりの人権を持つ市民として考えてきました。ひとりの人権をなまみのことがらとしてうけとるおっさんとして感じてきました。しかし、やはり、劇を書いてきた人間です。劇を作ってきた人間です。であるなら、劇を書くことを通して、この事件を、問題を考えないわけにはいかない。
真正面から、そのことをつきつけてきたのが、ペーター・ゲスナーさんでした。

このペーター・ゲスナーさんは、私の桐朋短大での同僚でした。いまもそこで教えてる人です。長らく日本に住んで日本の俳優さんたちと劇をつくっているドイツから来た人です。
私が体験したこの事件の話をファミレスで彼にしていたら、「その話をぜひ台本に書いてくれ」ということになったのです。
私は、虚をつかれたような気持になりました。意外と、そんな真正面からの提案、考えていなかったのですね。運動を現場のやりとりを通して実行することで頭がいっぱいでした。そして、素直に、ゲスナー先生の提案をありがたくうけとったのです。

東京だけの公演が今のところ組まれてますが、ほかの大都市でも上演はされるかも、されないかも。今もまだ予定はもしかしたらひろがっていくのかもしれません。
すると、演劇の世界に、またしてもこの問題は一石を投じることになるのに違いありません。演劇の世界を通して、この問題が世界に一石を投じることになることは間違いありません。また詳しい新たな情報がありましたら、告知しますね。
事件は、福井のことにとどまらないのです。日本全体のことです。高校演劇のことにとどまらないのです。演劇のことです。表現のことです。自由のことです。小さく、狭くこの事件のことだけにこだわる思考ではもうとどまらない、事件がひろがる領域と闇の深さを、私はのぞきこんでいます。そのこと自体が、この作品に現れつくされているというわけです。

劇をする、ということは、実際のことを言えば、大変な労力です。そして、多くの場合、というかごく少数の例外を除けば、お金にはなりません。なんのためにやってるのか、現代の資本主義の社会の中に行き、市場主義経済の原理に巻き込まれながら生きている社会人としては、まったく疑問です。疑問、というのを通り越して、意味を考え直さざるを得ない時間がたくさんあります。
なにか、内面にない限り、こんなこと、だれもしない。
それは明らかです。それは美しい哲学的な志だけではないでしょう。めだちたい浅はかな心、舞台に立つときの快楽を忘れられない身体的な記憶、誰かとの関係をゲットするためにやる打算的な下心、みたいなのもあるかもしれない。だけどだけど。相当ななにか、見返りもこないのにやっている、だけどやっている、と言わざるを得ないどこかの心の領域の謎が残ります。

上演をする人に共通する誇り、みたいなものはあると思っています。多くの場合、初めて舞台に立つ人は、その誇りのようなものが必要ではないか、と袖の中で怯えるのです。誇りを持たなきゃ、人前に立ってなにか演じる、なんてできない。自主的に、誰かに迫られてではなく自ら選んで舞台に立つという形式を踏むのだから、それに見合うなにかが自分に備わっているのか、技術でなく、見栄えでもなく、心の中に持っているのかおまえは、と誰かに迫られる感じがして、それに耐えられるのか自信がなくて、袖で怯えるのです。稽古が始まる前に躊躇するのです。

上演を消される、というのは、上演をしたことのある誰かなら、きっと共通に感じることのできる、特別な屈辱の感じをもたらすのだろうと思います。私は幸いにしてそういう体験はありません。それはまことに幸いなことだったと思います。そして、そんなことをされたら、どんな感覚が身に起こってくるのだろうか……想像して、それだけでなにか、ふるえます。
とてもプライベートな、とても他の人には見られたくない、教えたくない、恥部に近いなにかの情熱のようなもの抜きに、芝居の稽古はあり得ないと私は感じているからです。恥部ではないと思います。だけど、恥部に近いような切迫したなにかの感覚を、日々の稽古場に通うみちみちの空気に、風に、感じるからこそ、きっと季節を忘れて上演までの日数を過ごすのだと思います。

大学生の頃、自分の学園祭が上演の機会でした。11月末の学園祭に向けて、9月の初めころから仲間を集めるようなことが始まります。暑さがまだ残る日々です。上演が終わったら、京都の真冬が来ていた、ということになります。その間、記憶が抜けているような時間の感覚だったとあとから気づくのが何年か続きました。いつも秋がない、私の学生生活。そんな印象です。
冬になって、みあげると大文字山の色がちがう。明日から稽古はもうない。あれ。大の字、こんなのだっけ。
そうやって見上げる山と私の間に満ちている空気の、さみしいような、うれしいような、特別な感じ。

そんなのは、私だけの特別な19歳、20歳の時間だったとは思えません。演劇をやってしまう若者には、場所、風景、季節、それは違っていても、そこさえ入れ替えればほとんど同じようなあの興奮のあとのさみしさ、達成感のあとのむなしさ、仲間を得たのに失ったような悲しさ、……そういうことすべてが入り混じった自分のありさまに戸惑う自分のありさま。そういうものがやってきているはずだと思えます。
お芝居の出来自体には賛同も共鳴もできない人でも、取り組もうとしたその感覚には、なんだか逆らえない共感を持ってしまいます。恥ずかしいけれど、そういうのあったよね。とつぶやいて後ろから突っついて逃げたいような気持です。恥ずかしいからやめて、と叱られてもいいからピンポンダッシュのように突っつきたい。

上演を消された17歳、16歳、15歳の彼らがどんなことを感じたか、想像することから私は始まっています。それは、私の原点を見つめることに近い、と私は感じています。そんなところを痛くいたく刺激された事件でした。書くのは、とても特別な感覚でした。

どうか上演を見てください。見てほしいと思います。
上演が終わったら、戯曲は読めるような形に提供できると思います。ぜひ、読んでほしいのです。あなたに。

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