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企画のスタート47

 あのパーティー、名目はなんだったけなあ。1987年12月22日この日は火曜日でした、「シティーハンター」スタッフチームでクリスマス会というか忘年会というか、この一年突っ走って来てくれたスタッフたちの労をねぎらう会を開きました。実際に「シティーハンター」50話51話もほぼ最終回のテイストで絵コンテ作業に入ってましたので、多くの参加者はまだまだ作業はあるものの、「実質的な打ち上げだね」なんて言ってる人もいたのは確かです。
 「シティーハンター2」として継続していく判断が出たのはパーティーの少し前だったはずです。植田益朗さんとは「延長できたらホントにいいよね、今度は何やりましょうか」なんて話してた記憶があります。さすがに「追跡」という19時から30分の全国ネット帯番組なんていうバケモノみたいな企画に追い出されるなら仕方ない、的な思いもありました。もちろんボクは継続したくてたまらないので、例えば「シティーハンター」の時の「浅田飴パッション」のように、何かしら番組でスポンサーフォローが出来る準備もしていました。
 それまでのTVアニメは制作会社としての契約は放送が主たるもので、例えば最初の放送から3年の間に再放送も1回できる権利を制作費で得るパターンが普通でした。なのでその期間が終わればその作品は全て制作会社に帰属するのです(当たり前ですが作品ごとにいろんなパターンがあります)。今回は以前話したように原作使用契約を直接TV局と出版社で交わしたくらいなので、「シティーという作品を実質的にytvの財産としていく判断」がなされたのが「シティーハンター2」につながった事になります。それを聞いた時は嬉しかったなあ。ただ5%くらい、制作スタッフに思いがよぎったことは確かです。だってまたシティーと似たような過酷なスケジュールがみえているんですもの。
 というわけでボクの恩師でもある上司・森本博政部長がそのパーティーのご挨拶で高らかに「シティーハンター2」の制作宣言、すなわち番組の延長を告げてくれました。で、その情報を知ってる人はこの時点であまり多くなく、会場からは延長喜びの声とともに、「この作業、また続くの?」的な叫び声が聞こえたこともまた事実でありました。
 写真はその頃からボクが持ち歩いていた金属ケース、その日に北条先生に描いてもらったものです。初めは黒マジックだけの絵でした。赤色青色はずっと後で補強?してもらいました。ここからボクのトレードマークとしての金属ケースの歴史が始まったのです。本文後は昨日の夜景版の写真です。

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