何歳まで生きたいかではなくて、何歳で死にたいか

 「いつかは結婚して、子供を産んで……」と考えていたのは何歳の頃だっただろうか。「結婚したくない、子供は欲しくない」と思い始めてからの人生の方が長い気もする。と言ってもまだまだ20代ではあるが。

  子供が欲しいと思っていた頃は80歳まで生きる予定だった。子供を産んで、孫ができて、みんなに看取られながら死ぬ。それが理想だった。

 だがそこから何年かして介護という言葉・存在を知ることとなる。その頃までは介護といっても電動ベッドの上げ下げをするだとか、ご飯を口に持っていってあげる"だけ"だと思っていた。しかし現実では違う。特に印象深かったのは排泄物の処理と痴呆症だ。テレビで見たそれがどうしても受け入れられず、モヤモヤした気持ちを覚えた。そのうち介護をされたくない気持ちが強くなった。(介護の仕事をバカにしているわけではないし、おかしいというつもりもない。ただ自分が受け入れられないという事実である。)延命治療もされたくないし、自分に意識がないのに、好きなこともできないのに、体が動かない状態で生きる価値なんてあるものか。

 そして人生の目標は50歳になった。何故50歳かというと、前述した通り介護をされたくないからにつきる。介護をされる条件としては身体や精神に異常が起きることがひとつの目安だと思う。だから足腰に不安を感じたらすぐに死にたい。手を貸して欲しいと思った頃に死にたい。そう思った。

 数年後。大体16歳くらいに妊娠や性行為などの存在を深く知る。その内子供を産むことの責任や、産まれるまでの過程などの現実を知る。勿論インターネットもあるため全く知らなかったということではない。しかしネットからの知識ではなく教科書を使った授業としての知識や、周りが徐々に付き合い始めたりしていたための友人からの知識で一気に現実味を帯びたのだ。

 そして見えていた世界が一変してしまった。街を歩いているカップルや大人が当たり前のように行為をしていることや、その行為を経て自分が存在するという事実に耐えられなかった。

 自分がするのはもちろん、誰であっても想像するのも嫌だ。男性の自慰行為は生きていくのに不可欠だとも知ったがそれでも嫌悪を持ってしまったし、旅行先の写真をあげるカップルにも勝手に想像して自爆していた。バカらしい。そして自分が異常であると何となく認識したまま大学生になり、アセクシャルを知った。アセクシャルについての苦悩は他の記事で置いておきたいと思う。

 結婚は当たり前、彼氏や彼女がいるのも当たり前。大多数の幸せな形が子供を産んで幸せに暮らすことである。私も以前はそう思っていたし、それに対しておかしいというつもりは全くない。

 その当たり前が自分には不必要で、だからといってそれに代わる自分にとっての幸せの形が分からない。ならば長生きをする必要も無いし出会いを求める必要も無い。頑張ってもいつか死ぬし、自分が元気に運動したりご飯を食べたりできているうちに死んでしまおうか。

 そして予定した死亡年齢が30歳である。誰かと暮らす予定もないし、この人が生きてくれればいいとかもない。

 30歳まであと9年。今の自分にとってはとてつもなく長い道のり。多分耐えられないだろうから、25歳でこの世を去ることも検討している。


 


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