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「猫を飼っていない猫好き」はアリか?

猫は不思議な生き物ですよね。「液体」なのではないか、と言われる程のしなやかな動き、ヒトを「下僕」へと変えてしまうほどのキュートな声としぐさ、そして何よりもその神秘的な、何を考えているのかわからないような眼差し、自由奔放な行動や動きがヒトを虜にしてしまうのです。猫の魅力に取り憑かれたヒトにとっては、可愛い振る舞い全てが日常生活の一部となっているのではないでしょうか。
 
しかし、私は猫を飼っていないのです。猫好きなのに、我が家には毛むくじゃらの友達がいないのです。リアルな猫がいないのにどのようにして猫好きとしての喜びや、共感を得ているのでしょうか?
 
私の猫好きは、幼少期にさかのぼります。六本木交差点近くある母の実家に遊びに行くたびに、そこには白猫の家族が待っていました。寒さから私が掘り炬燵に勢いよく足を突っ込むと彼らの安寧の時は終わりを告げ、ふわふわの尻尾を持った仔猫たちがこたつ布団から次々に飛び出して来ます。この、俊敏で愛らしく、自由気ままな不思議な生き物は、幼い私の心を射抜いたのです。しかし、団地住まいの我が家は管理規約上小鳥か金魚くらいしか飼育が認められることはなく、猫との生活は想像以上のモノにはなりませんでした。
 
リアルな猫が飼えない環境下、猫への興味は薄れて行き、少年から青年期を音楽や鉄道への趣味傾倒、はたまた趣味とは裏腹に、受験に身を窶していた私に、次に訪れた機会は猫のキャラクターが話題を呼んでいたことでした。1980年代初頭、「全日本暴猫連合 なめんなよ」という仔猫を暴走族に見立てたコンテンツが一世を風靡。動物愛護協会から「これは虐待なのではないか」とのチェックが入ったことも人気に拍車をかけたのかもしれません。猫がまさに「法律に縛られることなく自由を謳歌している」姿は、とても新鮮に、また、衝撃的にインプットされ、気が付いたら「なめ猫」の免許証を手に入れていた、という次第。実は、猫を飼っていなくても「猫コンテンツ」を通じて猫と触れ合えるということに気付いた経験でした。

これこそ「なめんなよ」の象徴

猫を飼っている友人が、身近にたくさんいること

私の周囲には、可愛い猫を飼っている友人が数多くいます。看護士の方、エネルギー会社の社員の方、世界的なコンクールでの常勝猫を飼っている方、鍼灸師の先生・・数えたらキリがないくらいです。ちょっと考えるとなぜか独り暮らしの方が多いかもしれません。なぜなんでしょうね・・彼ら(彼女ら)の愛猫の溺愛ぶりをよく聞くのですが、本当に自分の子供のように可愛がっている方がほとんどです。毎週のようにお世話になっている鍼灸師の先生のところの話ですが、毎日のように餌をもらいに来る野良猫、ある日元気がなく苦しんでいるのに気付き、すぐに病院に連れて行ったところ、瀕死の内臓疾患だということがわかり、数十万円の手術代を支払って治療し、最終的には家猫に昇格を果たした、という、猫からしたら超ラッキーな事例。そして、今や立派に猫の「下僕」になってしまっているから微笑ましい限り。そのような「猫ノロケ話」をリアルやSNSで耳や目にする度に「反応」してしまう自分に気付くのです。

不思議なことに「猫を飼っていていいなぁ、自分も飼えたらなぁ」とは思わず、「猫のいいなりになっている友人」の話を聴くのが「すごく楽しい」と感じてしまうのです。

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