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危機を乗り越えて身につけた生存能力。ALAMAKIは東京にこだわらずDJを続ける

近年のテクノロジーの進化や消費行動の変化などにより、どこかに属さずフリーランスや個人事業主として活動する「インディーズ」が広がってきている。しかし、インディーズ従事者のセーフティネットが適切に整備されておらず、良くも悪くも社会の変化に大きく影響を受けてしまう。

インディーズミュージックという生態系

世の中で起きる変化というものは、特にデジタル以降のテクノロジーの分野においては、音楽が最初に直撃するんです。なので、そこを見ておくと、だいたい何が起こるかわかる。炭鉱のカナリヤのようなものです

と、かつて元WIRED編集長若林恵さんは語った

だからこそ、インディーズミュージックという「生態系」は、激動の世の中で環境の変化を真っ先に感知し、前例のない今を生き残るために、素早く生き方を選択し、進化し続けてきた。

インディーズ支援団体SustAimでは、そんな生態系の中で生きるさまざまな人や起こっている事象を紹介し、音楽業界のみならず。2020年代以降の社会全体の未来を占う上でもキーとなりうる事例として提示していきたい。

新型コロナウイルスの影響が世界中に波及する激動の世の中で、、音楽業界は大きすぎるダメージを長時間受けている。その中でも特に厳しいのはDJだ。レギュラーイベントの中止は定期収入のストップを意味する。配信するにしても著作権のハードルが高く、クラブが営業できない今、仕事の場が大きく制限されているのだ。

しかし、20年近くDJをやってきた「ALAMAKI」は過去に何度も危機を乗り越えてきている。そんな百戦錬磨のベテランDJは今の状況をいち早く受け入れ、生き残る為の新しい可能性に向けてすでに始動させている。

渋谷の老舗のクラブ「HARLEM」で、週末のレギュラーパーティーを持ち、日本のみならず海外でも活動してきた彼は、今、東京を離れて大分で音楽とは関係ない仕事をスタートした。

ALAMAKIの勇気ある決断と、それに至る気持ちや思考の変化を聞きながら、インディペンデントに生きる為の心構え、コロナ禍をサバイブするためのヒント、そして未来へ繋がる新たな可能性を掴んでほしい。

取材:starRo、文:葛原信太郎

DJとして復活するために、絶対に生き残る

――まずはDJに興味を持つきっかけについて教えてほしいな。

中学校1年生くらいから音楽を熱心に聞くようになりました。まずは、親父が持ってるレコードをひたすら聴き漁って。実家のケーブルテレビでMTVもよく見てました。いろんな音楽のジャンルに出会ったけど、ずっと聴いてきたのはヒップホップです。実はダンスに挑戦したこともあるんですけど、自分には向きませんでした(笑)。音痴なんでラップもダメ(笑)。だから、とにかく曲を聴きまくったんです。ヒップホップ雑誌もよく見てました。「FRONT」「WOOFIN'」「XXL」とか。少ない小遣いは、レコードに費やしました。

DJとの出会いは、高校1年生。たまたまDJをやってる先輩が家に遊びに来たんです。どうやらその先輩の3倍くらいはレコードを持っていたらしく「こんなにレコードがあるなら、DJやったほうがいいよ」って言われて。とりあえず、親にお金を借りてターンテーブルを買いました。その借金は踏み倒しっぱなしですが(笑)。

──長いキャリアがあるといろいろな経験をしてきたと思うけど、コロナについてどう考えている?

今(インタビューは4月28日)と、2〜3月くらいに感じてたことは、全然違います。3月の中頃は、めちゃくちゃ絶望してました。政府や自治体が、クラブやライブハウスを名指しで危ないと言ってた。そう言うからには自粛に対しての補償があるんだろうと期待もしていました。でも、安倍首相がはっきりと「補償はない」と会見した。後にナイトクラブで活動するフリーランスにも補償は給付されるようになりましたが、あのときは本当にショックでしたよ。しかも、NewsPicksを見てたら落合陽一さんとか宮田裕章さんが出ている配信で「ワクチンができるのは1年半から2年後」って話をしていた。「あぁ、これは無理だ」と。現実にムカついたし、めちゃめちゃ不安でした。でも、今は、絶望しきって、逆に吹っ切れてます。DJとして復帰するために絶対生き残らなきゃいけないので。今はスッキリしています。

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──どうやって吹っ切れたの?

今は音楽業界だけでなく、あらゆる業種が困っていて、すべての人に補償が行き届くなんて、現実的に難しいだろうと思っています。政府に補償を求める、政策を批判することも必要。でも、補償がない状況でどう生き残るか、どうやって店を残すかを考えることが、今、重要なはず。HARLEMの店長やスタッフと話し「とにかく今は冬眠させて、コロナが終息したら再開しよう。DJもスタッフも、再開するまでどうにか生き延びよう」と確認し合いました。

──それで、大分に引っ越して、新しい仕事をすることにした、と。

そうなんです。3月半ば過ぎくらいから「誰にも頼れないし、自分で生き残るしかない」って感じてました。東京にはなかなか自分に合う仕事がなくて、今は大分にいる先輩の会社にお世話になってます。

──再開はいつになるかわからないけど、HARLEMは存続できるって希望があるのは大きいよね。

はい。今、いろんなハコがクラウドファンディングをやっていて、何百万円、何千万円と集めているところもあります。ただ、都内の大バコだったらで、1,000万円あっても、家賃やスタッフの給料を払ったら1〜2ヶ月くらいしかも耐えられません。企業向けの政府の補償の200万円があったところで…。俺はなるべく最悪のケースを想定して動いてるので、これから1〜2年間をどう乗り越えていくかにフォーカスして考えています。

たくさんの危機と変化を乗り越えて身につけた生存能力

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──周りのDJはどうしてる?

どうしてるのかな。後輩は他の仕事を始めてるやつが多いです。企業に入ったり、宅急便の仕分けをしたり、実家の仕事を手伝ったり。まだ何も動いてない人もいると思います。数ヶ月でDJを再開できる可能性もゼロじゃないだろうけど、今まで通りお客さんが来るかもわからないし…。難しいですよね。

──最悪のケースを考えて動いているのは、これまでの経験から?

そうですね。そもそもDJは人気がなくなったらすぐにクビになってもおかしくない商売ですから、常に仕事ができなくなる覚悟は持っていたと思います。これまでも、いろいろ危機がありましたから。

──どんな危機があった?

2010年くらいですね。いわゆる風営法の関係でHARLEMの営業ができなくなって。長いときは9ヶ月も営業停止になったんです。3階にあったカフェは名義が違ったので、カフェでの営業はできたけど、あの時は仕事が激減しちゃって、かなり苦労しました。他のクラブの仕事もあったので収入がゼロになることはなかったけど、厳しかったですね。

あとは東日本大震災の時です。あのとき、HARLEMは3週間くらい休んだんですよ。収入はもちろん減ったけど、俺よりはるかに苦しい状況にいる被災者のみなさんがいたので、自分の境遇への不満はなかったです。みんなで助け合って乗り切るしかないなって。

──音楽業界って、これまでもいろんな変化があったよね。バブル的に盛り上がった90年代から、00年代に入って業界自体が下火になってきたり。90年代に比べて、00年代のクラブの集客は減った?

そうですね。90年代は何もしなくても勝手にお客さんが来るみたいなときもありましたが、ちょっと厳しくなりましたね。

──2007年くらいからプロモーターが入るようになって、クラブの仕事はハコ貸しがメインになっていくよね。それまでは「このハコはヒップホップ」「このハコはハウス」と、ハコごとに強みがあったりしたけど、それがだんだん変わっていった。

そうなんですよ。「HARLEM」の週末はHARLEMらしいイベントを店でやってましたけど、他のクラブは日によってジャンルやイベントの方向性がバラバラになっていきました。

──そうしないとやっていけなくなっちゃったってこと?

そうですね。ハコも増えてましたから。

──そのころ機材にも大きな変化があるよね。それまではDJにレコードを使っていたけど、パソコンの中に入っている音源を使う「SERATO」などが登場する。

俺が移行したのは2007年くらいでけっこう早めでした。それまでは良いレコードを持っているDJが良いDJだったんです。でも、SERATOなどが使われはじめると、レコードを持ってるか・持ってないかではなく、音源をどう使うか、どうプレイするかでDJの差がつくようになりました。要するに、どういうストーリーでプレイをしていくかが大事になったんです。そうなると若手も活躍しやすい。レコードを持ってる人が勝ちなら、キャリアが長い人のほうが圧倒的に強いですから。この変化でDJはDJの本質により近づいたと思います。

──仕事をDJのみにしたのはいつぐらい?

DJとして仕事1本にできたのは、26歳から27歳くらいにかけてですね。若い頃はバイトや派遣社員しながらレギュラーのイベントは月に10本くらい回してました。ギャラも安かったしDJだけの収入じゃ、当時住んでいた神泉のアパートの家賃も払えなかったです。ただ、SCRATCH LIVEを使うようになってから、レコードをあまり買わなくなったので、支出が減った分、生活は楽になりました。

東京から大分へ。インターネットがあれば国内外で活動が広がる

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──ALAMAKIくんはコロナへの対応も早かったけど、これまでも時代の変化にも柔軟に対応してきたんだね。今、DJをとりまく環境がまた大きく変わったよね。オンラインでのDJ配信も増えてきてるけど、今後の活動についてはどんなことを考えている?

コロナとは関係なく、ここ2年くらい、東京以外でも活動できるように準備してきたんです。SoundCloudもそのひとつ。Remixの制作にはかなり力を入れてきました。その結果、いろんな国のDJが俺のRemixを使ってくれるようになっています。その甲斐あって、世界一クラブの数が多いと言われるアムステルダムでも指折りのベニュー「Paradiso」で3/28にDJが決まっていたんです。夏には東京オリンピックでもDJする予定でしたし、秋には「ADE(Amsterdam Dance Event)」(5日間に渡って、アムステルダム中のベニューを会場として開催されるダンスミュージックの祭典。世界中のトップDJが集う)にも呼んでもらっています。

これまではアジアやアメリカでも活動してきたけど、今年から来年にかけてヨーロッパにも広げていこうって考えていたんです。この状況では厳しいけど、海外のDJとは連絡をとりあっています。コロナが落ち着いたら海外での活動に力を入れていくつもりです。だからこそ、今はDJでの収入には期待せず、他の仕事を頑張って、じっくり時間を使ってリミックスにつくったりしようと思っています。

──ALAMAKIくんが大分に行って新しい活動が見えたように、東京にいたDJや音楽家が地方に散らばっていくことで、おもしろいことも起きそうだよね。

家から10分くらいでいける海岸から、めちゃめちゃきれいな夕日が見れるんですよ。そこから配信やりたいんです。DJブースを置いて、ドローンで撮影して。一旦マネタイズは気にせず、とにかくやってみたいな、と。

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Zoomの背景は、海岸から見える夕日でした!

──海岸のDJ、いいね。観光促進、地域活性にもつながるね。

はい。先のことは分かりませんが、コロナが落ち着いたあとも大分にいてもいいのかもしれないと考えたりします。LCCなら往復で1万5千円くらいなんですよ。週末は東京でDJして、平日は大分って生活も悪くないかもしれません。大分に来て、東京にいたら気づけないことがたくさんありました。家賃も食べ物も手頃で生活費が下がる。しかも魚も肉もめちゃめちゃうまいんですよ。空港まで30〜40分で行けるし、空港に近ければ海外にも行きやすい。これまでも東京にいながら月に2、3回は飛行機や新幹線に乗っていたんで、移動の手間はそんなに変わらないかなと。

──このインタビューも東京と大分と愛知をつないでやっているけど、こうやってオンラインでつなぐと物理的距離は気にならないよね。レコードでDJをしていた時代は、レコ屋が東京にたくさんあったから東京から離れられなかったけど、今は関係ない。同じように、ハコだけじゃなくてオンライン上で活動できるようなれば東京にこだわる必然性は減ってくる。

東京でも地方でも、インターネットさえつながっていたらオンラインで生まれるチャンスは一緒ですもんね。良い音楽を作れば、どんどん聞いてもらえるし、世界中の人とつながれる。日本のDJは、国内に目が行きがちだったけど、これからはもっと世界を意識する人が増えていくんじゃないかと思っています。

──そうそう。アジアの小さい町にぶっ飛んだDJがいたりする。そういう時代なんだよね。

俺にもヨーロッパにもアメリカにもアジアにも友達がいます。俺と仲良くしてくれるのは、人種とか肌の色とか国とかもう全然気にしないやつらばかりです。コロナの影響で保守的になったり、内向きになったりする人もいる一方で、どんどんグローバルな感覚を持つ人も増えていくはず。俺は後者がどんどん増えていったらいいなと思っています。

──ほんとにそうだよね。今日は話を聞かせてくれてありがとう。

今回のまとめ by starRo

キャリアが10年を超えてくると、努力だけではどうにもならない、環境からの影響や運などが人気商売の運命を左右してくることを理解することになります。「いつ続けれられなくなっても仕方ない」と受け入れる覚悟をもち、状況に合わせて生き方を柔軟に変えていくことも重要です。

レコードをたくさん持っていることがDJの資質として大きなウェイトを占めていたアナログレコードの時代から、SERATOなどによるデジタルDJの時代への変化。それらは、DJの表現の幅の広がりだけでなく、DJのあり方、仕事の形のさまざまな可能性の広がりをがもたらしました。生き方の柔軟性においても大事な変化だったといえます。

これまでDJは、東京に過剰に固まっていたと思います。しかし、今回のコロナ禍を機に、東京に居を構える必要性を問われています。東京を長く拠点にしてきた東京から移動するのは、並大抵のことではありません。でも、新しい可能性も広がるはず。当初は生き残りのための引っ越しだとしても、地方の音楽文化の振興につながり、日本の音楽文化全体が盛り上がるターニングポイントにだってなり得る。今のような状況を発想の転換のチャンスと捉え、常に新しい生き方の模索に活かしてきたALAMAKI、そして日本中のDJ達のこれからが楽しみです。

ALAMAKI
現在DJとして約20年のキャリアを持ち、世界のクラブシーンを意識しながら、HIPHOPを軸に常に新しい音楽を吸収し、新旧ジャンルを問わず様々な音楽を融合させるプレイスタイルは唯一無二の存在である。毎週金曜日の"Born Free"@HARLEMのレジデントDJを務め、都内を中心に日本中の様々なBIG CLUBで活動中。REMIXやBOOTLEGの制作等でも国内だけでなく海外の著名アーティスト達からも高い評価を受けている。"Pony (Alamaki & Uki Remix) / Ginuwineは、Soulection Radio, Diplo & Friends等でPlayされた。

そんな彼の作品はSoundcloudをCHECK!!
http://soundcloud.com/yusuke-alamaki


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インディペンデント音楽コミュニティー支援団体 / マーケット・業界の変化に縛られない永続的な音楽文化の創出を目指し、インディペンデントな音楽従事者へ、物心両面において環境・知識・活動のサポートを提供し、安心かつ健全な活動の支援を目標とする。