令和のJアラートと昭和の空襲警報が頭の中でハウリングする
2022年11月3日文化の日、祝日。夕べは、深夜までYouTubeを見ていたため、今朝は久しぶりに10時頃まで寝ていた。
起きて顔を洗い、トーストを焼き、コーヒーを淹れて朝ごはんをのんびり食べていたら、母から、今朝、北朝鮮がミサイルを撃ったってテレビで騒いでいたよ、と聞く。
最近、北朝鮮のミサイル情報に慣れてしまい、正直「またか」と思ってぼんやりしていたら、母は、つかさず「ミサイル、3発もだよ」と付け加えて教えてくれた。
慌てて、スマホを見てみる。
最近、江頭2:50さんのYouTube番組「エガちゃんねる」にハマり、あたおかになりつつあるのだけれど、夕べは江頭2:50さんが北朝鮮に行った話の回を見ていたからシンクロした。
また、偶然YouTubeで見つけた古い映像「燈火管制 昭和15年 内務省製作映画」も見ていた。動画の冒頭に、空襲警報(空襲警戒警報?)が鳴るのだけれど、その音が耳に焼き付いている。
この映像は、戦時中のもので、空襲に備え、部屋の灯りが外にもれない技術をレクチャーすべく、国と東宝文化映画部が組んで作った動画(映画)だった。
工場や床屋、日本家屋、洋風家屋、農家、車や自電車のライトまで、かなり細かく具体的に説明されている。黒いラシャ紙をガラス窓に貼っていたり、うまい具合に玄関にカーテンレールを設置して灯りが漏れないようにカーテンを付けるなど指導。今見ると非現実な物語に見えてしまうが、当時の方達は真剣に見ていたんだろうと興味深く見る。
昭和15年といえば、1940年。先の戦争で日本本土への初空襲は昭和17年(1942年)4月18日のドーリットル空襲だから、まだ日本本土で空襲を経験していない2年前の映画だ。ちなみに、本土空襲が頻発するのは1945年以降で終戦の年。
Twitterを見ていたら、「空襲警報」というワードがトレンド入りしていたので、夕べ見たこのYouTubeをリアルに思い出してしまった。
Twitterでは、Jアラートじゃなくて「空襲警報」と言うべき、Jアラートという言葉が軽すぎる、というツイートがされていた。弾道ミサイルのJアラートが鳴ったら、頑丈な建物か地下に逃げろ。身体を丸めて床に伏せろって、無理だよな、なんてコメントも。
確かに、弾道ミサイルのJアラートが、鳴ったところでどうしたらいいのか分からない。オロオロしてしまうかスルーするか、パニックになるか。
もしもわたしの住む田舎なら、頑丈な建物や地下なんてないし。
そもそも、通称JアラートのJって何?という素朴な疑問もわいてきた。JapanのJだろうな、とは想像できるけれど、他にも意味あるのかな?
ウキペディアなどで調べてみたら、Jの由来は明確にわからないらしい。情報が、やんわりとしている。たしかに、Japanから発するアラートなんだろうけど、英語でアラートというと目覚ましのアラートをイメージしてしまうし、「警告」という強い響きを感じられない(わたしだけかも知れないけど)。
だからと言って、通称ではなく、正式名称「全国瞬時警報システム」と呼ぶのも長いし固い。また、Jアラートは、弾丸ミサイルだけじゃなく、地震や津波、テロなんかでも初出する。
◆警報の音の違いを記憶する
弾道ミサイルのJアラートはわたしの住むエリアでは今回、鳴らなかったけれど、該当する地域では1ヶ月前も鳴っていた。YouTubeにあったJアラート音を聞いてみることにした。
弾道ミサイルのJアラート音については、怖い、驚く、という感想のある一方で、緊急音と気づきにくいという意見もあるそうだ?
わたしは、緊急地震速報のアラートは耳に焼き付いているけれど、この弾道ミサイルのJアラートの音は記憶になかった。聞いたことはあるはずだけど、この音だけでは瞬時に弾道ミサイルのJアラートとは分からなかった。
弾道ミサイルのJアラートって、こんな音だったのか!なんて改めて認識。戦時中の空襲警報と聴き比べなんかもしてみた。耳がぐわんぐわんする。
Jアラートのアナウンスの話し方がゆっくりで気になったが、これは聞き取りやすくするためだそうだ。そういえば、わたしの住む田舎も町内放送がかかるけれど、この話し方のスピードと同じだ。でも、ゆっくり口調だと、瞬時に判断し、行動はできないのでは?
となると、これは、事前に、緊急音を覚えておく方が、瞬時に対応し、パニックにならないかも知れない。
アラート音を集めたYouTubeも見つけた。いろんなJアラートを聴き比べてみる。
聞いているうちに、あっ、これって、戦時中の空襲警報の音判別学習に似ていると思った。
戦時中、空襲サイレンは、空襲警報と空襲警戒警報の2種類あって、サイレン音を聞き分けないとダメだったんだよ、って戦時体験をされた方から聞いたことがあった。博物館で、サイレンの聴き比べをしてみたことがあったけれど、わたしには区別出来なかった。
また、B29やグラマンなどの敵機の機種などを聞き分ける訓練を学校の音楽の時間にしたという話も聞いた。敵機音を覚える為のレコードがあると聞き、資料館の視聴覚ライブラリーへ聞きに行ったこともあったが、これまた、わたしは飛行機の音を全く覚えられなかった。
それにしても、音を覚える=身を守る という人間がいちばん喪失してしまっている野生での生きる力を改めて今、修得せねばならないのか、なんて複雑な思いが巡る。
朝寝坊して、目覚めたら有事が起こっていた、なんていうの。
今のご時世、ないことではないんだ。
そんな、時代をわたしは生きていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?