見出し画像

企画のスタート81

 というわけで1989年7月に放送を終えた「シティーハンター2」ですが、それから3ヶ月後「シティーハンター3」として日曜日19時ゴールデンタイムに華々しくスタートするので、まるで終了した感覚がありません。それどころか作業の一部はシンクロしていて、どこまでが2で、どこからが3なのか、今は一体どっちの話をしてるんだっけ?みたいな感覚におちいったことはありました。
 そしてスタッフの何人かも2→3のタイミングで変わったり加わったりしました。無印→2の時にはそれこそ休みなく制作がつながっていたので、体制的にもスタッフが変わる余裕が無かったのかも。まずは音響監督は浦上靖夫さんにそのお弟子さんとして腕を磨いていた小林克良さんが加わります。小林さんはこの時からいろいろご一緒に。「名探偵コナン」の初期から約7年、さらには独立された後、ytvアニメとして「宇宙兄弟」「逆転裁判」なども音響監督としてお世話になる事に。ytv深夜番組「ミリオンの扉」でもご一緒しました。
 そして2では制作デスクとしてクレジットされてたのが南雅彦さん。今やアニメ業界のリーダーとして制作会社ボンズを率いて大活躍。で、この頃はボクとはビールと中日ドラゴンズで週一以上は盛り上がっていました。そして3では体格の良い池部茂さんになります。
 製作担当望月真人さんはずっとシティーを支えてくれましたが、仕事以外では、スタッフの中で競馬ファンが多く、その有志同好会を仕切ってくれてました。特に脚本の星山博之さんは手書きで身内な競馬新聞を執筆。仲間に馬名をつけていろんなルールを作り身内で勝負。ちなみに競馬初級者のボクも参加させてもらってて、馬名は「スワノシティー」だったんですよ。見事に読ませたあの名新聞、どこかに残ってないかなあ。
 そして文芸でシリーズ構成も担当してた外池省二さんは3で本格的に脚本家としてデビューします。いや正確には2でも書いてるのですが、3と‘91でさらに一歩飛躍されます。だって3の第1話脚本家ですもん。ボクとはこの後「コボちゃん」「ガンバリスト!駿」でもお世話に。
 昭和から平成へと時間と共に作品も進み、それぞれのスタッフの力量も積み重なっていきます。背景美術や拳銃などのメカニカルデザイン、そして獠や香のキャラクターデザインもしかり。どれもが進んでいく時代によってより良く変化していく、2→3ではその変化を一番感じられる気がしてるのはボクだけでしょうか。写真は1989年8月19日の日付が入った、北条司先生の香のサイン。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?