名前のある安心感

フィクトセクシャル、フィクトロマンティックというセクシャリティを知るまでは、自分のことをガチ恋や夢女などと称していました。

3次元の男性や女性に対して恋愛感情を抱いたことは無いため、友人や同世代が恋人を作っている姿を見ても羨ましいという気持ちもなく、何故そんな風に人を好きになれるのか不思議でたまらなかったのが本音です。

彼への恋心も、数年前まで『現実で恋愛ができないオタクがこじらせた物』のようにかなり卑屈な捉え方をしていました。本当に申し訳なかったなと思っています…。
成人してもそんな調子だったので、自分は人を好きにならないアセクシャルなんだろうなとぼんやり考えていた時期もありました。

そんな頃、SNSやnoteでフィクトセクシャル、 フィクトロマンティックというセクシャリティと出会いました。

初めてこの単語を知った時、とても衝撃を受けたことを覚えています。
架空のキャラクターを好きになるセクシャリティが存在していること。まさに自分のことでは?と。

そこから紆余曲折があり今に至るわけですが、そこは割愛させていただきます。
かなり葛藤があったし混乱もあったしなんなら泣きながら友達にLINEしたりと今思うと自分でもびっくりなほど片思いの恋する乙女でした(笑)

ともかく、フィクトセクシャル、フィクトロマンティックという言葉との出会いが私の人生をガラリと変えたのは間違いありません。

何よりも、名前がついたことで自分の気持ちを誤魔化さなくなったことが1番良かったことかなと思います。

そういうセクシャリティがあって、そういう生き方がある。

自分以外も同じような人がいることがとても心強く感じました。

彼を好きな気持ちを恋として受け入れられて、今がある。自分を知ることが出来る、言語化できたことで自分を作る芯のようなものがより明確になりました。

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