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[日本へ帰国して幸せのハードルが下がった話]

ベルギーから日本へ、温かさを持ち帰ったわたし。

ベルギーでの出来事や、自分が感じたこと、家族にたくさんたくさん話したいことがあった。

しかし、地元の家に帰ると、お父さんとお母さんが悲しい顔をして、「納沙布のじぃちゃんが天国行っちゃった」と言いました。
納沙布のじぃちゃんとは、父方のおじいちゃん。

ばあちゃんとラーメン屋を営み、若々しくていつも元気だったじぃちゃん。留学決まった時に、周りが心配する中、じぃちゃんだけが、良かったじゃないか!行ってこい!と背中を押してくれた。

だから、最初お父さんとお母さんが何を言ってるのか理解できなかった。
え?納沙布じいちゃんって、わたしの、あの、納沙布じぃちゃん?誰か他の人のことでしょ? 信じたくなかった。

でも、残念ながら本当にわたしのおじいちゃんで、わたしを地元で見送ったのが、わたしにとっての最後のじぃちゃんの姿だった。

わたしの留学中に、膵臓癌が見つかり、闘病生活を経て、癌発見後3ヶ月で、この世を去った。

留学中の私に伝えると、留学どころじゃなくなると思い、わたしに伝えないこと決めたんだとか。


留学のあれこれを伝えたくてウキウキしていたわたしは、一気に闇の中に落とされたようだった。
わたしが留学しなければ、じいちゃんに寄り添うことができたのに。留学なんて行かなきゃよかった。
そんなこと考えては、泣く日々が続きました。
 そんなある時、わたしは夢を見ました。納沙布じぃちゃんが、わたしを優しく抱きしめて、よく帰ってきたね。お帰り。と言ってくれたのです。

その夢を見てわたしは、じいちゃんは確かにわたしの中で生きてる。悲しんでるばかりじゃいけない。と思いました。

そして、じぃちゃんの死をきっかけに、『人は、存在してるいるだけで価値がある』ということに気づきました。今まで人をそんなふうに思うことなんてありませんでした。だって、いることが当たり前だったから。
納沙布のじぃちゃんが、それを教えてくれたのです。
 
それからのわたしは、家族とご飯を食べる時間や、家族と一緒に家にいる時間など、ベルギーに行く前までは当たり前だと思っていた日常は、実はとても尊くて愛おしいことなんだ、と感じるようになったのです。

日本帰国してから、しあわせのハードルが下がったと感じます。
お父さん、お母さんがいてくれること、おばあちゃんが元気なこと。それだけで、幸せで、温かい気持ちになり、胸がいっぱいになるのです。

【日常のひとつひとつを慈しみたい】

Sutéki-éとして温かさの表現者でありたいという想いは、この経験から成っています。


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