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今更プレイしたMOTHER2が感性の故郷だった話

僕の周りにはMOTHERというゲームを愛する人が多い。皆MOTHERもしくはMOTHER2が描く世界観に今なお心酔している、それはもはや宗教やそれぞれのルーツとして機能しているようで、僕はなんとなくその雰囲気を感じつついつもそれを羨ましく思っていた。

僕はMOTHERシリーズに触れたことがない。理由や経緯はこれから書こうとは思っているが、MOTHERシリーズに通ずるものを持つゲームもまたプレイしたことがなかった。唯一ポケットモンスターは1.2は長くプレイしたが、そこから任天堂のタイトルでプレイしたのはスーパードンキーコングシリーズくらいだった。

そんな僕が今回色々あってMOTHER2をプレイすることになり半月かけて攻略サイトにほぼ頼らずじっくりクリアしたわけなのだが…これから長文のnoteを書かせていただくほどには強い衝撃を受けた

とはいえたくさんの人の心に強く根付いたこの作品を今更プレイしたての僕がTwitterなどで小出しにペラペラ話すのは気恥ずかしく、しかしながらこの作品をプレイして感じたものが大きすぎたので、この衝撃を若くして享受してきた皆さんにリスペクトと劣等感を感じつつ、自分のバックグラウンドと重ね合わせながらこの作品について自分が感じたことをここにぶつけたいと思います。

僕が今かっこいいと感じるもの、好きな表現、音楽の趣味全てに通じる作品で、なぜ僕はこんなに自分にフィットする作品をこれまでやってこなかったのだろう?と後悔しました。
まず今そんな気持ちです。

■ ひょんなことからMOTHER2をプレイすることに

昨年あつまれどうぶつの森をプレイするためにニンテンドースイッチライトを購入したくらいには普段ゲームをしなかった僕ですが、せっかくゲーム機も手に入れたので昨年も新旧問わず何作かプレイしました。聖剣伝説3、モンハンXX、世界のアソビ大全、ゼルダの伝説Breath of the Wild、Overcooked、天穂のサクナヒメ、among usなどなどやってきたわけなのですが、ちょうど資金的にもタイミング的にもどのゲームをプレイするか迷っておりうだうだうだとしていたところだった。

そんなおりに都内に住む友人(後輩)とリモートで飲む機会があった。僕は気軽に飲みに行けるような友達は地元に2人くらいしかいないし、そもそも地元のコミュニティそのものが嫌いなのでこうやってリモートで都内に住む仲間達と繋がれるのは幸せなことである。そこで色々と現状を話すと共に「何のゲームを買うか迷っている」というような話をした時、その友人(後輩)はこう持ちかけてきた

「suugayuuuuさん『MOTHER2』未プレイでしたよね?是非プレイしていただきたいのでもしよかったらNintendo3DSごと送るんで、プレイしていただけませんか?」

僕は元々このMOTHERや同じ雰囲気を引き継いだmoonやundertaleをプレイしたことがない。手を出すのが怖かったり自分から踏み出すタイミングがこれまでなかなか掴めずにいた。既にこの時「MOTHERをプレイしてこなかった自分」に打ちのめされていたんだと思う。しかし今本来の仲間たちから遠く離れて過ごし、アニメからも離れて音楽やアートにアンテナを張る日々を過ごしている自分としては、今こそがタイミングなのかな…と。


そしてこの友人(後輩)とは音楽や感性の趣味もなかなか近いというのがあり、そんな友人が「むしろsuugayuuuuさんの趣味でプレイしていないっていう方が驚きですよ」と感性を認めてくる始末。僕は感性を認められると弱い。「みんなやって欲しい」には基本乗らないが、「あなたにこそやってほしい」にはめちゃくちゃ弱い。そんなわけで僕はプレイすることにした。
たくさんの人のルーツとなった名作を、感性を認めてもらいながら求められてプレイできるなんて、愚かしくもこんな美味しいタイミングは無かった。


友人は迅速かつ丁寧にMOTHER2入りの3DSを送付してくれた。翌々日くらいには到着し、舌の根が乾かぬうちにスタートすることができた。その友人はまさに「MOTHERをルーツに持つ人間」なので、せっかくだから楽しみ方も友人に委ねることにした。

友人はプレイする上で
攻略サイトは極力見ず、なるべく自力で頑張ってほしい。もしわからなければ自分にLINEで質問して欲しい

とだけ言ってくれたので、なるべくそれに則りつつ進捗をマメにLINEで伝えながらモチベーションを高めて進めていった。

■ MOTHERとの出会いと幼少期の僕

僕は幼少期にRPGをプレイしたことがなかった。それは手持ちのゲームソフトにRPGがなかったというのが理由のひとつだが、当時ウルトラマンが好きだった時からストーリーそのものよりアクションや怪獣の造形ばかりに興味を持っており、アクションや格闘ゲームの方が魅力的に映っていたのかも知れない。

幼稚園の絵の授業で僕が描いた絵のほとんどが用紙一面ぐちゃぐちゃに爆発している絵で、タイトルが「ウルトラマン〇〇が怪獣〇〇を倒したところ」というものだった。なぜ僕はそのものではなく倒して爆発する瞬間に魅了されていたのか?そこにはまだ闇がありそうだ。

そんなある日、母方の従兄弟の家に遊びにいくと従兄弟がゲームをしていた。歳上の従兄弟だったので遊びに行くと基本的にそこでのレクリエーションは従兄弟のリードの元行われた。普段からゲームを多数プレイしている従兄弟だったので、兄弟などでよくある兄がプレイするRPGをひたすら観ている時間のようなものが僕にもあった。僕はそこでMOTHERに出会った。

従兄弟がプレイしているMOTHERというゲームは、野球帽をかぶってバットを持った普通の少年が普通の街を歩いているとヤバいヤンキーなどに絡まれて、ドラクエと同様の戦闘がスタートする。それを観てなんだか怖く感じた。舞台にファンタジー感が無く、当時まだ僕が観たことがないSF映画のような不気味さを感じたことを覚えている。

ウルトラセブンを普通に観ていた僕がMOTHERは怖かった。なぜだかわからないが、ゲームの中の世界はわかりやすくファンタジックであるのが当たり前だとその当時から思っていたからこそMOTHERのある種無機質に歪んだ日常感を怖く思ったのかもしれない。

その後僕はファイナルファンタジーや聖剣伝説、ロマサガなどからRPGにハマっていき、わかりやすく中二病ロードを邁進していくのだが、その頃にはMOTHERやその頃には発売されていたMOTHER2には未だになんともいえない苦手意識を持っていた。

当時の僕はとてつもなく怖がりで、ターミネーターやジュラシックパーク、猿の惑星などのSF作品も怖いと思っていた。日常が異物に侵されていく感じの作品が怖くて怖くて…MOTHERの持つその要素にどこか怯えていたんだと思う。

僕はその後も中二病ロードを歩き続けたが、高校生のあるタイミングからRadiohead、Joy Division、村上春樹、松本大洋、みうらじゅん、アンディウォーホル、バンクシー、ラーメンズ、バナナマン、ビレバン、ミニシアター映画、伊集院光、ファッション雑誌TUNEと出会って衝撃を受けることで感性が開いていき、わかりやす〜くサブカル趣味へと足を踏み入れていくのだった。

この時にMOTHERに再会していてもおかしくないのだが、なぜか高校生くらいの頃は周りにそういった趣味の友達がいなく、その後僕がMOTHERという作品と出会うのは大人になってバンドを始めてアニメにハマって、アニメと音楽を好きな人達と関わった時となり、結果気づけばこの歳までプレイするというタイミングが来なかったのだった。

♠︎ アメリカの青春SF映画全部のせのような感覚

今回はMOTHER2のみプレイしており、MOTHERがどうだったのかはまだ知らない。機会があれば一作目もプレイしてみたい。

MOTHER2のストーリーを僕は一切知らなかったのだが、実際にプレイすると大まかに言えば当時恐れていた質感の通りSFの要素が強い作品だった。
プレイした率直な感想は最高でした。
素晴らしい映画を観たような、そんな気持ちです。

隕石が落ちてきて、それから何かに導かれるように旅に出て、色んな出来事をクリアしていくと共に気付けば頼もしい仲間たちと一緒に世界の危機に立ち向かうことになっていく…その進んでいく流れやそこで起こるイベントやセリフにはたくさんのサブカル小ネタが散りばめられており、僕はニヤニヤしながらプレイしていった。

UFO、オカルト、ハンバーガー、悪の組織、超能力、野球、メカニック、恐竜、ロック、ツアーバンド、そして素敵なガールフレンド…90年代の少年の憧れが全て詰まっている
アメリカの青春映画のような世界がたまらない

建物の雰囲気や文化もアメリカチックで、そのくせ日本的な小ネタも豊富に混ざっていてそこはクスりとさせてくれる…
家族との関係性も映画的で好きだ。セーブ方法が遠方にいる父親に電話を通じて記録をお願いするというスタイルだったり、母親は深く聞かずに息子の旅を見守ってくれている。そんな両親を絡めた関係性もドット絵で描かれていながら感動させられる。

中盤からは宇宙船で移動したり時空を移動したりとかなりワクワクさせる展開になっていくのだが、特に驚いたのはラストダンジョンが過去の世界で生身のまま潜入できないため、機械の身体に魂を乗せて時空へと飛ばすという、まさかのラストバトルで主人公たちがロボット状態ということだ。キャラ重視のファンタジーでは確実にありえないやり方に心底痺れた。

♠︎ ムーンサイドとマジカント

存在しない裏側の世界、インナーワールド
ワクワクしない人いる?

サブカル趣味な僕としてはムーンサイドマジカントについては脳みそからたくさんの分泌物が出てしまうほどゾクゾクする演出だった。

狭くて底が無い、きらびやかで不気味な世界
死に限りなく近く生が意味を成さない感じ
=かっこいい

ここまで隕石、UFO、ゾンビ、宇宙船、どせいさんという謎の生物…などが登場しワクワクさせてくれているのだが、現実の街から明確に異世界へとワープする展開がある。それがフォーサイドという街がそのまま歪んだウラの世界「ムーンサイド」である。

ここでは「はい いいえ」の選択ですべて反対の返答をしなければいけないという特性を持ち、マップとしてはフォーサイドと同じなのだが街の一画一画がブロックのように区切られていて通じておらず、特定の街人に話しかけるとワープしてブロックを移動できる。

何の説明も無く放り出され、正直その瞬間はとても怖いのだが、散策を続ければ続けるほどその雰囲気や音楽全てにどきどきさせられた…
まるで誰かの夢に入り込んだような未完成な世界で、しかし人が住んでいてそれを知っている人が存在し行き来できる。なのに真相は語られない…この感じがたまらない世界観でした。


次に、ゲーム内のメインストーリーと並行して出てくる「おまえの場所」とされるパワースポットで得られるメロディを集めていくと最終的に連れていかれる異空間が「マジカント」でこの世界観にも度肝を抜かれた。

過激なインナーワールドの描写と、自分の中の悪魔への勝利と覚醒。
つまりはサブカル男子の『感性の故郷』

マジカントはMOTHER1と2で意味合いが違うようなのだが、2では主人公のインナーワールドとして描写されていて、そこには主人公の脳内にある人やものが散りばめられた世界だった。そこにいるフライングマンというキャラクターと共に自分の中にある悪魔へと続くエデンの海を進んでいく…

エデンの海で自分の悪魔を倒すと潜在能力が目覚めて一気にステータスアップするのだが

RPGの中に自分の中の精神世界を旅する設定というのがこの時代にからあったことにも驚いたが、さらにその造形を仄暗くではなくサイケデリックでごちゃごちゃと描いていく感覚がまさに僕の感性に強いシンパシーを感じさせた。

僕は10代後半で色んなアーティストや作品を通じて「インナーワールドを描写すること」やそのアバンギャルド性にどんどん魅了されていくだが、このMOTHER2というドメスティックなゲームにこんな表現があったと思うだけでも後悔の念が強い。

自分の中の脳内描写としてマジカントというものを知っているかどうかだけでも僕の人生は変わっていたかもしれない…とまで思ってしまう。

♠︎ 音楽的な感性

まあ今回このnoteで1番書きたかったのはこちらでした。元々音楽的な価値観込みで友人はMOTHER2を紹介してくれたわけだけれど、実際にプレイし、たくさんのロックの名曲がサンプリングされてMOTHER2のゲーム音楽に姿を変えていることを知りました。

The Beach Boys、The Beatles、The Whoを始め60〜70年代のレジェンドバンド達の名曲も多種にわたって鈴木慶一氏と田中宏和氏の天才的アレンジを加えてサンプリングされている。

特にその使い方やアレンジの仕方がとにかくセンスに溢れており「どうだ!Beatles好きだぜ!!いいだろ??」みたいなこれ見よがしの演出ではなく、よくよく聴いてリンクしているような使い方に痺れた。

90年代はオルタナティブロックというジャンルの音楽がメインストリームでヒットした時代で、それこそ60〜70年代の音楽をうまくリバイバルしたアーティストが多くいた。それこそサンプリング文化のHIP HOPで言えばA Tribe Cold QuestのアルバムMidnight Marauders(93年)からもMOTHER2にオマージュされた楽曲が入っており、それこそ作品が制作された時代にドンピシャでクラブで流れていた音楽だったりした。

MOTHER2の音楽は懐古的に見えて「サンプリングの持つゲーム性と遊び心」に溢れている

ゲーム音楽との親和性を感じる所でスペイシーな表現としてのXTCDevoのようなニューウェーブサウンドを感じたり、田中宏和さんがインタビューでSF映画にあるアメリカの街並みと音楽の中でRandy Newmanの持つ普遍的アメリカ感を表現したかったと答えていたり、Weather Reportのジャズ的な不和の部分を敢えて参考にしたりと音楽的な試行錯誤と遊び心にひたすら心酔する。

もし多感な時期に聴いていたらこれらのモチーフ楽曲をひたすら聞き漁っていたことは間違いない。結果的にそれらを知っている状態でプレイしてもこんなに感性をくすぐられているんだから…


個人的にはそのサンプリング性と結果生まれた全体的な実感から、影響を受けた音楽をバラバラにして組み上げたBeckOdelayのサウンドや、これは2002年の作品ではあるがアメリカンインディの質感をハートフルなストーリーとしてアルバムで展開したThe Flaming LipsYoshimi Battles The Pink Robotsのようなそれ自体は直接関わっていないが、90年代初期のあたたかさを持ちつつ多岐にわたる時代の片鱗を感じる音楽が頭に浮かんだ。

そんなことを考えてしまうくらい要所要所で感動し、あとでサンプリング元の考察やインタビューを見てまた感動するという完全にハマってしまったわけだった。

♠︎ RPGとしての楽しさ

ゲーム性としては全体的に説明が少ないので迷ってしまうことも多いのだが、有利でヒントをくれるおじさんがいるのも嬉しく、また各地で色んな装いを見せてくれるヒントおじさんがまた愛おしい。

またバトルシーンで思うのはエンカウントする敵キャラが序盤からなかなか強い。そしてダンジョンも多数存在するのだが持ち物の保有限界の割に回復ポイントがほとんどなく、四苦八苦しながらもレベルを上げていけばクリアできる範疇で、ボスの倒し方や頭を使わせる仕掛けも多々あって最後までサクサク進みつつも迷ったりしつつで、始める前はレベルを上げて物理で倒す系だと思い込んでいた自分としてはかなり嬉しい誤算で、結果的にはバランスとしてもめちゃくちゃよくできていると思いました。

全体的にパーティ間の絆演出などは盛り過ぎていないのがなかなか良くて、メンバー間で揉めたり、メンバーの1人が感情的になるようなシーンもほとんどない。(ジェフの親友が宇宙人に囚われているのにそこに強い怒りなどの演出がないのもそれはそれで不自然だったが、それを敢えて展開していないだけなのかな…と)そんなパーティが最後それぞれ離別していく際のコメントなどに結果その思いが溢れていて胸が熱くなりました…

■ 成長と自分探しの物語

主人公は世界を旅して巨大なボスから地球を救うわけですが、全て終えて家に帰ってきた主人公に母親は「世界を救った英雄」としてではなく、あくまで旅から帰ってきた1人の息子として接するのがとてもよかったです。自分たちの胸の中だけで大きい出来事として心に残っていく感じ…主人公が得た特殊能力などがそのまま残っていたのもよかったです。

このこも おまえににて
ガンバリやになるんだろうなぁ。

えらいひとや おかねもちに
ならなくてもいいけど・・・・

おもいやりのある
つよいこに そだってほしいわ。

過剰に描かないMOTHERのコンセプトと、主軸をそこに置きすぎない品格を感じる

敢えて父の背中を見せず、家族を「越えるべき対象」ではなく「やがて帰り安らげる場所」として、MOTHERとして描いていたのがとても新しいし素敵だなと思いました。

色んな部分に感銘を受けましたが結果ゲームとして気持ちの良い満足感と刺激的な時間を反芻できたのがなによりよかったです。

僕がこれまでプレイしてきたゲーム達を否定するつもりは本当に全然なくてやはりどれも面白かったんだけれど、ある程度日常をベースに作られた話だからこそMOTHERという作品はそれこそマザーシップのように色々な文化へのチャネリングが可能なゲームだとも言えて、MOTHERから映画好きになったり、野球、RPG、音楽、オカルト…色々な趣味への入り口がたくさん開けているというのは本当にいいなあと思いました。1ゲームソフトと考えるのはもったいはいな…
MOTHERから派生する名作たちもこれからプレイしていきたいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございます。気が向いたら加筆していくかもしれません。
(PKサヨナラ!とか言わない。恥ずかしいから)

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