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山道を走り、衣食住自給のパラダイスを作る理由

Vol 3. 復興には風車しかない!

私は、未だ見ぬ景色を見たいという衝動に突き動かされ、普通無理だろうと思われることばかりやろうとする漢。未だ見ぬ景色を見たいという衝動で、30年間続けたサラーリーマンを辞め、福島県の原発事故の被害を受けた地域で風力発電所を開発し、風車と風車の間でオーガニックコットンを栽培し、再開される農業に彩を加える事業を立ち上げました。趣味のトレイルラニングでは、二晩寝ずに160㎞走り続けたこともありますが、その原動力も未だ見ぬ景色を見たいという欲求です。出身地である福島県の安達太良山を舞台に地域おこしの活動をしているのですが、安達太良山でも人々に未だ見ぬ景色を見せたいなと思っています。

常に最前線で戦う金融マン

日本の都市銀行を皮切りに、何度か転職を挟みながらも、社会人になってから20年近く私は最前線で戦う金融マン。アジア通貨危機、リーマンショックという二度の金融危機に、震源地直下で過酷な状況で戦い、そして生き残ったのが勲章です (笑)。アジア通貨危機の時には、邦銀の派遣員として香港をベースにアジア各国の政府、インフラプロジェクト、金融機関、企業向けの取引を担当していました。リーマンの時には、外資系の証券会社の米国の国債からインチキじゃない証券化商品を扱う外債デスクのセールスマン。

金融の芸風を捨て、エネルギー事業の仕事にFA!

私は、福島県出身です。東日本大震災の地震と津波による被害、そして原発事故の様子をニュースで見るにつけ、震災直後のパニックモードから、次第に無力さを感じ始めます。特に、仕事の金融が何のチカラにもなれないことにです。おカネには人に希望を与えるチカラがないと感じました。仕事でも福島のために何かしないとと。当時、アメリカのGEという会社のCapitalという金融部門でリスクマネジメントのマネージャーをしていました。

GEには、Renewable Energy(以下「REN」)という風力発電所で使う大型タービンなどを製造、販売するビジネスがあり、調べてみると日本のRENに、募集しているポジションを発見。外部から風力発電に関する業務経験者を採用しようと動いているとのことでしたが、無理を承知で野球のFAみたいな自主的な社内異動の仕組みを使い応募します。FAもそうですが、ダメだったらCapitalに戻れる保証はなくGEを辞めることになるかもしれないと思いつつ(苦笑)。

畑は違いますが、Capital時代にMVPをとった実績には一定の説得力があったようで、RENの仕事を見事勝ち取ることが出来ました!誰もやらない仕事をやってきたことが、新しいやりたい仕事に繋がりました。良かった~。ほっとしました。まだ、子供たちは金のかかる学生でしたし、転職適齢期はとっくに過ぎていましたから。もちろん、私にしかできない仕事をする気満々です。

福島の再生可能エネルギー

移籍後、力を入れたのは、2040年までに県内で使う分ぐらいは県内で再生可能エネルギーを作るという目標を掲げる福島県への提案です。太陽光のパネルを広大な土地に敷き詰めるメガソーラーや、山を切り開いて作る風力発電所のような、資金力さえあればできる事業は、黙っていても大企業が進めます。日本では、太陽光や風力などの再エネで電気を作る発電所は、作ればとても儲かる仕組みになっているんです。

再エネで作った電気は高いと良く言われますが、そんなのはうそ。だって太陽光や風力は燃料がいらない電源ですから。再エネ事業に投資する投資家や、機器の販売、設置等をする事業者がもれなく儲かる仕組みを維持するために電気代が高くなっているというのが実態です。まして、行政が再エネ事業に協力的で、送電線を整備し、規模の大きい再エネの発電所を作りやすくする福島では、さらに儲かります。

誰も思いつかなかった提案

GEの提案は、資金力にものを言わせ再エネ事業を進める大企業には視野に入っていない沿岸部の平地での風力発電事業でした。原発事故で避難指示が出ている土地を借りて、農業の復興に寄りそう風力発電所を開発するというアイディアでした。沿岸部は、日本で風車が沢山建っているような山の上や日本海側の海沿いのような強い風の吹く場所ではないので、風力発電は無理だと一般的に思われている地域です。しかし、提案するからには勝算がありました。

風力発電所を作るために必要な1)土地、2)風、3)電気の買い取り、4)大きなタービンやタワーを運ぶ交通インフラの4つの条件にについて、こんな分析をしています。

1)土地

風力発電所って山の上に作るんじゃないの?

陸上の風力発電所を作るにあたって最も大事なのは、土地の確保。日本の大きな風力発電所は、山の上に作られることが多いのですが、これは、風が強いことと山を切り開いて土地を確保しやすいという利点があるから。

しかし、山を切り開き、山の事業地まで新しい道路を造成し、風車と風車の間も幅10mぐらいの作業道を切り開き、山の上まで見たとこともないほど大きい風車のタワーやブレードと呼ばれる羽根を超大型のトレーラーで運ぶので、初期投資が大きくなります。事業者が初期投資を回収しやすくために風車の電気代を高くしているです。

平地で事業をしよう!

私は、不幸にも避難指示が出ているため今後利用方法を考えなくてはならない広大な土地で事業ができると考えました。原発を挟んで東西南北20㎞に避難指示が出ていました。大型風車を沿岸部に3列500mおきに並べると240基並べることが出来ます。当時、陸上の風車で最大級の一基あたり4MW(現在は、5~6MW)を並べると、原発一基分(約1GW)の発電ができます。原発一基分って迫力あるアイディアじゃないですか?

除染が進み、元住民が戻ってくることも予想されるので、その通りには行かないかもしれません。しかし、風車はどんどん大型化しているし、福島県沿岸部の風は大型化に適した風なので、本数が減っても原発一基分は目指そう!

地元が求める発電所にするために

もちろん、住む人が増えれば、より地元に受け入れられる風力発電事業にしないといけません。このようなことも、環境アセスメントという手続きで利害関係者と議論されることになります。かなりの割合の土地が、コメ作りで使われていたので、風力発電と農業の親和性の高さがまずアピールポイントです。

太陽光のパネルを敷設してしまうと、土地を農業で使うことは将来にわたって難しくなります。今、農業の担い手がいないのに、20年後太陽光のパネルで覆われた土地を使って再び農業をする人なんかいる筈がありません。

1㎢の土地(100HA)があれば、風車を3基ほど立てることが出来ますが、100HAとは、田んぼが約1、000枚。風車1基設置するために使えなくなる田んぼはたったの1枚。風車3基で田んぼ3枚(風車が設置される場所以外にも、作業をするヤードなどが必要ですが、ヤードは、使わないときは使わないスペースなので、必要な面積には入れていません。)。

ですから、997枚の田んぼは、田んぼとして使えます。風車3基と同じ程度の発電量の太陽光発電は、100HAの半分ほどの面積をパネルで覆わないといけないので、風力発電の農業との親和性の高さをお分かりいただけると思います。

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農業の再開を後押しするのは非常に大きいポイントだと思いますが、さらに農業に付加価値をつける工夫も考えなきゃいけません。地元に裨益し、広く受け入れられる仕組みを沢山考え、導入しようと考えました。

2)風

えっ、あんまり風が強くないの?でも大丈夫!

福島県の沿岸部は、あまり強い風が強く吹く場所ではありません。日本では、事業化されたことがない5m/秒前後の風速ぐらいです。しかし、このぐらいの風なら、他の国では最新の大型の風車で事業が行われているんです。但し、大型の風車は、台風が強い勢力のまま上陸するような場所には設置できません。風の強さで風車が壊れてしまうからです。

福島県は、宮城県や岩手県もそうでしたが、観測史上台風が上陸したことの無い場所です。地形によって風が乱れたり、爆弾低気圧やゲリラ豪雨など過酷な気象条件が多く発生する地域にも設置できません。福島の海沿いは、東北のハワイと呼ばれるぐらいあだやかな気候で (笑)、沿岸部の海沿いの平坦地は、風が荒れ狂うことも考えにくいです。

3)電気の買い取り

元々原発があったじゃない!

沿岸部はもともと福島第一、第二発電所という日本でも有数の大規模な原発があり、東電管内に電気を送っていました。その送電網が使える筈だ!東電管内は、日本最大の電気の消費地ですから、電気を作れば作っただけいくらでも買ってもらえる。九州では、原発が再稼働したために、天気の良い日に太陽光発電が発電した電気を、電力会社が買い取らない日があります。なんて、ナンセンスなことかと思いますが、東電が原発を再稼働するなんてまずないと感じていました。

4)大きなタービンやタワーを運ぶ交通インフラ

交通インフラ完璧です!

事業をする沿岸部の場所まで、風車を支える直径5m弱のタワーや、一本60mを超える風車の羽根(ブレード)などを海外から持ち込むための港や道路などの交通インフラも必要です。福島県沿岸部のプロジェクトでは、相馬港や小名浜港で、大物を船から降ろし、ほぼ海沿いをまっすぐ繋ぐ国道6号線で大型のトレーラーを使って運べそうでした。正直のところ専門家の見立てでは、ガードレールや街路樹に引っかかるところも何か所かあるものの、やる気があれば解決できない障害ではないと。

絵にかいた餅にしない!

このような分析をもとに、GEの風車タービンを買って事業をしてくれそうな事業者に働きかけました。GEは風車タービンのメーカーなので、買ってくれるお客さんがいないと沿岸部の大型風車プロジェクトと言うアイディアは絵にかいた餅です。日本では、福島の沿岸部のような風の弱い場所で風力発電事業が行われていないと、なかなか前向きに取り合ってくれない事業者が多い中、2社検討したいという会社が現れました。

風の条件は、環境省が日本各地の過去数十年間の風の条件を公表しています。もちろんこれは粗いデータですが、このデータによると平均5m/秒前後の風が吹くエリアで、それに加えて我々の分析をもとに前向きに検討してくれるとのこと。福島県の沿岸部から10地点ぐらいを選び風の調査を始めよう!いよいよプロジェクト始動です。

風の調査は一か所1千万円

風の調査の仕方ですが、高さ50m~60mのポールを建てその先に付けたセンサーでデータをとります。ポールは、4方からケーブルで引っ張って支える構造で、一か所当たり一辺が50mぐらいの四角い土地が必要です。まだ避難指示が出ていたこともあり、ポールを建てる場所を探すために沿岸部に入るには行政の許可が要ります。何度も何度も避難指示が出ている自治体に入り、車で走り回り、適当な土地を見つけ、その土地の所有者を探し当てて調査のために土地を借りる交渉をしました。

書くと簡単に聞こえますが、効率の悪い作業です。半年近くかけて最終的に、土地の所有者と条件が合った7か所で1年間調査をすることになりました。調査ポイント一か所あたり一年間調査するのに一千万円ぐらいの費用と時間がかかります。事業者に名乗りを上げてくれた2社も、時間とお金をかけて協力してくれました。私は、現地を車で走りまくり、タクシーの運転手ができるほど、現地の道を覚えました(笑)

思った通り弱い風、でも。。。

風の調査を始めて一年が経過。数か月後に調査結果が出ました。環境省が公表しているデータとほぼ同じ平均5m/s程度の風速です。風車に負荷をかける過度に強い風の乱流もないというのも予想通りの結果。しかし、事業者候補の2社は、それぞれ社内で検討した結果、やはり風が弱いのでこれ以上時間とお金はかけられないとの判断でした。

事業予定地で、風の調査をしたのですが、調査をするだけでも、地元との調整にてこずることを目の当たりにして、事業を進めるための現地との調整がよりハードになることは容易に予想され、そこの覚悟がないとやはり大企業には難しいのかなというのが私の印象です。資金力だけで、沿岸部の風力発電所はできないということ。

さあ、どうする

さらに事業が成立するか調査を継続するための数千万円ぐらいならGEも出せるかもしれませんが、あくまでGEは発電所に必要な風車タービンという機器のメーカーであり、サプライヤーですから、発電所建設に必要な数十億円の投資をしてGEのタービンを買ってくれる事業者がいないと、このプロジェクトを進めることはできません。諦めモードで、福島に向かいました。

沿岸部の事業化を検討していた地域で、避難指示解除後戻って住んでいる住民や、避難しているものの現地の土地を所有している元住民などに対し、私がこれまで事業プランを説明してきたので、そのような方々や行政に対し2社を事業者とする風力発電のプランは一旦白紙だということを伝えに行った時のことです。ある方に声をかけられました。

それで、渡邊さんはどうするの?

「あの風車の話、将来農業を再開するためにとても良いアイディアだと思ってたんだけどな~」、「それで、渡邊さんはどうするの?」。GEはどうするのと言われれば、新たな事業者を探しますと答えるつもりでしたが、私がどうするは正直想定外。この時、私の『Underdog mindset』に火が付いたのです。一瞬考えたのち、「GEを辞めます。この事業やります!」。

あっ、言っちゃった。でも、仕事で福島へ貢献がしたくて、金融最前線のキャリアを捨て、リスクを負って転籍したのですから、時間をかけて考えても結論は同じだと思いました。目指していたのは、この事業を通じて復興に貢献できること。GEの社員という立場であろうとも、そうでなかろうとも。その方も、「なら、俺も一緒にやる!」とその場で言ってくださいました。

Underdog mindsetに火がついた

その方は、一緒にSUSKENERGYを創業した5人の共同創業者の一人で、震災まで、事業地の有力な候補の一か所だった、南相馬市小高区井田川に住み農業をしていたとてもパワフルな三浦広志さんです。再び井田川で農業を始める強い意欲を持って、太陽光発電を始めたり、出来る範囲で農業の再開を目指し行動を起こされています。

パラダイス計画とともにSUSKENERGY創業

三浦さんは、風車と新しい農業の組み合わせを気に入って「パラダイス計画」と名付ていました。GEというグローバルカンパニーが福島の復興に力を尽くすという考えに共感して、綿作りのところで協力を申し出てくださったAvantiの渡邊智恵子さんも共同創業者の一人です。私が、GEを退職したのは、2017年年末のことです。それからほどなくして合同会社SUSKENERGYを設立しました。

無報酬の時代も色んな助けがありました!

GEを辞めてSUSKENERGYという会社の社長になっても、会社は風車が稼働するまで一切収益を生みません。しかし、色々な方が、私に手を差し伸べてくださいました。福島市の北芝電機という地元の電力関係の会社は、私がパートで勤務するカタチをとりながら、SUSKENERGYの仕事をさせてくれました。大変ありがたかったです。

地元に受け入れられる事業にするために、特殊な保険が必要と考えていたのですが、世界中の保険会社と話す中で、そんな保険をつくれると言う保険会社が一つだけありました。ドイツのミュンヘン再保険という会社です。

ミュンヘンの会社まで助け船を出してくれた!

再保険会社は、保険を保険会社に売っている会社で、普通は黒子なのですが、ミュンヘン再保険には、Green Tech Solutionsというチームがあり、再生可能エネルギーや環境をきれいにする技術等、技術革新のスピードが速く、一般的に機器やサービスの性能が良く分からない新しい技術の性能を保証する保険を開発しているとのこと。

そのような保険を活用すれば、福島県の企業が提供するパーツやサービスを使え(つまり、地元の雇用が増える)、地元の人たちが安心して風車に投資することが出来るようになります(配当のカタチでより多く地元に還元することが出る)。オーガニックコットン栽培や、加工、製品化で新しい魅力的な産業と相まって、世界でも類をみない、地元還元型の風力発電所が一歩現実に近づいて身震いする思いでした。さらに、ミュンヘン再保険は、東京にある日本支店で社員として働いたらどうかと誘ってくれました(SUSKENERGYの仕事と兼業)。

コロナ禍でも続けられる

GEのRENを辞めて3年経ちますが、コロナ禍でも路頭に迷わず、SUSKENERGYの事業を続けられるのは、ミュンヘン再保険のおかげです。さらに、保険の仕事を通じ、福島だけじゃなく地球にプラスになる新しい技術を広めることが出来るようにもなりました。

SUSKENERGYは破壊者(Disruptor)

私の個人的な意見ですが、特に過去にとらわれ、新しいものを取り入れるのにブレーキをかけるのは大企業です。最近は、SDGsという流行言葉に乗っかって、大企業もイメージアップを図ってますが、間違いなくSGDsが最優先ではありませんし、そんな簡単に変わりようがありません。保険は、SUSKENERGYのようなスタートアップが、大企業中心の経済をぶっ壊すほどのインパクトのある事業をするためにカギを握るピースだと思います。そう、SUSKENERGYは保険という武器を使う破壊者(Disruptor)なのです!

GE RENの私にできなくて、スタートアップ企業のSUSKENERGYの私にできることは沢山あります。スタートアップ企業について論じた本では、このようなぶっ壊し屋のことをDisruptorと呼んでいました。私は、『Underdog mindset』で最強のぶっ壊し屋になろうと思います!

オーガニックコットンづくり

風車と風車の間では、三浦さんが先頭に立ってコメ作りを再開するよう頑張っています。SUSKENERGYの事業として、コメ作りに加えて魅力的な農業を育てる目的で、4年前からオーガニックコットン栽培に取り組んでいます。栽培している綿は日本古来の茶綿という茶色っぽい綿です。

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福島で収穫されたオーガニックコットン

オーガニックコットンというと、上品な女性とか赤ちゃん用というイメージがあるのですが、SUSKENERGYでは、アクティブな私のような男性が着たくなるようなジャンルを切り開きたいと考えています。広告塔は、私です(笑)。

100マイルのトレイルレースで耐久試験

山道を走るトレイルラニングが趣味の私は、世界各国の未だ見ぬ景色を見たいという強い気持ちに煽られて、二晩ぐらいは寝ずに長い距離を走り続けます!次のレースは、2021年6月にアメリカのカリフォルニア州で行われるWestern States Endurance Run (WSER)という、100マイル(160㎞)のレースです。世界で最も歴史のある100マイルレースであること、エリートランナーが沢山出ること、そして約250名の一般ランナーが応募しても25名に1人の確率でしかほ選ばれないほど人気で、この業界では最注目されているレースです。

このレースには、ペーサーという最後の60㎞の区間、ランナーである私と並走するランナーもレースに参加できるのですが、私は日本のトップランナーの山田琢也さんと大瀬和文さんを指名しました。そしてチームのまとめ役として、私が、中学生のころから愛読していたマガジンハウスのPopeyeや、体育会アメリカンフットボール部の選手だった大学生時代に細マッチョならぬ太マッチョを目指して読みふけったTarzanを創刊から育てて来られた伝説の編集者内坂庸夫さんにレースへの同行をお願いしています。

オーガニックコットンのパフォーマンスウェアがチームのユニフォーム。チームのオフィシャルフォトグラファーの藤巻翔くんの写真で、トレイルラニング界のインフルエンサーである皆さんにオーガニックコットンのパフォーマンスウェアのロールアウトに花を飾ってもらいます。

ショーケースプロジェクト

現在の風力発電所の開発の状況です。コロナ禍の影響もありますが、作った電気を東京電力に売るという手続きがややこしいことになり、この手続きに時間がかかっています。しかし、第一期のプロジェクトの事業地に選んだ、三浦広志さんがかつてコメ作りをしていた田んぼのある地区の農地の整備計画が固まり、その計画が決まるまでは風車タービンをどこに配置するか決められない状態が解消されました。

事業規模が風車3基、15MW程度を想定していますが、この規模では環境アセスメントという手続きに3~4年時間がかかる手続きがあり、風力発電所の建設はそれからです。その間、事業地に貢献するためのオーガニックコットン事業を進めてい行くこと。環境アセスメントの過程で、現地住民の方への事業の説明をすすめ、広く深く理解を得ていこうと思っています。

おカネはどうする?

風力発電の建設には数十億円かかりますが、「スタートアップのSUSKENERGYにできるの?」という質問をよく受けます。建設資金どころか、出来なければどぶに捨てることになる開発費用だって数億円かかりますから、そのすべてをSUSKENERGYが負担するのは無理かもしれません。ただし、開発費用も、今すぐに億単位の資金が必要なのではなくて、3~4年の開発期間の後半にかけて負担しなけれなならない費用です。

今は、創業者5人のチカラで何とか資金は持ちこたえることが出来ています。その間に、これまでに未だ世界中の誰も見たことのない風力発電所構想をより具体的にします。後から開発資金や建設資金を共同で負担してくれる事業パートナーを呼び込むつもりですが、風力発電所の開発、オーガニックコットン栽培、コメ作りの再開という衣食住の自給というSUSKENERGYの目標をカタチにします。

SUSKENERGYが目指す衣食住自給は、福島の復興へのチカラになることだけじゃなく、これからの日本に必要なことだと確信しています。限られた地域の自給ではなく、日本の地方の為のショーケース事業とするアイディアは、次回お話しします。


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