恋愛への憧れ

タイトル通り、恋愛には憧れを持っている。

憧れといえども特に波瀾万丈な恋愛をしたいわけでもないし、禁断の恋にも興味はない。だから基本的にドラマや漫画は見ないし読まない。

でも自分のことをとても好いてくれていて、なおかつ自分も相手のことが好きで、イベントを共に過ごせて、お互いに時間とお金をかけることができて、悲しいことや嬉しいことがあったときに聞いてもらえたり慰めてもらえたりする。

そういうほんわかした関係が好きだから、恋人という存在が欲しくなる。

性嫌悪を持つ私からすると、私に性欲を抱く人は性別がどうであれ無理。ヘテロ寄りのバイだと自覚している(が、今は同性愛のことを考えられない。また違う記事で書こうかな。偏見とかではないけど……)。

性欲を進行形で持たれるのはもちろん、持つ確率があるという時点で既に距離を取ってしまう。男友達がいないわけではないけど、お酒を飲むと仕方がないのかボディタッチが増える人もいるし、そのせいで距離を置くことがほとんど。

そういった思い出のせいで、お酒を飲む異性が怖くなった。もちろん飲み方にも色々あるけど、ヘラヘラしたり積極的になったり口説き始めたり……っていう距離が近くなるとか、男が見えてしまうと一発アウト。

痴漢された思い出もあってか、ボディタッチに随分と敏感に嫌がるようになってしまった。相手は友好的に考えているのかもしれないけど、私からすると全て恐怖の概念しかない……。

自分に矛先が向いていなくても、周りの人との距離が近いのも嫌だ。いつか自分がその立場になるかもしれないから、お酒を飲んで距離感バグる人が無理。結果お酒を飲む人は無理。

次に、私は性嫌悪が強いのか性器自体に嫌悪感を持っている。そもそも性嫌悪の人はAVだとか裸体をそもそも嫌う人が多いんじゃないかなって思ってるんだけど、その流れで気持ち悪いと感じてしまう。裸体は美術的にも美しいものとされていることは理解しているけど、それでもミロのヴィーナスだとかを性の象徴と感じてしまう。そんな自分も性のことばかり考えているのではないかと思ってしまって、自己嫌悪につながる。無限ループ……。

性嫌悪は本当に厄介で、言葉に対しても嫌悪感が出てくる。私は汚さ、気持ち悪さを感じて嫌悪を感じる。これはもう個人の捉え方の問題ではあるけれど、世のヘテロが使う言葉が基本的に嫌い。

セックスだとかえちえちだとかなかよしとかエッチとか。性行為や性交渉と私は言う。

他にはおっぱいは胸と呼ぶし、性器のことは文字にもしたくないくらい下品だなと思う。その言葉を使うと自分もそっちに近づいた気がするのと、その言葉自体に汚さを感じてしまっているから。

それで思い出したけど胸の小ささに悩んでいると言う友達がいて、色々励ましたり利点を考えたりしてたけど「ハルのおっぱいは見てて小さいと思ったことないなあ」って言われた瞬間に寒気した。言葉自体が嫌いなのと、日常生活で意識的に見られているのか?って思ってしまってしんどくなった。女の子とも一緒に話せないかもしれない。しんどいな。

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