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ラヴェルの話

今から20年前の話。夜、実家の母からの電話に出る。夜遅い時は、大抵機嫌が悪い。
「昨日の〇〇ホールでの演奏、自分でどう思ったの?」
認めたくないが、私が学生を叱る時に声が
1オクターヴほど低くなるのは、母譲りなんだと実感する。「ちっとも‥‥良くなかったね。」
このようなミニバトル(私も言い返すので)は日常茶飯事だった。

母から投げつけられた冷ややかな暴言(?)の数々。
•「横山幸雄さんは、上手ねぇ(ジョイントコンサートの後、深いため息とともに)‥。」
•「スカルボ弾く時、あんであんなに大袈裟にカラダ動かすの?お母さん、見てて恥ずかしかった。」
•「海老さんと貴方の音、どうしてあんなに違うのかしら。勉強の仕方が悪いんじゃないの?」
•「海老先生に1回、レッスン受けて来たら?」と言われた事もあった。

我が家はごく一般的なサラリーマン家庭。会社員と、音楽を専門的に学んだ事の無い主婦から、一体何故日本を代表するエリートたちを凌ぐピアノの才能の持ち主が産まれて来ると思えるのか、さっぱり意味が分からない。
「ニッポンイチ(桃太郎かっ)ではない」という理由でなにゆえこうまで罵られないといけないのか。
負けんばかりに罵倒(といっても青柳家のケンカは冷戦なので、相手よりさらに1オクターヴ声低く反撃)したと思う。
「‥遺伝に限界があるっていう発想は無いの?」
と言い返した事もあるし、
「‥聴きに来てください、と一度でも頼みましたか?」とも言い放ったと思う。側で聴いている人がいたら冷気で凍死した事だろう。

しかしあれから20年。今はどんな小さなバトルも起こらない。私から母にかける言葉と言えば、
「よく眠れてる?」
「持つよ。」
「さ、道渡るからね。気をつけて」
「ゆっくりで、いいんだよ。」

アルツハイマーとは、だんだん子供に戻るようなものだ。イナズマの如く攻撃し合えたのも母が若く、「子供の実績に興味があった」からだ。
少女に戻るに連れ、母は息子の実力を横山氏と比べる関心がゼロになったのだ。

たまに演奏後に「どうだった?」と聞くと
「さあ、お母さんには難しい事は良く分からないなぁ」としか言わなくなった。ご飯食べて帰る?と聞くとうん、と頷く。
姉から食事を摂らなくなったと聞いて、慌ててアイスクリームを送ったり、後日レストランに連れて行くとパクパク食う。子供と会えて嬉しく、箸が進むのだろう。美味しい?マスクのストックはまだある?と聞くと「うん」と言うが、自分からは話題をだんだん振らなくなって来た。

家(サービス付き高齢者向け住宅)まで送ると、
「ここに、私住んでるの?」と聞くので、
「そうだよ。慣れるまで時間かかるけど、頑張ろうね!じゃ、帰るからね。廊下の電気は点けておく?ひとりで大丈夫?」
今までこんな優しい声は出した事が無い、と自分でも呆れる程穏やかな口調で訊く。優しくしないと折れてしまいそうだからだ。
「大丈夫ですよ。いつも、ひとりですからね。」

マンションから最寄りの駅に戻る道すがら、自然に涙が溢れてきた。それは悔恨なのか、罪悪感なのか、時の経過の切なさの涙なのかは自分でも分からない。

何そのラヴェル?海老先生のレッスン、受けて来たら?ともう一度くらい、罵倒してくれないかなぁ。


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