死ヲ想フということの贅沢
--前置き--
この文章を書こうと思った契機が、友人が愛猫の死に対して「言語化」を行っていたためであり、それに触発されたことは、あらぬ憶測や誤解を生まぬように初めに明記しておきたい。
加えて言えば、私は、他者が経験した別離や喪失に対して、安易に共感やお悔やみの言葉を送って「気を遣ってるフリ」ができるほど器用な人間でもないし、そんなもので気が晴れることは、まずない。
他人が何を言ったところで、結果が覆ることもなければ、失ったものの代わりにもならないし、傷が癒えることなどない。
それ以上に、他人の痛みや傷を奪うことは、人が何かと向き合い、乗り越える機会を奪うようなものだ。
結局のところ、自分の問題は自分自身で向き合い続けることでしか、真の意味では乗り越えられないのである。
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在りし日の記憶の明確な「消失」には、餞の花束、あるいは鎮魂歌が必要だ。
人間は歴史上、常に「死」という不確定要素に怯え、克服し、また怯えるという反復を繰り返してきた。
未知の病が災いとして降りかかる度に祈り、科学の力を持ってしても防ぎようのない災害に見舞われる度に祈り、同時に、人類の無力さと、それでも摂理に抗おうとしては打ちのめされる愚かさを思い知らされることとなる。
このどうしようもない「死」という恐怖を「言葉」で克服しようとした試みが「宗教」なのだと思う。
一説によれば、生前の行いが善いと極楽浄土に行けるらしいし、審判の日の地獄行きの判決が下されないで未来永劫安らかな魂でいられるらしい。
穏やかな日常の繰り返しは、ちょっとした神の気まぐれで終わる。自分の願う・願わざるに関係なく、突然として、終わりを迎えることとなる。
大切な何かを欠損しながら、生きる意味を失い、再び生きる意味を見い出すこともできず、それでもどうしようもなく生きるしかない。
かくいう私も、未だに何も見出せないまま、ともすれば、何かを書こうという気力も湧かないまま、ただ意味もなく生きている。
なので、とくに意味のない言葉を、できれば、大半の人には「何を言ってるか理解できない」と無視される言葉を、久々に私自身から生まれた言葉で紡ぎあげたいと思う。
「言葉にすることすらできず、自分の無力さと後悔に苛まれていた」
感情とは、必ずしも瞬間的ではなく、一義的なものでもない。
喜怒哀楽すべての感情が一気に噴き出すこともあれば、過去のことを思い出すだけで怒りや哀しみが当時よりも強い形で蘇ることもある。
ゆえに、何らかの感情を揺り動かす出来事に対して「泣いていないのは悲しんでない証拠だ!」「怒っていないのは人の心がない証拠だ!」と決めつける輩は、自分自身の感情表現方法が他者にも全て当てはまると勘違いしているか、想像力がないか、いずれにしても、人間の感情の多様さや複雑さをまるで理解していない証拠である。
面白い話がある。
我が家の猫が老衰して死ぬ間際、親猫が鳥を狩ってきて玄関先に置いていた。
その行為や事象そのものに、おそらく、深い意味はない。たまたまかもしれない。
しかしながら、生物として「己が生き残るためには他の生命を奪わなければならない」「生き残りに適した優秀な生命体を生き残らせることを優先する」という生存本能のようなプログラムに沿って言えば、死の見えてる子猫のために自ら狩りに赴くとは、野生動物らしからぬ、極めて人間的な温かみのある行動ではないか。
一方で、猫は出産後にも平然と我が子を殺すこともある。現に生まれた子猫2匹は親により殺された。
子育ての匙加減がわからず強く噛みすぎてしまったのか、本能的に殺すべきだと野性の勘が判断しての行動だったのか、それはわからない。
人間にも、しばしば、親が子を放棄して殺したり、逆に子が親を殺すなどの事件が起こる。
この場合、自分の生存や快楽のために子が不要と感じたゆえのネグレクトであることが多いと論じられる。そうでなくでも、少なからず、そのように因果を誤解させるような報道や見解がなされ、主流を占める。
おそらく、その方が犯罪心理のような「不可解な現象にそれらしい理屈をつけて人の不安を埋める」役割を持つ論理においては、納得できる人が多いからだろう。
いずにしても、生物の死や殺生に関しては、観念的にも、心理学的にも、科学的にも、哲学的にも、様々な解釈や理屈づけが為されるのである。
ただ、私が生物の死に際して感じたことは「そんなに簡単なロジックで表現できるほど、喪失に対して人間が抱く感情や変化は単純ではない」ということだ。
現に私は、誰かの死や別れに際して、自分の力の無さや不甲斐なさ、期待に応えられなかった未熟さ、分かり合えなかったことの多さ、あらゆる後悔と無力感に苛まれていた。
理屈で理解していることと、実際に芽生える感情や状態は、思っていたものとまるで違った。
そして、いつしかそのことにも慣れてしまい「自分は何も変えられない矮小な存在なのだ」と、少しずつ諦めを覚えていくことにもなる。
そうした経験を重ねていくにつれ、どんな言葉も陳腐で、自分の心情を的確に言い表わせるものもなく、ただ「沈黙」するほかないのである。
現代社会において、気軽に大衆が他人の死に関してアレコレ言及しているのは、言葉を用いる者の傲慢であることを自覚しなければならないのかもしれない。
「見知らぬ地への旅路で、言葉にし得ない想いを抱えたまま、何かに出会う」
咄嗟の旅程、旅路の電車の中での出来事だった。
港町から乗車した初老の女性に、席を譲った流れで、ちょっとした会話を交わした。
どうにも、遠方より孫の運動会の様子を見に来た帰りであったらしい。
それを見知らぬ青年に話すのだから、よほどそのことが楽しみで、満足な帰り道であったのだろう。
ふと、数年前に亡くした祖父のことを思い出した。また、ちょうど旅路が祖父を亡くして目に見えて老衰していく祖母と会うために使っていたこともあり、孫である自分や祖父母の姿を重ねることは容易かった。
そのため、亡くなった祖父とまだ存命の祖母の話を、見知らぬ相手に話すこととした。
その時、相手が返してくれた言葉によって、少し自分が救われた記憶がある。
旅路の一期一会、これからの人生でも関わることのないだろう相手と、ふとしたきっかけで、そこに至るまでの経緯や抱えた想いを、一瞬でも分かち合うことができたのだ。
SNSで分かり合えないまま衝突し続けなり、近くに何年も一緒にいるのに互いの感情も理解し合えないまま平行線が続くなど、そんな現代社会においても、わずかな奇跡に出会えたような気がした。
こうして、人は、あるいは生物は、非合理で何の役にも立たない想いを受け継いで、不安の中で確固たる自我を築いて、生きてきたのだろう。
それは、ここにいる自分自身が、紛れもなく、何かを受け継いで、何かを誰かに残した、生きた証を刻み続けているのだと、いつか、気づけるようにと…。
「誰かの死んだ魂が、今生きる人々を、強く睨みつけていた」
我が国において歴史的に重要な意味を持ち、また現代社会にも深く影響を与えている、かの第二次世界大戦において、失われた英霊たちの魂を祀る地がある。
靖国神社だ。
今年、5月、彼の地に初めて足を踏み入れる機会を得た。
きっかけは「なんとなく」だ。
宿泊地から徒歩で行ける距離であったため、祈っておこうかと思った。
靖国神社境内にある「遊就館」という施設において、戦没者約6000名の名前と顔写真が祀ってある空間は、荘厳でありながら安らぎも感じ、また、国のためと信じて散っていた命に睨まれてるかのようでもあり、圧巻された。
別に「戦死者のために今生きる我々も立派に生きなければならない」などとキレイゴトを言うつもりもない。
テレビの中の戦争や事件を暇つぶしとして消費する程度には退屈で、生きることに必死になることがない今の日本の平和というものは、先人たちが望んだことを紡ぎあげた結果、今生きる我々が苦労することもなく享受できる遺産なのである。
これもまた、一つの「受け継いだ何か」なのであろう。
そして、あの空間において、このような想いを抱くことができ、自分の在り方を確かめることができ、祈ることも無視することも自由で、こうしてまた何らかの爪痕を文字に起こせ、他者に読ませることも容易なことは、今生きてるものにとっての贅沢でもある。
何かを残せることもなく、また記憶として語り継がれることもなく、無意味に散っていく命もきっとこの世に無数にある。
総体として見れば「○万人の死者」として統計的に軽く扱われる命の存在も、その個々には複雑な背景や物語が、必ず備わっている。
そこに気づけるか、想いを馳せられるかは、今生きている人の自由意志に委ねられているし、残念ながら、当人の想像力や感受性も求められる。
ただの数字にも、無機質な死にも、意味を宿せるかどうかは、今、ここに生きてる人間の意志次第なのだ。
傷痕は、やがて洗練された感情となり、言葉となり、記憶として継承され、たとえそれが事実からかけ離れていくとしても、人間は、忘れることで、風化させることで、時に昇華させることで、喪失することの痛みを乗り越えていく。
もし、また私が、わざと時系列も関連性も濁し、抽象表現も多分に含めた文章を公開してしまった結果、読んだ者が「何を言っているのかわからない!」などと言ってくることがあれば、それはおそらく、自分しか理解できない「ナニカ」を手に入れた証拠なのだから、今度こそは胸を張ろうと思う。
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