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ツール・ド・ロマンディ2021 第1ステージ

スイスのフランス語地域圏(=ロマンディ地方)で1947年から開催されているステージレース、ツール・ド・ロマンディ。

今年もジロ・デ・イタリア開幕直前の4月末から5月頭にかけて、初日のプロローグも含め6日間の日程で開催された。

なかにはジロ・デ・イタリアに出場する選手もいれば、このあと高地トレーニングなどを経てツール・ド・フランスに備える選手など、様々な思惑をもった選手たちが集まる山岳ステージレースを振り返っていく。


初日プロローグを経て迎えた第1ステージは、UCI(国際自転車競技連合)本部が置かれたスイス・ヴォー州のエーグルを出発し、お隣ヴァレー州のマルティニーまでの168.1㎞丘陵ステージ。

2つの短い登りを含んだ約35㎞の周回コースを4周するレイアウト。最後の登りの頂上からフィニッシュまでは20㎞以上の平坦が待ち受けているために集団スプリントが期待されたが、総獲得標高2,600mと冷たい雨に見舞われたこの日は、蓋を開けてみればピュアスプリンターの多くが足を失うそれなりに厳しいステージとなったようだ。


逃げは6名。

アレクシー・グジャール(AG2Rシトロエン・チーム)
マヌエーレ・ボアーロ(アスタナ・プレミアテック)
フィリッポ・コンカ(ロット・スーダル)
ロバート・パワー(キュベカ・アソス)
テイメン・アレンスマン(チームDSM)
ジョエル・ズーター(スイスナショナルチーム)

最大で6分のタイム差を築いた6名だったが、総合リーダージャージを着用するローハン・デニス率いるイネオス・グレナディアーズが集団を牽引。周回コースの2周目の途中には3分半近くにまでタイム差が縮まっていった。

逃げ6名の中で山岳賞ジャージに最も興味を示したのは、普段はビンゴール・パウェルスソーセスWBのジャージを着て走っているズーター。この日だけで38ポイントの山岳ポイントを収集した彼は、2位のボアーロに対して2倍のポイント差をつけて文句なしの山岳賞ランキング首位に立った。


だが3周目も終わりに近づいてきたころには、いよいよ集団のペースアップが本格的となり、最後の2連続登坂(ラスト30㎞弱)に入る頃にはすでにタイム差は20秒程度にまで縮まっていた。

これは逃げを捕まえるため――というには、あまりにも早すぎる攻撃だった。明確に、ピュアスプリンターたちを振るい落とそうとする一部のチーム——ボーラ・ハンスグローエやチーム・バイクエクスチェンジなど――の思惑によるものであった。

結果、エリア・ヴィヴィアーニやマッテオ・モスケッティなど、有望なピュアスプリンターたちは早々に脱落し、これを残り20㎞で復帰させないためのペースアップが継続された。

そのさなか、残り21㎞で最後まで粘り続けたアレンスマンが捕まえられ、先頭に立ったメイン集団からはカウンターでレミ・カヴァニャがアタックするも、うまくいかず。

残り11.5㎞で再びカヴァニャはアタックし、今度はチームメートのマッティア・カッタネオも一緒だったが、ここにバイクエクスチェンジのダミアン・ホーゾンとグルパマFDJのセバスティアン・ライヒェンバッハも食らいついたことでペースダウン。残り8㎞で集団は再び1つとなった。

このあとは絞り込まれた集団の中でのスプリント争いへと突入。

すでにアシストはほとんど残っておらず、ラスト1㎞で先頭はソンニ・コルブレッリのための最終発射台ヤン・トラトニクが牽引する形となったが、この距離を一人で牽き続けるのはあまりにも無謀だった。

ラスト200m以上離れた距離からスプリントを開始せざるを得なかったコルブレッリは、それでもかなり粘った方ではあったものの、その後ろから飛び出した元世界王者ペテル・サガンがしっかりと勝利を掴み取った。

第1ステージ


同じスイスのステージレース、ツール・ド・スイスでは17回も勝利しているサガンにとって、このツール・ド・ロマンディでの勝利は11年ぶり・・・というか、これまでずっと、パリ~ルーベ(あるいはアルデンヌ・クラシック)のあとにツアー・オブ・カリフォルニアへと向かうルートを選び取り続けてきた彼にとって、そもそもロマンディへの出場自体が11年ぶり2回目であった。

サガン以外のメンバーもピュアスプリンターというよりは起伏に強いパンチャーや登れるスプリンターばかりで、この日がレイアウト以上に厳しいステージで会ったことが窺えた。


第2ステージは5つの2級山岳とラスト17㎞地点で頂上に達する1級山岳(登坂距離7.8km・平均勾配6.7%)擁する今日よりもさらにずっと厳しい丘陵ステージ。

総合勢による争いが繰り広げられる可能性もあるかも?

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