パンクロックと箱根駅伝 28話

俺の専央大学陸上部の日々が始まった。
初日の活動で、バイトの方がずっと楽な事に気がついた。3日目には『辞めたい』と思うようになってしまった。
俺は、心の何処かで勘違いしていた。『先輩の為に命をかける。』そんな意気込みがあれば世の中の大半はどうにかなるじゃないかと思っていたが。正直な話をすると、とっくに誰かの為に命を張る余裕なんてなくなって。毎日、毎日自分の事をやって生きているので精一杯になってしまった。

根本的に、マネージャー活動と寮生活と学業を両立させるのは素晴らしくストレスの溜まる日々で。ナメクジ細野とトロール大沢に、毎日徹底的にこき使われた挙句、折角作った30人分のドリンクが濃すぎるから作り直せだの、伊達監督に出す提出物のフォントが明朝体じゃなきゃだめだとか。そんな事を朝から晩までネチネチ文句を言われる上に、可愛いマネージャーは選手のテンションを上げるための観葉植物と化してロクに仕事していないのがムカついてしょうがない。
そんな俺を、選手は、『おい!バンドマン!アカペラでなんか歌え!』とか『バンドマンだから女一杯しってるしょ?飲み設定してよ!』そんな風に虐められたり、骨の髄まで利用されて自分の価値を見失いかけていた。その合間合間に勉強して、レポート作って伊達監督に提出すると『全然、俺が欲しい情報がわかってねぇ。』と、怒られて。もう骨の髄までクタクタに疲れはてて部屋に戻る。これが1人部屋ならどんなに素晴らしいか。
福永さんが何故かパプワニューギニアの伝統衣装を自分なりに着こなして顔を真っ赤にさせながら腹筋運動していて床を汗で出べっちゃべちゃにさせている横で、権堂さんが相当に馬鹿みたいな音量で、馬鹿なカバのアニメを食い入るように見ていたりすると、なんだか俺は泣き崩れそうになる。

「まきちゃーん。おかえり〜。聞いてよぉ〜。福ちゃんねぇ。明日30kmそうなの。良いねぇ〜。マネージャーさんは走んなくてぇ。」

福永さんに多分悪気はない。この人は陸上選手としてはとても強いが、精神的には小学生なのだ、つまりとんでもなく虫酸が走るような事や、目を覆いたくなる奇行をされたとしても嫌な顔をせず。

「福永さん。頑張ってください!」

と笑顔で言うに限るのだ。大体そう言うと、ニコニコして。缶コーヒーを一本くれる。この缶コーヒーはドラックストアで36円で売っているもので、福永さんは俺に渡す為のチップのように大量にストックしてある。
俺は、36円の缶コーヒーなんぞ。バンドマン時代には飲んだ事がなかったが、この生活が始まってからは、常にありがたく頂く。
何故ならば絶望的に金がなく純粋に甘みに飢えているのだ。マネージャーの出費は非常に多く、急にテーピングが無くなった時などは身銭を切って部に必要な物を立て替えて購入しなければならない。たった100円のチョコレートを買おうか真剣に悩む事も多々ある。
それから何よりの問題は酒代だ。とにかく先輩に女を紹介しろとギャーギャー言われる。やはり、俺だってバンドマンの端くれだけあってファンを含め女の子の友達は多い。が、そう何度も紹介していれば人脈なんてすぐ枯渇するし、合コンは決まって割り勘なのだ。なので、俺は1円も得しないし、たりないお金がドンドン足りなくなっていく。
その上、俺の紹介する女の子は顔は可愛いが、体育会系が大嫌いなサブカル系女子だったりオリーブ女子、文学女子だったりするので。
恋愛に自信のあるオラオラした先輩の必勝トークテクを冷たく聞き流すのだ。それに先輩が立腹して俺に当たるのでタチが悪い。
ある日、大っ嫌いな3年生の石原に『おい、いつんなったら俺に合コンしてくれんだよ。早くしろって!来週までな!』と半分脅されて無理矢理セッティングしろと言われたのだが、どうしても都合がつかず。本当は避けて置きたかったが星崎さん友人のまみちゃんにお願いした。星崎さんの事には特に触れなかったが、それでも合コンをOKしてくれた。

池袋のカッピカピのカルパッチョが出てくる店で石原は香水の匂いをムンムンさせながら、甘ったるい口調で喋り出す。

「え〜、まみちゃん映画好きなの?いいねぇ。俺も好なんだよぉ!最近さぁ。チョー泣ける映画観たんだよねぇ。映画好きならもう観てると思うけど『君の一瞬の、横顔の側で。』ってやつ。マジ泣けるんだよぉ。えっ、観てない?記憶喪失の男の子が心臓病の幼馴染に恋するんだぁ。めっちゃ泣けるよぉ〜。ねぇ。良かったら一緒に観に行こうよぉ。もう一回俺みたいから。あっ、ぜってーもう一回観ても泣くわ。あー、てかちょっと泣けてきたわー。」

情け無い顔して、意外にピュアな俺をアピールしながら、チラチラっと様子を伺いつつデートに誘おうとする石原に、映画好きのまみちゃんは冷たくこう言った。

「ヘェ〜。そんな映画を2回観て泣くなんて、君の感情、安くていいねぇ。まるで記憶喪失の男の子みたいね。そんな映画を見たら、私が心臓病に見たいになってしまうわ。ちなみに私、タルコフスキーが好きなの?ご存知かしら?」

そう言って。石原の鼻をボッキリへし折ってしまった。
俺は石原が嫌いなのでいい気味だぜ。と思ったが、合コンが終わった後にシコタマ石原とその舎弟に怒られ、もう一度合コンを違う女とセッティングしろと胸ぐらを掴みながら怒鳴られ。池袋西口の往来中で本当に泣きそうになった。

そんな俺の気持ちを察してか、『口直しに学割使っておっパブに行く』言って北口方面に消えた石原軍団と分かれてぐらいでまみちゃんが電話をくれた。

「ねぇ。牧田。あんたなんで、あんな野蛮な連中と付き合ってるの?私びっくりしたよ。私は、牧田が作る繊細な詩が好きだったけど、あんなペニスに脳味噌があるような人種にそれがわかるとは思えないよ?もうさ、バンドの世界に戻って来ようよ。」

「まみちゃん。わかってるんだ。でもね。俺は今、どこにも引けないんだよ。色々物がかみ合って、何かを引きずるように前に進むしかないんだ。」

「いや、私の目には君は、何処にも行けず同じところで、ただ押しつぶされてるようにしか見えないよ。ねぇ。今ならまだ、、、。間に合うんだよ?」

俺は、冷や汗が出た。今ならまだ、『星崎さんを追っかけるのも』間に合うだよ。と言われた気がしたから。

「あの、いいんです。本当にありがとうございました。」

そう言って慌てるように電話を切った。

大学時代なんて、適当に学校行って、バンド活動して、好きな音楽を好きな音楽を好きなだけ聴いて、安いウィスキーに安いナッツをかじって。そんな中で友人と人生を語らうものだと思っていた。もちろん、先輩とメジャーに行く夢もあった。だけど、夢のようなバンド活動の日々が終わり、徹底的に手垢にまみれたクソみたいな現実の目の前にして。心の何処かでは、大学4年生ぐらいで先輩を裏切り当たり前のように就活して、当たり前のように就職したズルい未来の自分がいるような気がしてきた。

俺は、最寄り駅から、街頭に照らされたドブ川の脇を、うつむきながらトボトボ寮に向かって歩いていた。その途中。ポンっと肩を叩かれた。

「よっ、浮かない顔してどうしたんだ?牧田?」

そこには優しい顔した、浜さんの笑顔があった。

俺は思わず。

「は、浜さーん。」

と言うと自分でもビックリするぐらいボロボロと泣き出してしまった。

「おっ、どうした。どうした。とりあえず俺の家にこいよ。」

今のチームにあって。俺は完全に浜さんにしていた。確かにパルチザンのメンバーは気のいい人が多く。心を許すことができたが、それでも浜さんの優しさと人格だけは別次元だった。
先輩が俺を突き動かす強烈なエネルギーを持っているのに対して。
浜さんは全てを優しく包み込む不思議なオーラを持っていた。

うーん。ドッスン