極めて曖昧な前世達 0

 私は、人の前世がなんとなくわかるような気がする。『わかる。』と言うにはいささか自身がない。そこが問題なのである。

 そもそも、人が前世を語るとき。「あなたの前世は侍だった。」やら「さぞ品のある貴族でした。」なんていうような切り口で語られるのが常であるが、私がわかるのはそういった前世の生まれや役職的な事ではないのである。

 そもそも、私は生まれ変わりを信じていない。前世生まれ変わりを信じていない人間が前世がわかるとは、とてつもなく奇異な話な話だと私は常々思っている。すなわちそれはどういうことかと言えば、人は生まれた瞬間には前世は存在しないのである。そう、生まれたての赤子が全くの無垢なように、その瞬間には一切前世が存在しないのだ。

 たとえば、処女航海に出るタンカーを想像してほしい。造船所から大きなうねりを挙げて海に放たれるタンカーは極めてプレーンである、それが、腹いっぱいに石油を詰め込み、マラッカ海峡を幾度となく渡り、船員たちの汗と涙が染み込むまでの数年の後にタンカーの底には無数のフジツボが寄生し、バラストタンクの中では日本から遠く離れた海の生物達が独自の生態系を作り上げているだろう。その時、タンカーは製造されたばかりの時には無かった数多くの何かを背負う事になる。ある人にとってはタンカーに対して憎しみを抱くだろうし、ある人とにとっては生活の糧であるし、バラストタンクのヒトデにとっては自分の生まれ故郷である。それらは全てタンカーが航海するうえで必要不可避的に業を背負うべき運命だったのである。

 そして、我々が生命体として誕生した赤子の瞬間は全く無垢である。ところが人生という航海に出てしまうと、どこからともなくフジツボのような前世が付着してくるのだ。それは私たちがいかに個人主義の時代といえど基本的には何かに頼りながら群生する事によって生きている事の証明であり、人間もフジツボも大した違いはない。

 では、そのフジツボのようなものはどこからやってくるのかと言うと。私たちの目には見えないだけで町のいたるところに存在するといっていい。人が活動することによって街のいたるところにフジツボのような物を残していくのだ。そのフジツボのような物は一度触れたぐらいでは絶対に付着しない。慣習的にある一定の場所に置いてある一定の行動をしたときにのみ発生する。

 そして、気が付くと、誰かの前世を何かの記憶装置に込められたものを再生するように動く事がある。

 大学生になったある日、私はそれに気が付いた。それを私は『前世のメモリーテープ現象』と呼ぶことにした。

 ただ、残念なことに、この前世のメモリーテープ現象は往々にしてろくでもない事しか起こらないので私はここにそれを記するとする。

 ます、私がそれに気が付く切っ掛けになったのは大学1年生の時、オオタに出会った時のことだ。

 

うーん。ドッスン