見出し画像

時計じかけのオレンジ

荒木飛呂彦絶賛というのと、ベートーベンが大好きな少年が暴れるという知識しかなく、名作らしいということで観てみた。

最初見てて思ったのは、暴力シーンが妙に演劇かかってて、セット感満載で、壊れるセットが脆くて重量感もなく、もっと派手に残酷に演出すればいいのになんでこんな陳腐な演出なんだろうと思った。今のCG技術に目が肥えてしまったからなのか、あえて演劇調にしているのかが謎だなあと思いながら、見終わって時計じかけのオレンジをザックリと調べてみてビックリした。あの程度のバイオレンスで当時は危険映画みたいに批判されてたとは!w

暴力行為に関しては陳腐だけれども、あのエロ描写は今じゃできんなと思った。でもエロスやバイオレンスがテーマなら性暴力ももっと攻めていい。当時の規制ギリギリなのかもしれないが。オッパイやお尻だけじゃなく、陰毛も出てくるし。てか時計じかけのオレンジの時代の欧米人は陰毛剃ってなかったんだったという改めての再認識w
陰毛に関しては今の外国人みたいにパイパンにするよりは自然に生え散らかしてる方が秘部としてエロいと思う。

主人公アレックスが音楽聞くのにカセットテープを使ってて、おお懐かしい、古い映画だと認識したけれど、どうやら設定は近未来SFだったようだ。家の壁とか宇宙人っぽくて変なデザインでこれがキューブリック的な表現なのか?と思っていたけれど、当時の感覚からしたら未来感があったんだろう。作家の家の内装は現代感覚でも割とオシャレでなんか今だとありそうな作りだと感じた。

統制社会へのアイロニーを含むということらしいけれども、統制社会への反感とかそういうイデオロギー的なものはあまり強く感じなかった。政治家は汚いという程度で。

アレックスが受けた治療で“治った”のは暴力とセックスができなくなるというだけで、悪の根絶にはなっていないので、アレックスは“治療”されても詐欺やらの知能犯罪系で活躍できるやんという。金には興味なさそうだったけれど。悪の定義がまた短絡的だなと思った。まあその短絡さがテーマの深堀になって行くんだろうけれど。

作中、分けのわからない単語がちょくちょく出てきて、始めはオーケストラなんかで使う音楽業界の専門用語なのかな?と思いながら見ていたけれども、近未来の若者が使うナッドサット用語という創作チョベリグ言葉らしい。激おこしたのでフルボッコみたいな。これはなかなか面白い視点だなと思った。ベートーベンをベートーベンと言わず、ルードウィッヒと言うアレックスにイキッた若者らしさも感じる。

最後の最後で「完璧に治った」と言われるけれど、原作者とキューブリックの間で一悶着があったらしい。原作ではアレックスが更生してキチンとした人間になって終わるそうだけれど、最終章がアメリカで出版されていないままの映画化だったので、ベートーベンを聞きながら昇天するアレックスに「完璧に治った」が元通りの残虐人間に戻ったという解釈が一般的なよう。
でも、アレックスは治療プログラムを受けたわけで、ベートーベンを聞いて辛い思いから安らかに死にたくなると言うアレックス。昇天してしまうアレックスが幸福感の中で死んでしまったと思えば「完璧に治った」は洗脳治療を指すとも取れるし、洗脳が解けたとも捉えられる。曖昧な部分があって面白い。

まあ最後の昇天シーンは天国っぽいところでの女性とのセックスで体位は騎乗位。騎乗位というのはアダムのイブの前の奥さんリリスがアダムに求めた体位であり、セックスは男性主導というキリスト教文化圏からしたらダメな体位の象徴で、リリスはアダムに騎乗位を求めたことで堕落し悪魔に堕ちるからして、悪魔をイメージさせる描写として、アレックスは元通りの悪人に戻ったという解釈になるのが正解であろうとは思う。 

大臣からのプレゼントととして大音響のベートーベン。元の悪人に戻って悪さしてもいいよ的なニュアンスを持たせて、実験が失敗だったアピールになるけれども、洗脳治療勧めてたの大臣だろ?と思うとこの矛盾が理解できてない。政争の材料に使われたって事は分かるけれど、政治家は権力維持のためには余裕で掌返すってことなんだろうか?

超定番ではあるけれども、素朴な疑問として悪い奴はなんで悪いことをするとき「ヒャッハー」って言うんだろう?

でググっててビックリしたのが2点。フルメタルジャケットはキューブリックだったこと、サイコや鳥はキューブリックじゃなかったこと。オレの中ではキューブリックとヒッチコックはごちゃ混ぜになってるw

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?