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丁寧に生きる・改訂版

昨日の話の続きなんだけど
「丁寧に生きる」なんて
ただのはやりの観念だと思っている人と
日々本物に触れて生きている人とでは
何かが違うんだ、て昨日気づいた

昔、戦争で貧乏なのに「本だけは何よりも大切に」と教えられて育ってきたご家庭の人の様に

昔、貧乏なのに「お洋服だけは良い物を綺麗に着る」と教えられて育ってきたご家庭の人の様に

そういうのて日本の中で粛々と引き継がれてきたんだなて気づいた
その究極の生命線が「職人」の存在なんだなと感じた

それは今何に形を変えているのか考えたのだけど
「贅沢」「特別」という形になっていると思ったのだけど
「清貧」という歴史を遡ることを指す人もいて面白いと思った

私は今、「丁寧に生きる」ということは特に何を指すのか少し考えたのだけど
どう考えても「情報と丁寧に接する」だと思った

たしかに「感性と丁寧に接する」もそうだとは思うのだけど
私は今から未来にかけて大事になってくるのは「情報に対しての接し方・扱い方」だと思うから

今、貧乏なのに「情報に丁寧に接する」と教えられて育ってきたご家庭の人の様に・・・

と羅列されることになると思うのだけどな

いつもの独り言・・・