パンクロックと箱根駅伝 48話

箱根駅伝当日、俺は立派なホテルのロビーに居た。なぜならば、専央大学にとって一番出資してくれるOB会長が御年89歳であり、膝腰も悪く沿道での観戦ができないために、大手町近くの立派なホテルの宴会場を借り上げて、大型スクリーンと立派なソファーを用意し、暖かい環境で快適に鑑賞できるようにしてあげるのだ。もちろんその費用はその老木のようなOB会長がすべて負担している。

私はそのOB会長の世話係に任命され、ホテルのロビーでその到着を出迎えている為まあっていた。しばらくすると立派な黒塗りのセダンが止まり、運転席から駆け足で運転手が下りてきて、後座席の扉を開いた。その中から立派な黒袴を着た老人が杖を突いて降りてきた。

その老人の前まで行って俺は深々と頭を下げる。

「今回、お世話を担当する牧田です。なんなりとお申し付けください。」

老人は長生きしたカメの尻毛のような左の眉を少しだけ動かして、ちらりと俺を見た。

「ああ、よろしくな。」

としゃがれた弱弱しい声で返事をしてから、ホテルの中へ入っていった。老人の後ろには荷物持ちのお付きの者の顔が脂ぎった40代ぐらいの男性がいた。

彼は、専央大学の陸上部OBでそれなりの実力がある選手だったが、引退後、親のすねを齧って働かずにいたところ。30半ばに家を勘当され、浮浪者同然に暮らしていた。だが、OB会長と出身が同郷という事もあって懇意にされていたかれは、OB会長の中校生の孫の専属コーチになってくれないか?というかなり虫の良いオファーが舞い込み事なきを得たのである。結局、その孫事態は。たいして成果を上げることもないまま引退したのだが、OB会長に気に入られていたためにOB会長の身の回りの世話をする仕事にそのまま就いたのである。つまりは専央大学にとっては腰ぎんちゃくの王のような存在であり、いつも偉そうにしていたのでみんな大嫌いだった。しかも伊達監督の一つ上の先輩だったことがそれに拍車をかけていた。

名前は、何とか寺という小難しい名前だったので、覚える気が起きず、キツネ顔なのにやたらと顔が脂ぎってるので、アブラギツネと呼んでいる。

「なんだ、お前か。女子マネージャーならよかったのに。」と悪態をつかれたが、おれはハハと笑ってから背中の後ろで中指を立ててやった。

OB会長を案内して宴会場に付くと巨大プロジェクターに箱根駅伝のスタートシーンが移されていた。装飾が美しいカーペットに、巨大なシャンデリア、ケータリング、各種の高級酒が並べられた円卓。そして、その特等席としておかれた金色のソファーに老人は王のように腰かけた。

会場にはOB、そして、OB会長の取り巻きや、OB会長の会社の重役達、OB会長の取引先の人たちが30名ほどおり、一斉に老人に挨拶をした。

お世話係と言っても、実質的に俺のする仕事はないと言って過言ではない。OB会長が『おれはこう思うから伊達監督に伝えろ』とボソッと行ったときに、アブラギツネがすっ飛んできて伊達監督に電話しろと言われるのだ。ただ、伊達監督も忙しいのでそんな事に対応している暇はないので、伊達監督に電話するふりをしながらナメクジ細野にかける事になっている。そうするとナメクジ細野が適当な理由を考えてくれるので、それを俺はアブラギツネに報告すれば、OB会長は満足なのだ。

つまりこれは箱根駅伝を見るための会にOB会長を招いているのではなく、形式的にOB会長の為に箱根駅伝を走っているようなものでもある。それもそのはずでOB会長は不動産王であり、裏の世界の顔役でもある。そんな彼が、野球部と陸上部とラグビー部に対して年間寄付してくれる金額は合計で3億円なのだ。つまり、一種の王として君臨しているといっても過言ではない。

だから、俺はプロジェクターの裏側で呼ばれるまでずっとスマホをいじっていた。何やら専央大学はかなりいい順位で走っているらしいのだが、そもそも俺は箱根駅伝自体に興味がなかったので、白井さんが走らなない時点でどうでも良かったのだ。

俺にとって今日はかなりついてると言える。なぜならば選手のサポート等に回ってしまえば、興味のない箱根駅伝も興味津々に見つめながら、選手に『絶対に行けますよ』などと檄を飛ばさなければいけないはずなのだが、今回のように言われたことだけこなせばあとはボーっとしてれば良いというのはとても気が楽だった。

気が付くと往路が終わっていて。テレビで結果を確認すると、前川さんが1区で2位、戸川さんがケニア人留学生にあと30秒にせまる好走で区間2位、その後、2位のまま箱根の山を迎え、後続に迫られるも1位と45秒差の2位と言う後順位で往路を終えた。

会場では復路逆転の話題で持ちきりになった。

そんな時に、アブラギツネが俺を読んだので慌てて駆け寄る。

「なぁ、今会長が復路のメンバーは逆転できる可能性があるのかとおっしゃたがどうだか答えてくれ、特に9区の福永の出来はどうなんだ!?」

「はい、福永さんは絶好調です。」

そう答えると、会長が自ら口を動かしてこうしゃべった。

「そうか、福永が絶好調なら、10区には大和がいるから勝てるな。」

アブラギツネは満面の笑みで老人に答えた。

「はい、大和は私の高校の後輩にあたりますので絶対にやってくれますよ!」

軽い会釈をして踵を返してその場を立ち去った。そして俺は不安を感じた。

大和さんは本当に走れるのだろうか?

そして、もし優勝争いの最中に倒れてしまったら、彼はどうなるのだろうか?きっと酷い非難を受けることになるだろう。そうなる前に、俺はナメクジに電話して大和さんの出走を止めるべきなのだろうか?そうすれば、白井さんにチャンスが出てくる。

俺はスマホを取り出したが、そこで大和さんの鬼の形相を思い出して、電話することができなった。

「クッソ。なんだよ。スポーツの世界は夢と希望しかないと思ったのに歩けば歩くほどしがらみが強くなるじゃないか。どうしたらいいのかわからない。」

OB会長をスィートルームまで案内した後、俺はトボトボと寮に帰っていった。



うーん。ドッスン