見出し画像

山道を走り、衣食住自給のパラダイスを作る理由

Vol 2. 強いチャレンジャーになろう!

私は、未だ見ぬ景色を見たいという衝動に突き動かされ、普通無理だろうと思われることばかりやろうとする漢。未だ見ぬ景色を見たいという衝動で、30年間続けたサラーリーマンを辞め、福島県の原発事故の被害を受けた地域で風力発電所を開発し、風車と風車の間でオーガニックコットンを栽培し、再開される農業に彩を加える事業を立ち上げました。趣味のトレイルラニングでは、二晩寝ずに160㎞走り続けたこともありますが、その原動力も未だ見ぬ景色を見たいという欲求です。出身地である福島県の安達太良山を舞台に地域おこしの活動をしているのですが、安達太良山でも人々に未だ見ぬ景色を見せたいなと思っています。

順風満帆の20代

今から20年ほど前、日本の都市銀行の駐在員として住んでいた香港で走り始めました。平地は空気がとても汚そうだったので最初から走ったのは低いながらも山でした。

バブルの真っただ中に大学を出て、部活(アメリカンフットボール)の先輩に誘われ都市銀行に就職(1989年4月)。結婚し(1991年)、翌年には長女が生まれ、念願の米国へのMBA留学(1994~1996年)。MBAの進学先に大学の成績が影響すると知ったときに、ヒヤッとしましたが(学生時代に全く勉強していなかったため(汗))、第一希望のシカゴ大学に入れ、卒業後も希望通りの香港勤務。

世界の一流の金融機関と共同で取り組むアジアのインフラプロジェクトなどを担当しました。アジア各国への出張も楽しく、残業や土日の出勤もいとわず24時間戦うサラリーマンを体現していました。順風満帆の20代。でも、一年もすると、どの案件もプロセスは似たり寄ったりで、いくら収益が上がったか、市場でのシェアはどのぐらいかといったことにしか目を向けない周囲の目にちょっとづつ閉塞感を感じ始めます。

30台は激動の時代

30台に入りると仕事を取りまく環境は一変。きっかけは1997年夏に始まったアジア通貨危機。1998年暮れには、前向きな投資や融資が一切出来なくなり、会社は海外の政府や企業との取引という私の担当していた仕事から撤退すると決めました。顧客との取引を解消し、現地社員に解雇を告げ、勤務していた現地法人を清算するという超後ろ向きの仕事が当面の私の仕事。

同僚の邦人社員はどんどん帰国する中、私は香港に残されます。しかし、敗戦処理の仕事すらなくなってしまうと、まったくやることなし!出社はするものの、フェリーに乗って離島にランチに行ったり、夜になると同業他社の不良サラリーマンと夜な夜な香港のネオン街に繰り出す、タガが外れたサラリーマンになりました。


タバコを吸うほどの仕事のストレスもないことに気が付いて、タバコを止めたのが悪い方に出たようで、痛風にならなかったのが奇跡なぐらいの甲殻類食べ放題の香港美食生活が加速します。体重は現役フットボール選手時代を超え、歩くだけで膝が痛み出し、ココロも大いに痛み出しました。中学では、陸上、バスケ、駅伝と走る、飛ぶ、投げるはなんでもござれのアスリート。高校ではバスケでインターハイに出場し、大学のアメフトでは田舎のリーグとはいえポジションの最優秀選手。それが、平地を歩いて膝が痛い。

ここから反転攻勢

さすがに、ここをボトムに反転攻勢に転じます。夜の部活動を減らし、週に何度か香港島の夜景がきれいなビクトリアピークの中腹にある自宅まで職場から2~3㎞程歩いて帰り、休日には子供たち(香港で97年に第2子となる息子が産まれました。)を連れ、自宅からビクトリアピーク展望台までの片道約3kmの舗装された山道を300m程度登ります。斜度10度以上の登りが続く短くてもきつい登りですが、山頂に近づくにつれ展望が開け、気持ちよさと達成感を感じました。吹き抜ける風も心地よい。こんなことを週末に繰り返すと、徐々に体重が減り脚力が戻ります。

ビクトリアピークには、フラットな約2kmの展望周回コースがあり、ここでジョギングを開始。低山とはいえ景色を遮るものがない周回コースから見下ろす、高度感を伴った景色。眼下には高層ビルや海からそそり立つ急峻な低山という香港独特のパノラマが広がっていました。

脇道に入ってみる

慣れてくると展望周回コースには、何本も脇道があることに気が付きます。興味が勝り、脇道に入ってみると、その先にはトレイルを発見。トレイルをずんずん進むと小さな沢が現れ、木々の間から貯水池や海が見えます。景色の変化に時間の経つのを忘れました。地図などなく、方向感覚を頼りに、トレイルを辿ると再び展望周回コースに繋がります。これは、探検だ!知らない道の先には未だ見ぬ景色が広がっているという思いにココロがときめき、週末ごとに新しいトレイルの開拓に勤しみました。

1999年の夏に妻子が一時帰国すると、平日の朝は、自宅から山頂周回コースを走り、マンションの冷たいプールにドボンしてからの出社。週末になると、土日とも朝から晩までうだるような暑さの中、水場も木陰もない香港トレイルを一日中歩き続けました。ハイカーが少ないトレイルには毒蛇が潜み、捨て犬が徘徊していて怖い思いもします。猛暑の中、飲み水が切れ腹が減って歩けなくなることもありましたが、探検を続けました。

トレイルランナー渡邊千春誕生

秋になると気温も湿気も下がり、身体が楽になったと感じ、自然に走り出しました。バトラー山という香港島のど真ん中の低山でトレイルランナー渡邊千春が誕生しました。32歳のことでした。

走破する距離も20km、30kmと延び、香港トレイルだけでなく、近隣の島々にも遠征するようになりました。ドラゴンバックという高台から見える東シナ海の眺め、槍ヶ岳の頂上のような馬鞍山(マーオンシャン)山頂などは、香港で私が最も好きな場所です。

私の腕に抱えられ、私と同じぐらいの目線で香港の雄大な自然を眺める息子が探検の相棒でした。毎回、山行のフィナーレは、山道を降りた海沿いの村に出ると必ずある外れの少ない海鮮レストラン。定番の蝦蛄(シャコ)のピリ辛ガーリック揚げをアテにビールで乾杯!トレイルラニングを通じ、精神的なストレスもいつのまにかスッキリと解消です。

『Underdog mindset』に火がついた!

同じころ仕事にも、転機が訪れます。アジア通貨危機も、底が抜けたような危機的状況は脱し、落ち着きを取り戻します。会社も、以前と同じような投資や融資はまだできないながら、「どうにかして稼いで来い!」と言い出します。投資や融資はできないけど、稼いで来いだと~。そこで、私の『Underdog mindset』に火がつきます。

タイムリーに、東南アジアの某銀行がアジア通貨危機から立ち直るために、打撃を受けた中小企業に振り分けるための資金を日本政府から借り入れるという情報を掴みます。しかし、某銀行は、大企業との取引をする金融機関で、中小企業向けの金融ノウハウがない。そのため日本政府からの借り入れの話が進まず困っていると。

日本政府は、直接中小企業との取引が得意な地場銀行には融資できない事情もありました。駆け出しの銀行員時代に東京の下町浅草橋の支店に勤務し、取引先の社長にかわいがってもらっていた程度の経験しかありませんでしたが、中小企業向けにお金が流れる仕組み作りのアドバイスができそうと思い、早速提案活動を開始。

新しい仕事なので社内調整には大変苦労しましたが、アドバイスも受け入れられ、手数料を頂くことが出来ました。なんと、それまで融資をして得られる手数料を超える額の手数料でした!

仕事もトレランも一緒じゃん!

この仕事をやりながら、誰もやったことがない仕事ととんでもなく長い距離を道なき道を繋いで進むトレイルラニング(以下「トレラン」)に多くの共通点があることを発見しました(ちなみに、このころの私はトレランという言葉すら知りませんでした。なんせ、ただ一人で山を走っている野人でしたから(笑))。

コース選定、行動計画が一緒

トレランはコース選定、行動計画を決めることなどの事前の準備がとても大事です。今回の仕事で、顧客にどのようなアドバイスをするかという仕事の範囲、内容を決めることが、トレランのコース選定、行動計画を決めることと一緒だと感じました。

提案の中身、そしてどのように活動するかを決めるために、直接の顧客である某銀行だけじゃなく、その他関係者(資金の出し手の日本政府、某銀行の株主や取引先)、そしてそれらの関係者が求めるものを書き出しました(関係者同士の関係性などを地図を描いているように書き出します。英語では、なんとmappingと言います!)。そうやって提案の内容、そして誰に何時どのような形で提案していくか考えました。

地図を見て距離や地形などから行程の難易度を元に、トレランのコース選定をしているのと一緒だ!トレランでは、コースの途中でもきつかったら、止めて戻るポイントをいくつか設定します。この仕事でも関門を設け、振り返り、先に進むか作戦変更するかを決めました。初めての仕事でしたから、できるかどうかやりながら考えないといけないですから。マニュアルに従った仕事にはあまりないやり方です。

使えるモノがあるか?

銀行でも初めての業務でしたが、できると思ったのには、理由があります。会社と日本政府や顧客の某銀行などとの良好な関係や、会社にある中小企業取引の企画をする部門があったからです。それらは、経営資源と言い換えることもできるでしょう。カタチあるなしに拘わらず使いようによっては使えるモノ。そのような使えるモノがあるのか?ないのか?あっても使える状態か?使うのにどれだけの費用がかかるのか?

これは、トレランで水分や食料をどう補給するか?下山したらどのような交通機関を使い何時ごろ自宅に帰れるか?そんなことも山行計画と同じだ!この仕事をやり遂げた時、香港島を縦断する香港トレイル50kmを初めて一日で走り通した時のような気持ちになりました。結果が良かったのもありますが、事前の準備や考えた作戦をやり遂げた全ての過程に大満足でした。

トレランに出会った頃に、仕事も楽しくなった!

トレランに出会って(くどいようですが、トレランとは知らずに山道を走っていただけですが。。。)、のめりこんでいった時期と同じだったのは偶然でもあり、必然でもあり。どっちでもいいですけど(笑)

こんな仕事をしていれば、どれだけ残業をしても仕事のストレスとは無縁です。仕事の結果についても、他社とのシェアで比べられることもないのでストレスフリー。上司が、自分をどう評価するかなんか関係ない(と、思えばいい(笑))。自分の満足を目標とすることができると、それだけでやる気が上がります。仕事でも未だ見ぬ景色を見ることができって素晴らしい!

私に走ることの強みがあるとすれば、この仕事での強みと同じです。準備し、立てた作戦を冷静に実行すること。それがあるから他の人にできない仕事にチャレンジすることができる。どんどん大変なことにチャレンジできるのです。それが私の仕事強みでもあり、走ることの強みなんじゃないかと。

強いチャレンジャーになろう!

仕事でも、走ることでもチャレンジをすればするほど、チャレンジするための準備や作戦の精度があがり、作戦の実行がうまくなる。ボクシングでも、チャンピオンになるために大事なことは、強いチャレンジャーになることですよね。一人一人、強いチャレンジャーになる方法は違うでしょう。距離を踏み走力を鍛える人、心肺機能を鍛える人。私の場合は、事前の準備と立てた作戦の実行ができるということに対する自信です。あまりトレーニングをしないい訳にしか聞こえないですよね(笑)

リーマンショックの日に日本チャンピオン

国内外のトレイルラニングの大会に出て上位に入賞していたのは、40代前半の働き盛りの頃。外資系の金融で働いていた2008年9月14日に長野県木曽郡王滝村で、日本初のトレイルラニングシリーズチャンピオンになり、プロのランナーを従え、表彰台の一番高いところに立つことが出来たのは、かのリーマンショックの引き金となったアメリカのリーマンブラザーズという証券会社が経営破綻をした日の前の日。

私の仕事も、リーマンショックの前後数か月は激務を極め、一か月の残業が200時間を超えていました。走る時間がとれなくても強いですねと聞かれましたが、私は、仕事がトレーニングで、残業時間は人より余計にトレーニングしている時間ぐらいに思ってました。

誰もやろうとしない仕事

マニュアルがない仕事に興味がない方も多いと思います(笑)。でも、少数の方を対象に(苦笑)、どうやってそんな仕事を探すのか、私の秘密をお教えします。誰かがやらなきゃいけないのに、誰もやろうとしない仕事を探すのです。香港から日本に帰って、転職し、何度か転職しながらも、結局私は、そんな仕事ばかりしてきました。

できないと周りの人がみな思っているのですから、出来た時は未だ見ぬ景色を見れて痛快!出来なくて当たり前だし、チャレンジすることで進んだところまで未だ見ぬ景色を見れる。『Underdog mindset』の漢である私にはおあつらえの仕事です。

とびっきりの誰もやろうとしない仕事

振り返ってみて、一番だれもやりたがらなかった仕事をちょっとだけ紹介します!アメリカのGEという会社のCapitalという金融ビジネスに勤めていた時のこと。Caoitalはアメリカの会社ですからリーマンショックの直撃を受けました。Capitalには日本で買収した大口の投融資ポートフォリオがあり、リーマンショック後の様々な影響で1,500億円もの投融資が回収の危機にありました。

最悪、1,500億円の損失ですから、当時エクセレントカンパニーと呼ばれていたGE本体をも揺さぶらしかねない問題でした。本社直轄のワークアウトチームと呼ばれる回収専門チームを立ち上げる際に、日本人の責任者の一人を仰せつかりました。間違いなく誰もやりたがらない仕事ですよね!

アジア太平洋地区のMVP

だから、私は当然自分がやるのだと思ってました(笑)。本社や日本の上役の人たちも、皆とても協力してくれたお陰で最高の結果を出すことができました。Capitalというビジネスのアジア太平洋地区のMVPに選ばれたくらいですから(笑)。この仕事は、SUSKENERGYの風力発電事業に辿り着く重要な役割を果たします。

SUSKENERGYというだれもやらない仕事

SUSKENERGYの事業も、誰かがやらなきゃいけないのに、誰もやろうとしない仕事です。衣食住の自給率が高ければ、福島の原発の被害にあった地域の本当の意味での復興につながるというアイディアと、そのアイディアが間違ってないけど、やる人がいない、だったら私がやろうと。次回は、SUSKENERGYの事業に辿り着くまで、そしてSUSKENERGYの事業の状況をお話しします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?