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企画のスタート105

 1990年1月21日日曜日夜7時「シティーハンター3」最終回「グッバイCITY さよならの贈り物(後編)」も無事放送が終わり、本来ならドーンと打ち上げを、というところです。ですが実は来年1991年にもしかしたら…の話が聞こえてきてました。この頃はまだ本気に動くべき時期ではないのですが、来たる1991年の世界陸上を日本テレビが独占で中継をする情報がありました。この日曜日夜7時の枠はプロ野球もあるし、その世界陸上も考えると、放送が飛び飛びになり、新たなレギュラー番組を育てるのは難しい。なので「シティーハンター」みたいな1話完結系のアニメが適切なのではないか、という話になるかもというのです。そしてアニメの制作には時間がかかるので、まだ仮の情報として耳に入れておくレベルで、と上司の東京編成部・森本博政部長から。こーゆースピード感は編成にいたから、としか言いようがありません。
 アニメ制作は時間がかかるのは確かですが、スタッフをどうするかの方が制作としては重要、とは言ってもちゃんと仕事を振れないのにスタッフに声だけかけておく、というのはNG。拘束してその時間の仕事をさせないわけにはいかないし、かと言ってつなぎでの仕事なんていうのもあり得ない。制作会社のプロデューサーが苦労するのは実はこーゆー段階。ここではサンライズ植田益朗さんの人事的手腕が問われ、それをボクも気持ちとしても半分くらいは背負う覚悟が必要なのは当然です。そしてヒット番組を支えてくれてる森本部長もいろいろ背負ってくれてたのは事実です。
 なので番組打ち上げですが、年末の最後のアフレコの後にそれなりに豪華に打ち上げた会もあったし、それでも確か規模を縮小して行ったのかな。そしてボクと植田益朗プロデューサーは放送決定が出る前に、リスク無しで少しでも出来ることを進めておこうか、と話し合います。それはその時点でまだ多く残ってた北条司先生の連載原作を整理する事でした。写真は何回か前に書いた「シティーハンター2」終了記念ビアジョッキー。植田さんに提供いただいた写真ですが、実はビールを飲むにはボクには小ぶりで、単にジョッキと呼んでいました😓

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