フリーケンシーメロディー

前回のテーマが「ラジオとの出会い」なら今回のテーマは「ラジオとの向き合い方」であると思う。たまにはしょっぱなからテーマ発表していくスタイルもとっていこう。別段、いつ発表するかにこだわりなんてないのだが。

無事、ラジオとの邂逅を果たし、その「沼」とも呼べるべき空間へと足を踏み入れることに成功したところまで記したと思う。中学二年生の頃だったか。

世の中的にはアゴヒゲアザラシが多摩川に現れ「タマちゃん」と名付けられたり、ポール・マッカートニーが再来日を果たしたり、日韓ワールドカップで盛り上がったり…。学校の体育祭の練習に不良たちが軒並み参加していなかったのは、ワールドカップ観戦にお熱だったともっぱらの噂だったが、自分としては「そういえば、あのパーソナリティの人がここが勝つだろうと番組の企画で応援していたな」という関連付けしかなされていなかった。

ラジオというものは、他のメディアに比べて非常に距離感が近いものなのではないかとはよく言われる話だが、一人パーソナリティの番組だとそれは顕著であるといえる。ブースの中にはスタッフもいるだろうし、その人に向けて語りかけるようにしゃべることで緊張感や不安を取り除くタイプの方もいるにはいる。が、基本的にマイクを通して、電波に乗せて、声が向けられ届くのは、リスナー一人ひとりの耳に対してである。

今ほどリスナーとコミュニケーションが取れるといった時代ではなかった。ツイッター実況もなければ公式のコメント欄やチャット欄も少ない(あるにはあったんですよ、この時代にも)。だからこそ、より「個」を対象にしたリスナー向けの番組作りは、この時代とても多かったように思う。

特にその文化が隆盛を極めていたのは「アニラジ」というジャンルだった。素敵な声の持ち主が、個々のリスナーに向けて語りかけるようなコンテンツ。非常に贅沢なものだったのではないかと思う。

昨年、バーチャルユーチューバーとして鮮烈なデビューを果たした「シスタープリンセス」を原作とした、Vtuber可憐。彼女の放送を聞くと、二十年前に放送されていたシスプリラジオの一端を垣間見ることができるのではないかと思うので、興味のある諸"兄"はぜひご一聴いただきたい。今の時代であの雰囲気を味わえるのは、きっととても貴重なはずなので。

さて、そんな自分が初めて聞いたアニラジは「ちばさえのおしえてチョーナイ!」だった。スカパーデジオという、スカパープレミアムに加入した家庭に向けて届けられる放送局の番組だったが、我が家は母親が洋ドラにハマっていたため、このチャンネルにも入会していた。パーソナリティは声優の千葉紗子。過激な深夜ラジオと比べてしまえば他愛のないトークバラエティだったが、のちに「成恵の世界」という名作へと導いてくれたことにも感謝すべき番組であったように思う。

一年も経たないうちに終了が発表され、初めて好きな番組が終わるという喪失感に襲われた。毎週決まった時間にラジオをつけ、聞こえてくるおなじみの声に耳を向ける。「好き」に向けて傾倒し、寄りかかるということが来週からはできなくなる。初めてできた思い入れのある番組だっただけに、その日はしばらく物思いに耽り、なかなか寝ることができなかったことを覚えている。しかし、本人がいなくなってしまうというわけではないので、別の番組で声を聞けたりすると、なんだかその偶然に妙に胸が踊っていたことも覚えている。

斯様に、こういった「好き」の対象を広げていく行為はなんとも楽しいものだった。学校で嫌なことがあろうが、頭の中では「でも今日はこの番組があるしな」「明日になれば楽しいあの番組がある」。布団の中に潜り、イヤホンをつけてしまえば、そこに広がるのは毎週新しく繰り広げられる、世界の続き。傍から見れば辛い現実から目を背けた、ただの逃亡罪だが本人からしてみれば、そこにしかない周波数を通した癒しの旋律が存在するのだ。ラジオ好きには分からないとは言わせない。分からない人には、理解だけでもしてほしい。

現代においては「配信」という文化は、これになかなか近しいものがあるのではないかと感ずる。ラジオほどの個と個の関係性は薄いように思えるが。多くの場合はそれと対面する時は一人で視聴する、というスタイルである以上、生活の周りに自分しか好きな人いないだろうな、という意識は大なり小なり持ち合わせることになるのではないだろうか。適当に羅列してみたが、最近はそういう楽しみ方をするのはなかなか珍しいことだったりするのだろうか。書いていて少し不安である。

さて、次回はそんな「配信」と「ラジオ」の関係性について書いていきたいと思う。え?もうラジオの話はいいって?そんなこと言わず、もうちょっとチューニングを合わせておいてくださいよ。