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山道を走り、衣食住自給のパラダイスを作る理由

Vol 4. 革命は身近におきる

私は、未だ見ぬ景色を見たいという衝動に突き動かされ、普通無理だろうと思われることばかりやろうとする漢。未だ見ぬ景色を見たいという衝動で、30年間続けたサラーリーマンを辞め、福島県の原発事故の被害を受けた地域で風力発電所を開発し、風車と風車の間でオーガニックコットンを栽培し、再開される農業に彩を加える事業を立ち上げました。趣味のトレイルラニングでは、二晩寝ずに160㎞走り続けたこともありますが、その原動力も未だ見ぬ景色を見たいという欲求です。出身地である福島県の安達太良山を舞台に地域おこしの活動をしているのですが、安達太良山でも人々に未だ見ぬ景色を見せたいなと思っています。

福島県二本松市生まれ

福島県二本松市は、新幹線は通っているけど止まらない東北の田舎町です。多くの人と同じように生まれ育った土地は特別ですが、二本松の何がと聞かれれば、私はこう答えます。

• 日本百名山の安達太良山という山がきれいに見える。安達太良山は、四季を通じて登山に来る人が沢山いる人気の山。
• 彫刻家の高村光太郎の奥さんが二本松出身で、奥さんとの思い出を綴った智恵子抄という詩集には、安達太良山とか阿武隈川という身近な自然が登場。
• 日本人で初めて、アメリカの大学で博士号をとった朝河寛一の出身地(イェール大学)
• 秋に行われる提灯祭り、菊人形がそれぞれ日本三大提灯祭り、日本三大菊人形。提灯祭りは、三日間のお祭りで、10月4日から6日まで行われ5日、6日は学校が休みになる(2020年から週末に行われることになった、残念!)。

書き並べてみると、二本松出身の私以外の人には特別でもない、田舎自慢あるあるですね(笑)。実は、私には他にもう一つ二本松自慢があります。日本では、今から150年以上前に、最後の内戦がありました。戊辰戦争という江戸時代から明治時代に転換するタイミングで起こった戦争です。

少年達も戦死した戊辰戦争最激戦の地

私の二本松自慢でもある朝河寛一さんは日本史が専門ですが、大化の改新と戊辰戦争が日本で起きた大きな革命だと言います。その戊辰戦争は、鳥羽伏見の戦いから始まり終盤の会津戦争でクライマックスを迎えます。二本松の戦いは、白虎隊やNHKの大河ドラマの『八重の桜』で有名な会津城(通称『鶴が城』)の籠城戦の前の戦いで、戊辰戦争でも最も激戦だったともいわれます。二本松の藩兵の主力が、南から攻めてくる官軍を迎え撃つために二本松から70kmぐらい南の白河に出払っていた中で、官軍が先に二本松に攻め込んできました。

二本松城(通称「霞が城」)の天守閣跡に立って、南の方から圧倒的な銃器で敵が攻め込んでくることを想像するだけで恐怖を感じますが、そんな状況で、二本松藩は、十代半ばも含め20名ほどの少年まで出兵し、守勢一方の戦いをします。結果、ほぼ全員戦死しました。あまりの壮絶さに、少年兵をみとった薩摩藩士が、『君がため二心なき武士(もののふ)の命は捨てよ名は残るらん』と詠んだそうです。少年兵の亡くなった場所には、誰誰がここで死んだという碑が建っています。私の通学路にも何人かの碑が建っていました。二本松で先の戦争と呼ぶ(太平洋戦争が先の戦争ではない!)、二本松の戦いの壮絶さが現代にも伝わってきます。

革命は身近におきるもの?

こんな戊辰戦争の激戦地だったので、二本松は特別だと思っていた私ですが、いつからか二本松は、革命の舞台だったのだ。だから凄いと思うようになりました。戦争を美化するつもりは全くありません。しかし、二本松は革命を起こそうとするチカラと阻止しようとするチカラがぶつかりあった場所です。しかも、僅か150年ぐらい前に。そして、その壮絶さゆえ今も革命誕生のエネルギーを感じることが出来るのだと。二本松では、子供から大人まで命を懸けて革命を阻止しようとしたのですが、会津藩のように徳川幕府に近い立場の藩だから官軍と戦ったのではなく、会津も含め東北諸藩が官軍と戦うと決めた取り決めに参加していたから、戦ったのです。負けを知りながら戦った二本松藩は信義を重んじたともいわれます。悲劇を美化しているのは分かっていながらも、グッときます。

戊辰戦争ではひどい目にあった、二本松や会津は今でもそう思っているといわれます。まさかと思う人も多いと思いますが、下水道や舗装道路などのインフラの普及が全国的に最も遅れているなどという話を学校で先生に教わり子供たちは成長しますから(今は、もう違っていて欲しいけど。。。)、そう思うのも仕方がない面があると思います。高校からは、戊辰戦争の舞台ではなかった福島市の高校に電車で通いました。しかし戊辰戦争の呪縛は続きます。たまたま日本史の先生が会津出身で、明治維新の話から先に進まず、3学期の期末を迎えました(笑)。

Underdog mindset:強いヤツには勝負を挑め

そんな環境で育ったためか、私も勝てない戦いでも、勝負を挑むことに何か意味があると思えば強い相手に向かっていく性格になってしまいました(苦笑)(『Underdog mindset』と呼んでいます)。さらに、革命なんて身近に起きてもおかしくないと思っています。貫き通すことができる何か信義のようなものがあれば、革命を起こす(二本松の立場では、革命を阻止する)エネルギーになると。原発事故を受けた福島県の沿岸部で、衣食住(住は、特にエネルギー)の自給を高めるという活動を始めたのも、二本松に生まれ育ち、このような考えの大人になった私の運命ですね。

普通無理だと思われることにチャレンジした過去を話せば話すほど呆れられるに違いないのですが、その中の一つ、趣味のウルトラトレイルラニング(100㎞以上の山道を走る山岳マラソン)についてちょっとだけ紹介します。レースによっては100マイル(160㎞)というとてつもなく長い距離で、登った高さを足すとエベレスト超えなんか当たり前、二晩ぐらい寝ずに走り続けることもざらです。全く狂気の沙汰です。私は、月間の残業時間が200時間を超えるような仕事をしていても、世界の強者(キワモノ?)ランナーが競う国際大会に参加しています。これはあまり声高に言いませんが、上位に入るつもりでスタートラインに立っています。

勝手も負けても貫ける何かがあれば良い

暴挙です。その暴挙を支え続ける燃料は、未だ見ぬ景色を見たいという欲求です。勝っても負けても貫き通すことができる信義に当たる何かというのもあります。人間(ホモサピエンス)という直立二足歩行をする動物が直立二足歩行を始めたころの歩き方、走り方を再現したいという思いです。今の人間は繁栄を謳歌していますが、歩き方、走り方に関しては10万年前から退化していると思います。それさえ出来たら、100マイルなんて笑って走れると思ってます(笑)。この話は、また別の機会に!

安達太良山が見える町

二本松の藩士や少年兵が信義の戦いに敗れ、戦地と化した故郷で死んでいくときに見た景色は何だったのでしょう?武士たちですから、二本松城(通称『霞が城』)だったのでしょうか?でも、亡くなった少年たちの碑のある場所は、城からちょっと離れているところに多くあります。これは、官軍を城に近づけないための必死の戦いだったということなのですが、亡くなった場所に立ってみると、その多くからは城が見えません。しかし、安達太良山は二本松のどこからでも見えます。

国破れて山河ありと言いますが、死にゆく藩士や少年兵が見慣れた景色を見ながら死んでいったのだと思うと、もののふたちの魂も慰められたのかなとちょっとだけ救われた気がします。なにしろ、安達太良山の存在感は二本松市民には圧倒的ですから。実家のある市内から西に15㎞程の距離にある安達太良山ですが、箕輪山(1723m)、鉄山(1709m)、安達太良山(1700m)となだらかに続く稜線は標高の割に、市街地からはとても大きく見えます。さらに、5月の新緑の時期から山体が膨らみ、秋には紅葉で、グラデーションが鮮やかです。雪を被ってからの荘厳さも、格別です。

安達太良山の山の上のほんとうの空

私の実家も智恵子の実家の近くにあるので、智恵子抄に詠まれる、「安達太良山の山の上に毎日出ている青い空がほんとの空」というのは、二本松の市街地から見た安達太良山を切り取る青い空だと解釈しています。空の青さと四季ごとに美しい安達太良山のバランスこそが、二本松の景色です。

私も、安達太良山に強く引き寄せられる一人です。海外で生まれた息子には、太良と名付けました。日本の金融機関に勤務し、海外に駐在していましたが、バブル崩壊やアジア危機などへの対応がだらしない会社に勤めている自分に嫌気を感じ、転職してこのまま海外で生活しようと考えていた時期に息子は生まれました。日本人である息子が、根無し草になってはかわいそうだと日本との結びつきを作るため、私の故郷にちなんだ名前にしました。

東日本大震災を受けて安達太良山に恩返し

東日本大震災以降、ほぼ毎月東京から通って趣味のトレイルラニングを活かし安達太良山で活動をしているのも、そのためです。原発事故があったのは、人災という面もありますが、半分は天災(つまり不運)。しかしその原発に福島第一という名前だったため、福島県全体が風評被害にあったのは、全くの不運(全国にある原発で、県の名前がついているのは福島第一、第二原発と島根原発だけでした。)。事故直後は、安達太良山も観光客が激減したそうです。

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霞が城天守閣跡、背景にうっすら写っているのが安達太良山
Photo Courtesy: Takashi Shikano / grannote

Tarzanの名物編集者、内坂庸夫は言う『火星』だと!

トレイルランナーにできることですから、トレイルラニングツアーのガイドのようなことから始めました。安達太良山の麓の岳温泉観光協会さんに依頼を受け、安達太良山にある7つの登山口を起点、終点として数え方にもよりますが山頂に続く13の登山道をいろいろな組み合わせで案内しました。

二本松側は女性的、反対側の猪苗代から登ると男性的と簡単に紹介されることが多い安達太良山ですが、山頂付近や二本松の反対側である猪苗代側は、アメリカの西海岸方面`の国立公園のような景観に溢れています。ヨセミテの滝、イェローストーンのモーニンググローリー、グランドキャニオン、アーチーズ。

取材に来てくださった雑誌『Tarzan』の名物編集者内坂庸夫さんは、*火星と表現されてました。その景色のインパクトは、まさに地球上のモノじゃないです。北南を貫く縦走ルートも、日本アルプスやヨーロッパの人気ルートにも負けないレベルです。そして、冬のブリザードなんて、アラスカのオーロラツアーに行かなきゃ体験できないすさまじさ(笑)。

持続可能な活動『Adatara Trash Challenge』

東北の山ですが、交通の便も悪くないので、本来、四季を通じて登山客の多い山です。震災から数年経って、風評被害も癒え登山客の賑わいが戻ると、何か他では味わえない楽しみを、私のほぼ毎月やっているイベント参加者に感じて欲しいと思うようになりました。そして始めたのがAdatara Trash Challengeです。山好きなら、ごみは持って帰る。見つけたごみは拾って帰る。そして、さらに踏み込んでいくとトレイルワーク(トレイルの整備)に辿り着きます。

トレイルワークにも、色々ありますがAdatara Trash Challengeでは、山に埋まっている、生分解性の無い瓶、スチール缶、アルミ缶、ペットボトルや食品パッケージなどのプラスチックごみを掘り起こし、持ち帰ります。これを、Adatara Trash Challengeの一個一個のレターがプリントされたビブスを着用して10名前後のグループでやるのですが、ごみを掘り起こすたびに歓声が上がり、宝探しの様に盛り上がります。何故か、必ず毎回お宝のような、40年以上も前のスチール缶などを発掘することが出来ます。

岳温泉Mt.Innに行ってみて!

お宝のごみは、きれいにして岳温泉のmt.innに飾ってあります。mt.innは、第一回目のAdatara Trash Challengeから主催者をしてくださっています。岳温泉と安達太良山のメインの登山口は5㎞程離れていますが、mt.innが安達太良山の登山口の始まりだという意味を込めて、代表取締役の鈴木安太郎さんがクラウドファンディングをして全館リノベーションをした際に、ウッドデッキの整備に協力させてもらい、ウッドデッキエリアにAdatara Trailhead produced by Chiharu Watanabeという名前を付けさせていただきました。

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ADATARA TRASH CHALLENGEのレターがプリントされたお揃いのビブスを着て、いざごみ拾いへ

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安達太良山の土の中に50年もの間眠っていたスティール缶が発掘されます!お宝は、岳温泉mt. innに飾ってあります。

どこまでも持続可能性に拘ります!

私が言うのも何ですがAdatara Trash Challengeは、参加者に非常によいフィードバックを頂けるイベントになりました。好きな山にいいことをして、そして参加者全員で楽しめる。終わった後には美肌の湯として評価の高い岳温泉に入っての癒し。

地域おこしとしても注目されるトレイルラニングですが、私は年に一度のレースなどのイベントでは、地域おこしは難しいと思っています。SUSKENERGYの社名の一部でもあるSustainability(持続可能性)。この持続可能性がなければ、地域おこしにはむすびつかないのではないかと。オリンピックが良い例で、オリンピックの前後に開催国が盛り上がっても、その盛り上がりが持続可能な活動にならない限り、一時のユーフォリアでしかありません。Adatara Trash Challengeは、私がガイドとしていなくても、mt.innでスコップ等の道具を借りて、山に行けばグリーンシーズンなら一年中毎日できる活動です。お宝を掘り起こすことが出来たらmt.innに飾ってもらえます。同じような活動が、日本中に広がって欲しいです。あっ、海外旅行に飢えている山好きのあなた、安達太良山でアメリカ西海岸の国立公園巡りしませんか?

*Tarzan 725 (2017年9月14日号)『福島県の安達太良山でしょう、まるで火星なんですから。』

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