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企画のスタート16

 コロナも長いトンネルにようやく出口の光がしっかり見えてきたようです。梅雨寒も抜けたような好天の月曜日。ホントもう一息ですし、後はこれからの再発をどう防ぐかですね。
 「シティーハンター」原作使用許可が見えない中、TVシリーズ制作のため1986年年末年始はもがくように24時間稼働してた気がします。ボクと日本サンライズ植田益朗さんに2人は今出来ることはもちろん、許可を得たらすぐに着手すべきことの準備を続けます。シナリオ作りはもちろん、監督やキャラクターデザインなどスタッフ想定など。相手には今の状況を伝えながらのご相談となり、なかなか落ち着かない気持ちが続くのは仕方ありません。
 特にシリーズ構成というかTVシリーズとしてどのような展開をさせていくべきか考えていました。原作に沿っていくのは当然だとして、アニメにするメリットというか付加価値みたいなものを、どのように表現していけば良いか、ひたすら考えていました。そして1987年を迎え、東京に出て来て2回目のお正月、もちろん帰省なんてできません、というかその気になりません。携帯なんてない時代ですが、植田さんとは毎日何かを電話などでやり取りする日々。
 当時ボクは京王線の仙川に住んでいたのですが、何を思ったか1月3日午後2時ごろふらりと沿線外の吉祥寺へ出かけます。もちろん原作者の北条司先生が吉祥寺にお住まいだとは聞いていましたが、この時点ではまだお会いしてもないし面識もありません。それでも番組の方向はこれでいいのか、何かを探さなくちゃ、との思いだったですね。駅の公園側にあった本屋さんをぶらついてた時に、偶然声をかけられたのは運命としか言いようがない人だったのです。それはこの12月に回を重ねてお伺いしてた集英社少年ジャンプの「シティーハンター」編集担当・堀江信彦さんでした。続きます。
 写真は麹町のレストランアジャンタ。お店は63周年ってなってますね😓1987年当時すでに24時間営業してたレアなお店でした。店前にあった電話ボックスもよく使ったなあ。

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