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誕生日恐怖症(2)

前回の続きで、誕生日に不快感を覚えた理由を書き出していこうと思う。


 前回も記述したが、私は基本誕生日が好きだった。祝われると嬉しいものだし、覚えてもらっていると幸せな気持ちになり自己肯定感が上がった。スケジュール帳には友人の誕生日を片っ端からメモしていき、当日0時にメール・LINEをする。高校生や中学生の頃は長文LINEに価値があると思い込んでいたため、スクロールを要する文を書くのは当たり前でありそれも楽しかった。

 大学生になった今は長文LINEに重きは置いていない。もちろん思いの丈がそれほどあるという点では嬉しいのだが、別段短くてもオリジナルの文章であれば大体嬉しい(「おめでとう!良い1日にしてね!」は誰にでも使える文だと思うから特別感はあまり感じず……)。

 反面、誕生日になった瞬間にLINEが来るというのは本当に嬉しいし重要視している。送るために当日の何分前かからスタンバイし、自分のことを考えてくれていると思ってもらいたい。こんなに大事に思ってるんだよって伝わってほしい。喜んでほしい。一番を祝うのは私でありたい。

そう思うのは自分がそうだったから。

 23:55からあらかじめ考えた文章を用意し、イラストや写真でデコった画像を一緒に送る準備をする。0:00になった瞬間にそれらを送るのだ。特に大事な友達には当たり前にすることだったし、仲の良さと文章の長さ・画像の派手さ・送る時間の正確さは比例していた。



 だからこそ、誕生日当日0:00にメッセージが来ないと『自分はそれほど大事な友達ではないんだな』と思ってしまうらしい。ただ周りの友人がそれを重要視していないだけだとは思うけれど、心のどこかで否定的な感情が根強い。

 誕生日を迎えるたびに、今日もぴったりに送ってくれる人はいなかったなとか、あの子は私のこと覚えてくれていないのかなとか悲しい気持ちになることで、誕生日=悲しい日=嫌いとなってしまったのだと思う。


 大体私の悩みは気にしすぎな部分が多いが、『人の誕生日は大切なもので、早く丁寧に祝われれば祝われるほど嬉しい』という価値観が私にあり相手にもあるだろうと思ってしまう以上どうしようもできないんだろうな、と思う。


 きっとこれからも誕生日が嫌いなんだろうと思うと、年齢を重ねるのも嫌になってしまう。

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