パンクロックと箱根駅伝 6話

次の日から、パンクバンドとして活動して活動を始めた。

そうは言っても最初は楽器もなかったので、ほとんど愚連隊のような存在だった。なぜならば、街や学校で次から次へと売られる喧嘩に立ち向かっていっいったからだ。先輩はべらぼうに強かった。学校で問題になりかけたが、ほとんど正当防衛と言って差し支えない内容だったので、特に咎められる事はなかった。俺は自分自身が清く正しい中学校生活から大きく脱線してしまったとは思いつつも一緒に戦ってくれる人がいるだけでとても幸せを感じていた。

学年が変わり先輩が卒業する直前の頃に井上さんという先輩と同い年の大地主の息子をメンバーに入れた。彼の家の納屋はアメリカンなガレージに改造されており、そこにはギターとドラムとベースが置いてあった。俺たちは朝から晩まで狂ったようにセッションしていた。それから本格的にパンクバンドとして活動を始めるのだが。活動していくうちに、街の本格的に悪い連中と喧嘩を繰り返していくうち、なぜかカラーギャングの抗争に巻き込まれていた事もあった。おまけに気がついたらフリースタイルのラップバトルに参加していたこともある。自分でもなぜそうなったのか未だによく分からないが、先輩のクレイジーさはその逆境すら飲み込み、みるみるうちにカラーギャング双方から認められるまでになっていた、気づけば先輩は人気者になり、「クレイジー街田さん」と崇められていた。

段々と気が付いたが、僕ら自身がもはやアウトサイダーの一部になっており。一度認められてしまえば彼らと仲良くなるのは早かった。アウトサイダーな人間と仲良くなっていくうちに田無土の公害問題の核心をふいに知ることとなった。

市民コンサート出演するまでにメンバーは固まっていた。デブの井上さんがドラムを担当し、なんとR財閥の重役の娘の星崎さんがギター彼女はとても脚が長く美しいが残念ながらレズビアンだった。俺がベース、先輩がボーカルで参加した。

僕らの評判は悪かったが、R財閥の娘がいる手前。役場のおっさんおばはんは。カーペンターズを演奏すると思って疑わなかったが、急にThe アブラボウズを名乗り。街をボロクソに揶揄した歌を強烈に歌った、ネットで拡散し、田無土市の色々な疑惑や利権問題が根掘り葉掘りに明らかになり、しばらくはワイドショーで田無土市の事を見ない日は無かった。

街の偉い人達からは、しちゃかちゃに怒られたが、その時、先輩は18歳で俺は17歳だった。先輩は有名な私立大の央泉大学経済学部に合格して街を出て行く事が決まっていたし、俺に関しても、街で問題を起こした結果。父親が急に東京へ戻る事が決まったので、怒られようと、もうどうでも良かった。

「うったえる!?」

とも言われたが。

「いや、逆に訴え返せる資料は揃ってますよ?」

と、星崎さんが軽くいなすとそれ以上何も言われなかった。

「そんな資料ないのに、おバカさんね。」

街の偉い人達が顔面蒼白になるのと違い。街の若者達からは概ね好評であった、街を出ていく頃にはギャングの連中とは大分仲良くなっていたので盛大に見送って貰えた、散々無視してきた同級生も何事もなかったのように参加してきたのは腑に落ちなかった。

先輩と過ごす中で、先輩のお母さんには何度か会った事がある。長い黒髪が綺麗でいつも品がある優しそうな人だが、痩せこけていて顔の皺から苦労が伺えた。町外れの須美水の近くにある老人ホームで栄養士として朝から晩まで働いているそうだ。人出不足で雑用や事務仕事をふられることも多くとにかく忙しいそうだ。夜勤で家に帰ってこない日も多かったそうだ。

一度だけお昼をご馳走になったことがあった。あの日のメニューはオムライスだった。栄養士として働いているだけあってホロホロ崩れる卵とスパイスが効いたチキンライスが絶品だった。

「牧田君いつも、ごめんな。この子めちゃくちゃやろ。」

オムライスを食べ終わると、先輩のお母さんが申し訳なさそうに言ってきた。

「いや、先輩は俺のヒーローです。いつも助かってます。そう、めっちゃ助けられられました。めっちゃうまいオムライス食べさせてくれてありがとうございます。」

満面の笑みで答えると。

「そう、牧田君、良い子やね。ありがとう」

先輩のお母さんは優しく微笑んだ。

「なぁ、うちの飯、絶品やろ。おふくろは昔、有名なレストランでもはたらいてたんやで。」

先輩がふいに話すと。

「昔の話やで。」

急に、お母さんがぶっきらぼうなって。席を立って、ドカドカと歩いてキッチンに行き洗い物を始めた。

先輩は母親がこっちを見ていないことを確認すると俺の耳元でささやいた。

「うちのおふくろは昔のはなしをきらうんや。うちの家には写真も記念品も、なんもないんよ。」

確かに部屋をみまわすと、とても古い家なのに写真や記念品などの過去の手がかりになるような物が何もないことに気がついた。

「あ、そういえば。そうですね。」

「昔も言った通り、おふくろはどこかで過去をすべて捨てたんや。せやから、小さい頃は、まるで無から生まれたような気持ちにさせられたで。」

たしかに、写真も記念品も親戚にも会ったことがない上に、母親もあまり家にいなければ自分の存在が曖昧になっても仕方がないような気がした。

「わしは、親父が憎いねん。わしの過去をうばったんや。わしはどこで生まれたか、どんなルーツがあるのかわからんねん。小さいとき、しつこく親父の事を聴いたとき、おふくろはゴメンと言って泣き崩れるだけやった。なんもわからんかった。言える事は一つや。わしは親父が憎い!」

先輩の目は怒りに燃えていた。

俺は何もいえなずうつむいた。

オムライスを食べ終えた皿をみながら、こんな美味しいオムライスを作る人の過去に何があったんだろう。と物思いにふけったの覚えている。

先輩をはじめ。井上さん、星崎さんも東京の大学へ進学し。

The アブラボウズとして、下北沢や高円寺のライブハウスで活動を始めた。

演奏こそ未熟だったが、先輩の歌は本物だし、客と殴りあいの喧嘩をしたり、有刺鉄線に体当たりしながら歌ったり、マーガリン漬けにしたアブラゼミをパンに挟んで食べたりする過激なパフォーマンスで人気を集めていった。

インディーズの小さいレコード会社から2枚CDを出し一部店舗ながら流通も初めていた。

やがて、俺も先輩を追って央泉大学へ進学した。

ひとつ不思議だったのは貧乏なはずの先輩が国立大学ではなく東京の私立大学に進学したことだ。

その事に関して先輩に尋ねると。

「おふくろ曰く、父親の方から進学金に必要なお金が出たらしいやわ。条件は20歳になったら父親に会いに行くことや!っていうんやな。わしは、そんな金いらんと言ったが、国立大に行っても生活苦しいし、バンド活動も出来へんしな。まあ、わしもオヤジがどんなやつか知りたいし、金をくれるなら正直ありがたいから。まあ了承したわ。」

先輩の謎の原動力は、自分たちを捨てた父親に狂おしいほどの情熱をぶつけるためにあると言っても良かったので、金を貰えた上に、母親が口を割らなかった死ぬほど憎んでいた父親にあえるなら願ったり叶ったりと行った所だったのだろう。

うーん。ドッスン