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昭和最後の日

 1989年1月7日土曜日、その日はかなり前から新春ゴルフの予定を入れてました。メンバーはボクのゴルフの師匠でもある音響監督・浦上靖夫さん、サンライズの植田益朗さん、「シティーハンター」野上冴子役の麻上洋子さんです。朝早く浦上さんの車に乗せてもらい目的の「東名カントリークラブ」に向かう車の中で、ラジオから天皇陛下が危篤との情報が。先日お話ししたように東京支社編成部所属のボクは、
交代宿泊で緊急対応をしている状況で、その日の当番だった土橋先輩に連絡します。
 その連絡方法がなんと浦上さんの車に設置されてたいわゆる「自動車電話」で。大きさはA4くらい厚さ10cmほどのショルダー付きの箱型。角に受話器が付いていてそれで話せます。「走る車から電話できちゃうなんて」と思っちゃう時代、これがゆくゆく小さな携帯電話となっていきます。その電話で土橋先輩から「こちらは大丈夫、今日は休みなんだから気にしないで」とありがたい言葉をもらって、そのままゴルフ場へ。そしてゴルフ場に着いたタイミングで御崩御の知らせとなります。
 メンバー4人とも気持ちはともかく、ゴルフ場で揃っちゃったしせっかくの休暇時間なのでゴルフを決行。その日は真冬なのにすこぶる好天で、正直言って暑いくらい。気心知れたメンバーは、ゴルフの腕がプロはだしの浦上さんを中心に和やかにプレーを続けます。途中休憩した茶店のラジオで小渕官房長官の「元号は平成とする」を聞きます。へいせいってどんな漢字?なんて会話してたのも良い思い出。ゴルフのスコアはともかく、突き抜けるような青空のもと最高に楽しく1.5ラウンドプレーできた「昭和最後の日ゴルフ」の1日でした。
 当然ながら多くのお客さまがキャンセルされて、その日にプレーしたのは予約の半分以下だったとか。後日落ち着いた時に開かれた編成部反省会で、この日にプレーしたのは仕方ないが、1.5ラウンドもまわったというのはいかがなものか、と正直に告白して森本博政部長からお灸を据えられました😓というわけで今となっては強烈に記憶に残る一日になったのでした。
 写真は当時社内に掲示されてた「シティーハンター2」パネル。小さく見えますが、後で左下に貼った「シティーハンター3」ステッカーはボールペン長さくらいの幅があるんですよ。神谷明さんのサイン入りです😊

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