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『好き→専門職≠好き』を経験した話

愉しい=好きな仕事=イージーモード?

好きな事から発展した専門の仕事に就いている私は、『好きな事を仕事にできていいね』という事を言知人から言われることが度々ある。
実際には嬉しいのだが、発言者によりけりその言葉があまり得意ではない。
理由は『好きを見つけられてすごいね』というニュアンスよりも『すきが見つかって更に専門の仕事にできてラッキーだね』というニュアンスを感じてしまうからだ。

私は好きを見つけること自体が楽な事ではないと思っているからだ。
トライアンドエラーのを繰り返した人だけがたどり着くことができる境地。
エラーを繰り返している分、コンプレックスもっている。
道のりはハードモードだ。

そして、好き探しのトライアンドエラーを
修行文化が根深くはびこっている業界で
『好きな事→専門職従事者』が行う事自体のハードルが恐ろしく高い。

参考まで私の『好きな事→専門職従事者』の最初の大きなトライアンドエラーの経験を紹介してみる。

私が最初に入った会社は社員20名程度の小さい会社だった。
業界では名の通った会社だったので、会社で受ける仕事は大企業と同じクオリティーとボリューム。
企業との物理的な人工の差を補う為に24時間営業。
会社の規模が小さくても給料が安くても、
キラキラした世界に新しい価値を生み出す高揚感
全てにやりがいを感じとても満足していた。
同僚もOBOGも全員やりがいを社員証代わりに在籍していた。
そんな会社だった。

やっと見つけた好きだから失いたくない、
やっと手にした専門技術だから失いたくない、、…そして身を削る生活
心の奥深くまで時間と労働力を捧げてどんな困難や試練にも絶えてきた
好き?≠やりがい?≠やる気?

会社の地位や評価にしがみつく事で精一杯

気が付いたら、やる気もやりがいも枯れ果て。
あれ?私の好きな事ってこれだったっけ?
私の好きな事って何だろう・・・そう思うようになっていた。
このままでは、好きな事だけでなく自分の人生も失ってしまう。

在籍6年、自分の人生を生きたいと思った私は退職の意思を会社に伝えた。

体を壊して退職する同僚か、専門職で企業する同僚しかいないような会社だったので、『あいつはもう終わりだな』と冷めた目で見られた。
誰よりも、自分が一番そう思っていた。

長年信じていた何もかもを失い
孤独な世界にポツリと立っているようなそんな気持ちになった。

気が付いた『好き→専門職≠好き』という事

もう仕事に対して好きもなにも生まれないと思っていた私の中に
仕事に対しての情熱がポツポツと芽吹いて来た

憧れのとか高揚感とか私の目を引く華やかな事ではなく
コンクリートに押さえつけられても
何度引っ込む枯れても生えてくる雑草=やめられない=好き
ニョキニョキそこらじゅうから生えてきて
ニョキニョキ私も止められない

最終的に私の好きのは
専門職でしか触れられない事でも
苦労して手に入れた専門職の技術でもなかった。
今も変わらず専門職に従事しているが、
転職のタイミングで好きに近い環境を持っている会社を選んでいる。
そして、好きと異なる質感の仕事には心身削る事もなくなり
自分に失望することも無く生きやすくなった。

今まで好きと思い込んでいた仕事に100%注いできた情熱を
いくつかの芽を育てる事に注げられるようになってきた。
どの芽が大木に実がなるか、まだわからない。

桃栗三年柿八年・・・適度に気長に



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