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わたしの見た、大山




何かが始まる場所。大山。


「面白い場所で、面白い人が集まる」

という言葉だけに魅かれ、場所すらも詳しく知らないまま、事前情報ゼロで飛び込んだ、大山。

既に大山の関係人口になっている人は、

「記憶を消してもう一度行きたい。あの初めて知った時の感動を味わいたい」

と口をそろえて言うほどの場所。

海も山もどちらもあって、
ご飯は美味しいし、
時間がゆったり流れているような、
あたたかい人たちがたくさんいて
…そんな素敵な場所でした。

でもそんな特長を持っている場所は、日本を探せばまだ沢山あります。

私が感じたのは、大山は「いろんなことが生み出される場所」であるということ。

今まで何か所もいわゆる"地方"に行ってきたけれど、ここほどいろんなことが生み出される、生み出そうとしている場所はなかった。

「やってみる」というハードルがとても低い気がする。

なんでこんなにハードルが低いのか、私なりに思ったことが二つ。

1つ目に、自分の範囲で終わらせない こと。

自分が好き、みんなでやると楽しい、自分はこれが得意、ということを仲間内や自分の中だけで止めない人が多い気がした。

自分だけで、仲間のなかだけで、趣味や娯楽として楽しんでいればいいことも、「どうやったら周りを巻き込めるか」「どうやったらさらに面白くできるか」をいつも考えている気がする。

日常会話や雑談にも「これやったら面白そうなんだけどー」とかいう類の話が登場する機会が異常に多かった気がする!



2つ目に、資源が多い こと。

まーしーに、「なんで日常会話にこんなにやってみようの話が多いのか?」を聞いた時に言われたこと。

地方は場所という資源がたくさんあって、大きなお金をかけずにスタートできるから。
大山はもともと新しいことに寛容な雰囲気がある。

地方が都市に勝てるのは、場所という資源。
確かに土地は広いし、海や山や畑や、地域の施設など…と都市にはない場所、都市では使いずらいけど地方では活用しやすい場所がたくさんある。
だからこそ、気軽に試してみることができるんだなーと納得


知らなかった世界と出会った


大山には、私が知らなかった世界が広がっていて、私が出会ったことのなかった種類の人がたくさんいた。

私達を受け入れてくれた、まーしー、私を大山へ呼んでくれたやまゆーをはじめとするわたげ荘のメンバー、鳥取を舞台に様々なことにチャレンジする人たち…。

自分の得意なことや表現したいことを様々なものと掛け合わせて何かを作っていく人が多い。

いわゆるクリエイティブな世界。

私ができること・好きなこととは全くかけ離れた、初めて知った世界にいる人たちは輝いて見えた。

いかに良い成績を取るか、いかに良い大学・企業に行くかという環境の中に身を置いていたから、大山での出会いは何とも言えない気持ちになった。

周りを見ていると、「自分がここにいる意味って何?」「私何もしてなくない…?」
わたげ周りの人たち、大山まわりの人たちと比べた時、自分の”何もなさ”に悲しくもなった。

でも実際は、私に"何もない"のではなくて、"ないものねだり"をしているだけだったんだけど。笑

知らない世界と出会ったからこそ、そこと比べて、自分のできないこと・向いていないことにたくさん気づいた。

だけど、「この人たちは気づかないんだな」っていう、私の日常の大事なこと、好きなことにたくさん気づけた。

私は、手紙が好き


大山から日常に戻って…


大山の人たちのことを見て、こうやって考えるんだなっていう新しいものの見方ができるようになったし、

帰って来てからは、その考え方を小さくても自分なりにやってみるようになったし、

ふと「あ!これをこうしたら面白いな」って思うようになったの。何回も。

クリエイティブな大山で過ごした日々は、私に新しい日々の見方を教えてくれました。
大山での、成長が見られるのはたぶんこれから!


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