パンクロックと箱根駅伝 10話
我が大学のキャンパスは巨大な城だ。
多摩丘陵の一角に半径2km四方の敷地があり。その中にキャンパスや学生活動の為のバラックがところ狭しと立ち並び、何かを告げる電光掲示板、サークル案内のビラ、不平不満を訴える為に立てかけられたベニヤ板、縦横無尽に移動する学生、学生、学生。急峻な崖を背にして作られた。駅から一番近い6号校舎などは、まるで異教徒打ち払うための衛門のようだった。巨大な2本のギリシャ風の石柱がこれ見よがしに鎮座しているのがそれに拍車をかけていた。
ソファーやベンチの周りには学生がどこでもたむろしてタバコを吸っていて足した価値もない青春や恋愛について出口のない議論を交わし、自分の存在意義を確認していた。まるで、高僧の噂話で持ちきりの中世の城下町の用だった。時代と場所が違うだけで、民衆のおしゃべりとはたいした意義を持たない点で共通している。
この城の最北のの崖にある体育館の地下1階に体育事務室は存在した。緑にべた塗りされたコンクリート廊下の壁がとてもさびしい所で、中世の城ならきっと武器庫か、もしくは干肉を貯蔵していたようなところだったろう。
ここにたどり着くまでにはかなり手こずった。まず学生生活相談科に電話して「陸上部に入りたいのですが、どうすればいいですか?」と聞いたところ、体育事務室に行ってください。と言われたのだが、そもそも体育事務所ががわからなかったなぜならば、見つけにくい位置にあるほかに、学校案内図にも乗っておらず、一般の学生には全く関係ない、今まで一度も関わりのなかった体育会の管轄なのである。通りすがりのラグビー部のスウェットを着た学生に聞いてやったのわかったほどだ。
俺と先輩が体育館の一階の階段から地下一階に下って、体育事務室と書かれたドアを開けると、そこはかなり広いオフィスになっていて驚いた。ざっと見ただけでも40人分ぐらいの机があり、いろいろなスポーツに関する資料やトロフィーが所狭しと並んでいた。
もっとも手前のカウンターには若い女の事務員が一人受付をしていて、その少し奥で、やたら顔が濃い中年男性と痩せたメガネが似合う白髪の教授のように見える身なりのいい初老の男性が事務作業をしていた。
入り口で地下への階段を探し周囲を見回していると。
「筋トレ場の新規会員登録ですか?」
にこやかに受付の女性が声を掛けていた。
「いや、わし、陸上部にはいりたくてきたんやけど。どうないすればええか?とおもってきたんや。」
受付の女性はびっくりした表情でこっちをみた。事務作業していた男性二人も作業を辞めてこちらを怪訝な表情でこちらを覗いてきた。
「陸上ですか?えっ、サークルと陸上部は違いますよ?サークルなら、学生センターにいかれたほうが・・・。」
「いや、わしは陸上部入りたいねん。でな、電話したら地下の体育会事務所に行けっていわれたねん。」
先輩はきっぱりと陸上部に入る態度を示した。
「あー、そちらのお友達もも陸上部に入りたいのですか?」
受付の女性は俺を指さして質問をしてきたので、俺は首を横に振って。
「いえ、僕はちょっとお手伝いできました。」
俺は陸上部に入る気は全くなかったのできっぱりと断った。
「あー、そうですかー。困ったなー。とりあえず・・・。」
受付の女性がどこかへ電話しようとしたとき。
「ねぇ、君たち。今の話ほんとかな?冷やかしとかじゃないよね?」
顔の濃い中年の男が立ち上がりカウンターから出てきてにこやかに話しかけてきた。色黒で巨体な彼はスラックスに腕まくりした青いシャツを着ていて、そこから見える腕は太くゴワゴワした毛で覆われていた。そしてグローブみたいな手で俺の肩をポンと叩いた。
「わしら、冷やかしじゃあらへんで。マジやで。」
喧嘩腰とは言わないまでもかなり強い口調で先輩は言い返した。
「わかった。わかった。とりあえずコーヒーでも飲もう。あー、みなちゃん。コーヒー3つお願い。」
はーい。と受付のみなちゃんが電話をする手を止めて返事すると、僕らは階段を上がって体育館一階の談話室に案内され。ソファーに腰掛け色黒の男と向かい合う形で座った。しばらくすると。みなちゃんがプラスチック製のカップに入ったインスタントコーヒーを3つもってきた。
「まあ、飲んでくれ。」
顔が濃い男は右手のひらを差し出して僕らにコーヒーを勧めてきた。
「ありがとうございます。」
そういって、俺はコーヒーをずずっと啜った。やけどしそうなほど熱く、尋常じゃなく薄かった。まるでコーヒーのにおいがする熱湯だった。
「いま、なんでコーヒーでたか分かる?」
「えっ?お客さんだからですか?」
「そうだね。君が正解!君たちお客さんなんだね!大学にとって学生はお客さん!いい環境で納得行く教育を提供しなきゃいけない!それは、わかるね!」
顔の濃い男は急に聴いてもいないことを雄弁にかたりだした。俺と先輩はあっけに取られた。
「わかる?わかならないどっち?」
と、両方の手のひらを僕らに向けながら、くどい笑顔でしつもんしてきた。
「わかります!」
「わかるで!」
「そうだね?わかるね!君たちはお客さんなんだ!だから、コーヒーだしたんだよ。何年かに一回自分探しのためにフラフラやってきて野球部の寮に入れろだの!スノボ部作って下さいだとの言う不思議な学生にもコーヒー出すんだね!優しいよね!別に言ってくるだけならね、まだ全然OKだよ。体育会の事情なんてわかんないもんね。でもね。そういう人たちには帰って貰うんだよ。コーヒー飲んじゃったからね。だから君たちは残念だったね。ハイ。じゃあ、君たちは残念でした。大学公認の陸上サークル紹介して上げるからさ、勘弁してよ。うまいこと入れる用に口利きして上げるからさ。」
そういうと彼は毛もくじゃらな手をパンっと叩いて、したり顔でこちらを見てきた。
俺は唖然とした、もちろん先輩も同じだと思う。
「いや、いみわからへんがな。コーヒー飲んだだけやないかい。」
「そうですよ。そっちがどうぞ。って言ったから・・。」
俺と先輩が抗議をすると濃い顔の男は自分の顎をなでてから「はっ」っと乱暴にため息をついてから。
「意味わかんない?勘弁してよー。じゃあ、わかりやすく教えて上げる。僕が今君たちにやさしーーーく教えて上げるのは、俺が職員だからなんだね。それから君たちはお客さんだ、少子化の時代だ大事に大事にしないといけない。それはお客さんだから。大事な大事なお客さんだからね。でもね、君たちが体育会に入ったらそうじゃないんだよ。君たちは、ただの人。いや、それ以下だね。しかも、君はいやしくも特別教科指定部の一つ。陸上部に入りたいと言ってきたんだ。そりゃー、無理だよ。無理無理。親切に君たちに伝えたんだねサークルが良いよってさ。しかも、二年生の中途半端な時期に着てさ。もうすぐ三年生になるよね、髪もボサボサ、服装もだらしない、アポ無しで来ちゃってさ。もう、社会人だよね。あっと言う間だよ。さっさと諦めてさ就活しなって。これは親切で言ってるってるんだよ。本当はね君たちが手土産もってくるのが普通。そしてコーヒーを飲まないのも普通。だから、無理。残念でした。さようなら。」
顔の濃い男は話が進むたびに顔が強ばりだして、眼孔は鋭くなり、俺たちにすさまじいプレッシャーを浴びせてきた。男の話す正論の前にもはや何も言い返す事はできず、自分の準備不足呪った。横の先輩を見ると俯いて膝の上に置いた握り拳を何度も握りなおしていた。
「どう、まだ、何かある。」
そんな風に高圧的に質問してきた。
どうすればいいんだ。あまり切れ者じゃない俺の頭はパニックになり場末の遊園地のメリーゴーランドのように同じ場所を低速で旋回していた。馬がゆらゆら動くだけで結論なんかは出なかった。
その時、先輩が俯いた顔を上げて震え声を絞り出すように声を発した。
「あの、すいません。たしかに貴方のいうとおりです。本当に社会人として間違っておりました。でも、私にも引けない事情がありまして、どうか陸上部の監督さんにお会いしてお話できないでしょうか?」
そういうと深々と頭を下げた。俺は先輩がこんなにも丁寧な言葉遣いをする姿も知らなければこんなに深く頭を下げるのも初めて見た。
先輩の誠意と裏腹に、顔の濃い男は唇ひくひくさせながら虫けらをみるように、こちらをさげすんできた。
「はぁ、監督さんに一言ほしいだって?お前らよぉ。アホ言うのも大概にしろよ、あのな。お前ら監督が誰かもしらんで体育事務所にきたの?アホだね。監督は俺だよ。どうもはじめまして伊達です。本日はお話できて光栄でした。これでいい?満足?はい、じゃあ帰って。えっ、帰らない?なんで?いや監督に話したじゃん、もうおしまい。えっ、なんだよ、しつこいな君ら。てか、ひょっとして素人?君は素人なの?陸上経験ある?」
この人が監督だったなんて、本当にもう、俺は椅子から転げ落ちそうなほどビックリした。そして、なんで俺は監督の顔ぐらい調べておかなかったんだろうと自分を呪った。これではまるで先輩は道化以下ではないか。
「わし、素人です。本当に素人ですが、ただわしは、どうしても、、、」
先輩が言いかけたところで伊達に遮られた。
「わし、ってなんだよ。そもそもわしってなんだよ。私とか自分とかいうだろ、本当に、まともに言葉遣いもできないアホ学生に話すことなんてないわ。」
顔の濃い男は気だるそうに立ち上がり、談話室のドアをバンっとあけて無言で立ち去って行った。
そこからもう一度ドアを開けて、顔の濃い、いや、僕らを門前払いした伊達監督は。
「別に、気が済むそこにいてもいいけど。電気消して帰れよ。」
とだけ言い残して再びドアを閉めた。
僕ら付帯はソファーにうな垂れて。
何にもできなかった。俺は自分を助けてくれた先輩の力になりたかったのに、それすらできず。横で小さくなった先輩を尻目に何をしているんだろう。そんな焦燥感で胸が焦げそうだった。
「あかんかった。甘かった、わし、やっぱクズかもしれん。」
俺は何かを言いたいが、何を先輩に言えばいいのかわからなかった。
3分ぐらいその場にふさぎこむようにしているとドアがキィーと金属が擦れる音を上げながらゆっくり開いた。事務にいた初老の男性が中に入ってきた。
「あっ、こんにちは。」
慌てて挨拶すると初老の男は僕らを微笑ましく見てゆっくり話した。
「わしは、もう40年もここで勤務しとるが、お前らみたいなのは昔は多かったよ。昔なんて今よりさ、もっとざっくばらんな時代だから、それでもどうにかなったよ。まあ、時代が悪かったねぇ。」
先輩がバッっと立ち上がって初老の男性の方をガッシリ掴んだ。
「なあ、おっさん。わしどうすればいいんや?どうすれば陸上部にはいれるんや。」
初老の男は、にやりと笑った。
「昔のやつは、何でもやったわ、何でもやるんや。陸上部は地獄だ。それでもその地獄に入りたいなら何でもするのがいいよ。まぁ、最低条件、言葉遣いと髪型を直せってことはいえるね。」
先輩は肩に乗せた手をハッっと引いた。
「あっ、その、すみません。でも、ほんま、やなくて、えーっと、本当に親切にありがとうございます。」
「まあ、今日はもう帰りな。それで頭冷やしてもう一度おいで。それから君。」
といって俺を指差した。
「はい。なんでしょう。」
「君はこの人の為に命張れるか?」
彼は先輩を指差した俺に迷いはない。
「張れます!」
「じゃあ、君はマネージャーになりなさい。今人が足りなくてマネージャーを募集してるから。まあ、マネージャーはかなり激務よ。でも君がマネージャーになるのならあの監督も納得するかもしれない。」
「なります!俺!マネージャーになります。」
「おい、牧田、おまえええんか?」
「いいんです。やらせてください。」
初老の男性はフフフフと笑って。
「まあ、とりあえず一回帰って頭冷やしなね、相談には乗ってあげるからさ。」
「はい、ありがとうございます!」
と大きな声で二人でお礼をして、体育館を後にした。
うーん。ドッスン