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他人との違いの中で「やりたいこと」を見つけ出す

これは持論だが、人間の欲求や願望は、無意識の行動にこそ反映される。

そして、多くの場合、人は自分自身の無意識に気づかない。

むしろ、意識が何かを縛っていることの方が多い。

ゆえに、常に言葉と行動は一貫しない。

私がバーチャルに興味を持った理由のひとつは「やりたいことを見つけ出す」ためだ。

また、Vi-Cross記事のテーマとして「多様性」を取り上げているのも、極論すれば「自分を見つけ出す」ための材料にしたかっただけであって、本音で言えば「多様性を認め合おう!」なんてキレイゴトを言うつもりなどない。

人は、他人との違いの中で自分を自覚し、己の役割を見つけ出す。

たとえば「自分が日本語を話せてすごい」という事実は、外人と日本語圏で話すことで強烈に認識できる一方で、自分自身は他国言語を話せないという悩みに気づくことになる。

これが「日本語コミュニティ内」であれば、相手に日本語を覚えてもらうか翻訳ツールを使いながら手探りで意思疎通とればいいだけの話だが、自分が英語圏のコミュニティに属するなら英語を覚えた方がいいだろう。

仮に「多様性を受け入れている」と相手に思わせたいのであれば、時に「これまでの自分を曲げてまで相手に合わせる」という選択肢を取らなければならない。

「そこまでして他人に合わせたくない」
「わかってもらえる人にだけわかってもらえればいい」

こういう声もあると思うし、実際はこっちの選択肢の方が楽である。また、多くの人は「自分に合わせろ」という態度を選ぶことが多い。

私自身も、相手が「こいつは自分に合わせる気がない」と判断したらほとんど自分の持論や態度を曲げないし、逆に柔軟に相手の考えを受け入れたり意見を変えられる相手とはこちらもそのような態度で接する。

よって、ある人は私に対して「機械的で人間を辞めたドライな人間だ」と称するものもいれば、逆に「とても感情的だ」「気さく」と評価する人間もいる。

話を元に戻そう。

他人との違いの中で「やりたいことを見つける」という話だ。

ゆとり世代に該当する20代後半~30代の人間なら、おそらく「将来はやりたいことをやれ!」と言われてきた人も少なくはないだろう。

その結果、やりたいことの代名詞であるクリエイターやアーティストを目指し、VTuber等の活動に流れついた人もいると思う。

だが、この「やりたいことをやれ」を貫くのは死ぬほど難しい。

事実、やりたいことをやった結果、無責任に活動を放棄してしまう人や、やりたいことに対して実力が伴わない人、あるいはやりたいことと求められることが違い過ぎて途中で折れる人も非常に多い。

やりたいことをやり通すためには、能力も実力も責任も覚悟も、すべてがいる。

もちろん、やり通さないで中途半端にやるのであればそこまで必要ないし、中途半端が悪いわけでない。

冒頭に話した通り、人間の行動は無意識に左右されている。

たとえば、私はVR関連で活動する人との接触で、ことプログラミング言語に対しての興味関心が強くなってきている傾向があったので、多くの方から勉強法やヒントをもらい、少しずつ学習している。

過去に作曲をしてた経験もあるため、バーチャル関連で音楽関連の活動をされている方の考え方や人生観を通し、また作曲に挑戦できないものかと考えだし、過去の「やりたかったこと」の実現可能性を取り戻している。

「やりたいこと」は「やりたかったこと」とも言い換えられる。

人は、現実の壁とぶち当たることによって「やりたいことを奪われる」ことも少なくはない。

その過程で「やりたいことをやってはいけない」「やりたいことをやるのは難しい」と意識づけられ、自分の動機や願望を殺していく。

また、現実を知る過程で、やりたいことを実現するための工数や面倒を理解することの方が多くなり、やりたいことをやるよりは、やりたくないことをやらない選択を取りがちとなる。

何度も言うが、やりたいことをやるのは非常に難しい。

自分の無意識を自覚し、動機や願望と向き合い、実現するための面倒事を潰していかなければならないからだ。

それも、やりたいことをやるために、他人の力が必要であれば協調性や交渉力、お金が必要であれば稼ぐ力や貯める力(資金調達力)、飽きないためのモチベーション管理、やり通す集中力など、様々な能力も必要である。

何より、世間体や他人の評価、社会的価値観(登録者数や利益)と言った、やりたいことをやるためにつきまとう他者評価を振り払う意志の強さがなければ、やりたいことをやり通すのは難しい。

事実、やりたいことをやるの代名詞とも言えるVTuberでは、多くの企画が頓挫するばかりか、プロと言える企業VTuberや有名VTuberも次々と引退していった。

挑戦する意志

「やりたいこと」は「挑戦する意志」とも言い換えられる。

極論、VRもバーチャルもVTuberも、世の中には必要のない技術や概念であるが、受け入れられている以上は新たに必要とされている証拠でもある。

少なからず、バーチャルを通して何らかのチャンスを得た人は多いはずだし、成功した人間もいると思う。

また、今まで自分1人では成し遂げられなかった何かに挑戦し、何かを得た人もいるはずだ。

私自身、バーチャルという未知の荒野に挑戦する意志に触発されて、何かを取り戻しつつある。

幼い頃に夢見てがむしゃらに進んでいたような、現実を知らないでただ突き進むことだけを考えていたような、あの時の自分を取り戻すために、ここに戻ってきたのかもしれない。

それが事実かどうかは、自分の心に聞けばいい。

他人が決めることではない。

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