パンクロックと箱根駅伝 31話

気がつけば、まるで砂漠の村を無慈悲に襲った洪水如く、自分の人生をめちゃくちゃに揺さぶった秋が終わりを告げ、寮の目の前にそびえ立つある名も知らない広葉樹の老木には、申し訳なさそうに枯葉が数枚残っているだけになっていた。そう12月に入ったのだ。
俺は、マネジャーの仕事に少しづつ慣れて初めて来ている。トロール大沢に嫌味を言われても虫の音色の様に聴こえるほどだった。(本当は心がマヒしてるだけなのかもしれない。)
怪我した場所のカサブタが剥がれ、その後の皮膚が厚くなるように。理不尽な嫌味も何度も繰り返すように言われるに連れ、俺の心は少しずつ繊細で無くなる引き換えとして、象の脚みたいに図太くになってきた。
きっと、ロックバンドのギターとしては繊細な心を失う事は恐るべき退廃的現象であるが、陸上部のマネージャーとして見るならば、目をみはるべき改善と言わざるをえない。きっと今なら、先輩が作るザリガニラーメンやジャンボタニシ丼だって笑顔で食べれる気がする。そう、自分自身の圧倒的成長(もしくは、圧倒的な精神マヒ)を実感せざるをえないのだ。

今日付けで、伊達監督から箱根体制に移行する大号令が布告された。箱根体制と言われてもピンと来なかったが、大島さん曰く、は平たく言えば、こういう事になるそうだ。

『メンバー争いに関係ない奴が1軍寮にいると、選手に迷惑だし。年末だから気も緩んで、どうせコッソリ忘年会だとかクリスマスパーティーとか行って選手のモチベーション下げるし、出先でインフルエンザだったりノロウィルス貰って大事になると困るから、12月3日の期末テスト終わったら速やかに帰省してください。』

俺もびっくりしたのだが、箱根駅伝を走る人は相当剛健で体力に溢れていて、とても風邪なんか引かない人種なんじゃないかと思っていたが。実際はその逆で、限界まで追い込まれすぎた彼らは、まるで保温されたケージで神経質な麻薬中毒者によって飼育されるカメレオンぐらい病気に弱い生き物なのだ。
練習する以外は、常にマスクを着用し、手洗いうがいを欠かさず、部屋では村上春樹の文庫本が野沢菜の漬物になりそうなそうなほど加湿器をガンガンに炊いていた。
もちろん、メンバー候補は、不用意に遊びに行くなんかもってのほかであり伊達監督の耳に一度入れば容赦なくメンバー落ちさせられてしまうほどだ。(ただし、実力者の戸川、前川、大和、福永はその限りではない。)
駅伝体制といっても、元から1軍と別々に活動している2軍と3軍にはノンビリしたもので、1番ショックを受けているのは、駅伝体制の布告によって戦力外通告を受けた1年生と2年生達だ。彼らは箱根駅伝が終わって4年生が卒業すると自動的に2軍寮に配属される事になる。つまり都落ちするようなものである。
そんな過酷な生活を強いられながらメンバー争いを続ける選手達のストレスと人間関係は、破局的噴火前のこと火山の様にミリミリと臨界点に達しているので、ほんの些細な事で火が吹いてしまう。
この前、コンビニでコンソメ味のポテチを買った所を前川さんに見られた時などは、わざわざ1軍寮の前川さんの部屋に呼びされた。

「あのさぁ、わかる?君もチームメイトなんだよ。そのポテチ1個が全部台無しにするんだよ。ねぇ。わかる?わかんない?ねぇ?わかんない?ねぇ?ねぇ?ねぇ?わかんないの?ねぇ?」

といった具合に、1時間ほどネチネチ怒られてしまった。少し前の俺なら、ガラスのハートを撃ち抜かれて、大泣きするほど傷ついただろと思うが。
今では、表面上はペコペコ謝りながらも。

『てぇめのチリチリになったのストレートパーマの間からからみえる平安貴族みたいな細い目ん玉に、カチカチになったチリメンジャコをジャカジャカぶちんでやろうか!?』

なんて事を、小洒落たハンカチーフでボロネーゼの食べカスを軽やかに吹くぐらいの感覚でサラッと心中で唱えられるほど俺はタフになった。その日から、チリメンジャコ前川と心の中で呼ぶ事にした。

今回の箱根体制では、俺と大島さんと浜さんが1軍に招集された。当然ながら選手としてではなくマネジャーとしてだ。箱根体制になると、往路組 復路組 山組 補欠組 の4グループに分けて練習が行われるので人手不足になるのだ。その間2軍はトロール大沢が管理し、3軍は活動停止状態になる。

そんなわけで、俺は明日から1軍寮の空き部屋に入り、箱根体制として行動を共にする事になったので、2軍寮の部屋で荷物をまとめている。正直な話、1軍の連中は2軍なんかよりよっぽど曲者だらけなので行くのは億劫におもえた。何せ、大っ嫌いな伊達監督とナメクジ細野の指揮下に入るのが凄く解せなかった。

そんな折、浜さんが鼻息を荒げて俺の部屋にはいてきた。彼に手には何かしらのプリントが握られていた。

「牧田!やったぞ!」

俺は、下着を畳む手を止めて、なんの事だかわからず首を捻った。

「梶原と白井が箱根体制に招集された!可能性が見えたぞ!可能性が!」

浜さんの持ってきた20名のリストが書かれた紙を見ると確かに「No19 梶原 3年」「No20白石 4年」 と書かれていた。

大島さんの話を聞く限りでは、一度2軍に落ちたら全く温情を掛けない伊達監督が、箱根体制に2軍を招集するとは思ってなかったので俺は、びっくりした!

「牧田!あくまで俺たちはマネジャーだが、陰ながら2人を支えよう。2軍が選手の墓場じゃない。って事を見せてやろうぜ。」

「よっしゃ!やってやりましょう!」

俺がガッツポーズを作ると、浜さんは、遠足前の子供の様にニンマリと笑顔を作りながら嬉々としてハイタッチを求めてきた。

「うぇーい!やってやりましょう!」

ベシィ!乾いた大きな音が鳴って、掌がジンジンするぐらい強いハイタッチをした。

うーん。ドッスン