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五月晴れではない月末

 5月も終わりですか…GWからスタートする5月、普通ならいろいろあったねとその月を回顧できるのに、今月もコロナ対応の生活一色でした。でもリモート活動はコロナ禍がなければここまで盛んにはならなかったと思うので、なんだかんだ人類はタダでは転びません。依然大変な状況にある方々にお見舞いとリスペクトを掲げながら6月に突入していこうと思います。
 さて1987年1月「シティーハンター」制作にこだま監督を迎えて、約2ヶ月半で第1話を作らなければなりません。アニメはもろセル画時代ですので植田益朗さんエリアの作画現場など筆舌に尽くしがたい状況になっていきます。で、まずシナリオ作りです。脚本家には星山博之さん平野靖士さんに加えて大人のドラマを描く、という方向でまず7人、今でもおつきあいしてる武上純希さん井上敏樹さん大川俊道さん、ボスコからの吉川惣司さん、コナンの途中で残念ながらご逝去された日暮裕一さんとなるべく実写ドラマ経験者を迎えます。麹町日テレの隣にあった番町共済会館の2階、ytv東京支社の会議室で最初の打ち合わせをした時には、なぜかアドバイザーとして?大監督・高橋良輔さんの姿もありました。
 この頃は全員手書きのシナリオ原稿で、特に1ページ目のタイトル部分に筆者のキャラクターが思い切り表れていましたね。原稿はだいたいペラ(200字)60枚くらい。この企画は大人もいつでも番組を見られるように、一話完結でお願いしてましたから、登場人物の紹介から事件解決?までを正味20分強で見せなければいけません。そして1月3日にボクが堀江さんから言われたモッコリ問題です。いや問題はヘンか。どのように主人公冴羽獠の3枚目重視の流れにしていけば良いのか。まあ結果的にはコレは明らかに今連載してる獠ちゃんのキャラクターに任せておけば良いコトになっていきます。ボクはキャラクターとは何か、キャラクターを作るというのはどーゆーコトか、獠ちゃんに教えてもらいました。
 それでも5話で槇村が殺されるまではどうしてもハードボイルド調でした。原作のストーリーエッセンスをもらさないためには尺の関係もあって、アレでもモッコリ系にシフトしたつもりです。年末年始に仕上げた絵コンテは3話にして、こだまさんに新たに絵コンテにしてもらったのが1話になります。そしてその1話については番組の基本フォーマットを決めなければならなかったのです。続きます。
 写真はたまには食事を。ボクが作ったウナギご飯とシラス&ワカメのお吸い物、香の物多めに←コレお店ではなかなかできない😓あ、ウナギはもちろん自分では焼いてまへん😵近所の市場で出てる台湾産一尾1000円。ポイントはウナギの下のウナギをまぶしたウナギご飯です😊

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