パンクロックと箱根駅伝 35話

先輩とは長らく連絡を取っていない。月に何度かあう日野先生から、「あいつはすごく良いかも知れない。」と言う情報以外に何も入ってこなかった。
先輩は昔からそうだった、これと決めたことはたとえ命を懸けてでも何かしらの形にするまで絶対に諦めない人だった。今回のこともある程度自分の練習の成果が身を結び陸上部に入部する実力が伴うまで連絡はしないつもりの事であろう。たぶん、俺が先輩に合えば、どれほどに中途半端な成果だとしても『先輩、さすがです!すごいじゃないですか!』と言うと思う。ただ、先輩はそんあ事を心の底から嫌うのだ。きっと俺の胸ぐらをつかんでこう言うだろう。

「牧田、結果のでない努力をほめるってのはな!その時点で負け犬なんや!誉められたオレも!誉めたオマエもな!死ぬほど泥水すすって人から笑われてもな、ステージの上の熱狂が全てなんや!それは言葉では表せられへんねん!」

この先輩の情熱はある種の宗教的な熱狂を伴っていると表現してもいい。たった、彼は、魂を揺さぶられる一瞬の狂気に人生の全てを捧げるパンクロックの殉教者なのかもしれない。

そんな先輩と合わない日々も、日々の業務に忙殺されてめまぐるしく流れていき。専央大学陸上部は、合宿に向けて移動するために寿司詰めになったマイクロバスに乗って千葉の富津市に移動していた。
俺が乗っているのは当然の如く華奢な補助席だった。ぎゅうぎゅう詰めのバスの中は妙なさっきに包まれており、多くの者はイヤホンを付けてスマホの画面を見ているか、気持ちよさそうに寝ているかのどちらかであった。丁度アクアライン入った所で窓の外を見ると、伊達監督が自家車のレクサスを気持ちよさそうに運転してマイクロバスを追い抜いていった所だった。

途中トイレ休憩の為に、海ほたるで停車した。
そこで選手達は、僅か15分の休憩時間に、眼下に広がる広大な海を牽制球狙いの投手のようにチラチラながら、ま冬に備えて頬袋一杯にナッツを詰め込むリスのように土産物屋で買ったメロンパンやソフトクリームを乗車までにそそくさと食べ終えていた。

休憩を終えてると、バスはアクアラインが磯の匂いが今にも漂ってきそうな木更津の海苔畑を抜けて山道に入った。交通量の少ない高速道路をしばらく駆け抜けるあと、大きな工場が建ち並ぶ海辺の街のインターで高速を下りた。そこが富津だ。合宿のメインになるのは富津岬で、そこは丁度、千葉県を犬にたとえるならば、立派にそそり立ったペニスのみたいに東京湾にせり出している形をしている。ナメクジから貰った資料によると、富津岬全体が海浜公園になっており、そのペニス状の公園の中を嫌らしい手つきでまさぐるように一周すると丁度5kmになる。全体的に平坦で交通量もとても少ないので、絶好の練習コースであり、夏場でこそ海水浴客で賑わうが、海がオフシーンの間は一流ランナーから地元の高校生まで合宿を行う人々でにぎわっているそうだ。

バスは、古ぼけた海辺の民宿の駐車場に止まった。『民宿たちばな』と言う看板がなければ学生寮か、古い2世帯住宅に見えないような謙虚な作りの木造の建物で、せいぜい工業高校のリア充グループが夏休みに同級生とのアバンチュールを求めてバカな一気に飲みゲームを実施しそうな雰囲気が醸し出せれていて。あまり泊まりたいとは思えない建物だった。駐車場の隅では頭の悪そうなシベリアンハスキーが豪快に脱糞していた。

バスが停車すると、民宿の母屋の中から、割烹着を着たギャルが小走りで出てきた。そう、秒速1億円稼ぎそうな男と歩いてそうな綺麗なギャルなのだ。年は25~27程度、程良く肌が焼けていて、脚がナナフシのように長く綺麗で、そして顔はハーフタレントのようにハッキリとした顔立ちの美人だった。
俺がバスを降りる手前で誰かがボソッと囁いた。

「なあ、いつみても、たちばなの女将さん可愛いよな。あぁ、ムラムラする。」

誰がそんな馬鹿な事を言っているんだ。と思って後ろを振り返ると、馬鹿な石原が鼻をでろっとのばしながらそういってるのが見えた。

バスから全員降りると、先に民宿に着いていた伊達監督が民宿の引き戸をガラガラと引いて出てきたので、全員で集合して女将さんに挨拶することになった。

伊達監督が挨拶を終えると、全員でよろしくお願いしますと頭を下げた。その後、女将さんからの挨拶があった。

「こんにちは、専央大学みなさん。ようこそお越しくださいました。主人が入院しても、たちばなをひいきにしていただいてありがとうございます。それでは精一杯サービスしますんで合宿頑張ってください。」

そう言うと、女将さんが深々とお辞儀をした。すると割烹着と少し大きめのシャツの間に区空間がうまれ、小ぶりなメロンを二つ並べたようなたわわな胸がチラリと見えて、ドキッとした。たぶん、そこにいた部員達はは例外なく鼻をのばし、その中でも一番鼻を延ばしていたのは伊達監督だった。

その後、部屋割りが発表された。俺は浜さんと同じ部屋だった。

「牧田なんで、たちばな荘で合宿するか分かるか?」

「分からないです。」

「それは、伊達監督がギャル好きだからだよ。」

俺は、伊達監督があの濃い顔で嫌らしくギャル女将を見てるところを想像して、ふふっ。と笑った。

箱根駅伝目前という事もあり、苛烈な合宿のメニューは滞りなく実施され、梶原さんと白井さんは浜さんの気持ちに答える為に必死で頑張り、練習結果にも見事に反映させていた。(ちなみに奇人の福永さんは、ロード走の途中でトイレに行ったのにも関わらず。結果的に、その2人より遙か上のタイムを出していた。)
それは伊達監督も目も見張るほどだった。

最後の練習の前に行われたミーティングで伊達監督がこんな事を言った。

「今回の合宿の結果だが、主力は良いとして、下の8人ぐらいの連中は情けない。よっぽど梶原と白井のほうが使えるじゃないか!約束通り、明日のタイムトライアルで結果が悪かった者は、2軍を入れ替えるぞ。」

その発言を聞いて、当然ながら、エース格はどこ吹く風というような顔だったが、一軍のギリギリで食らいついてる連中は憎悪のこもった瞳で此方をにらんできた。(特に石原の一派が凄かった。)しかし、我々としては願ってもない話なので、ミーティングが終わった後に、合宿用に借り上げた民宿の小部屋に専央大パルチザンは集まった。

当然ながら一様に顔がほころんでいた。俺もそうだった。しかし梶原さんの表情は険しかった。

「浜さん、ここまでやって申し訳ないんですが、自分は少々無理しすぎました。古傷の腸頸靱帯がどうしてもここまでしかもたないみたいです。本当に悔しいですが、本当にぬか喜びさせてもうしわけないんですが、自分は明日走ることができません。」

梶原さんの瞳からは砂時計の最後の一粒のような涙がこぼれた。浜さんはうつむく梶原さんの肩を叩く。

「何いってるんだ。あの伊達監督に、ここまで言わせたんだぞ。それだけで俺は十分だよ。俺たちはジャンクじゃないって分からせる事ができたじゃないか。」

「でも、でも。浜さん、本当に、俺悔しくて。」
梶原さんは鼻をじゅるじゅる鳴らし子供みたいに涙をボロボロこぼした。

「大丈夫だ!明日は白井がやってくれる!」

白井さんは細くてあまり開かない目の奥から鋭い眼光で眼孔をのぞかせてこう言った。

「泣くな!梶原!オマエには来年がある!俺に任せろ!ギャンブラー、白井の一斉一大の大博打だ!俺が箱根のメンバーに選ばれてな!オマエに繋ぐ襷を絶対に作ってやるよ!それから俺を目覚めさせてくれた浜の為にもな!」

「頼むよ、白井。」

そういうと浜さんと白井さんは堅い握手を交わした。その後。梶原さんとも熱い握手を交わした。

明日が早いこともあり、その後に速やかに寝ることにした。

その晩、布団に潜って目を瞑ったが興奮からか中々寝付けずにいた。すると廊下の方からなにやらゴソゴソと聞こえてきた。なんだろう、こんな時間に、誰かトイレに起きたのかな。などと思っているうちに気が付いたら眠気がどっときて夢の世界を旅していた。

次の日。朝練を行うために起床するとトイレの前の廊下で、白井さんに手招きして呼ばれた。
そして、白井さんは俺の耳元でそっと囁いた。

「牧田、お願いがある。」

おれも慎重に小声で返した。

「なんですか。」

「今日の練習までに靴を一足買ってきてくれ。大至急で。」

俺は思ってもない発言に蝋梅する。

「靴ですか?どう言うことですか?」

「こう言うことだ。」

そういって、白井さんは手に持っていたシューズを俺に渡した。一目見た限りでは特に何もなさそうに思えたが、俺はその靴を持って驚いた。

「白井さん。この靴ソールがズタズタに切り裂かれて、、、」

白井さんは俺の口をふさぐ。

「シッ、声がでかい。」

俺は、あわてて小声に切り替える。

「いや、白井さんこんな嫌がらせされたらちゃんと監督に言った方がいいですよ。」

「アホ。俺は勝負師だ。こんな嫌がらせされても勝負は勝負なんだよ!靴を切り裂かれたの理由にしたら男が廃るんだよ。俺はこんな嫌がらせでチームの雰囲気を悪くしたくない。それから浜と梶原の友情に水を差したくはない。なんか俺が、それ言ったら負けな気がするんだよ。なぁ。牧田、もし、靴が買えなければ俺はジョギング用のシューズでタイムトライアルに挑む。だけど、勝負師としては最前の策を尽くしたい!だから牧田!何とかして靴を買って持ってきてくれ!」

「いや、あの。誰かに借りれば。そう、梶原さんとかに、、、。」

「残念ながら、あいつは29cm。俺は24cmなんだ。」

「なるほど。」

「とりあえず、無茶な話だとは思うがな。でもこんなお願いオマエにしかできない。」

白井さんの小さいが熱い口調とは正反対に俺の口からはとても冷ややかな声がこぼれた。

「なぜ、私なんですか?」

「勝負師の目にはな、オマエが潜った修羅場が目に浮かぶんだよ。まぁ無理ならいいよ。しかし、他言無用で頼む。」

そういって、白井さんは朝練習に向かっていった。

半ば放心状態で、俺は朝練で使う給水用のスクイズボトルを冷える台所で準備に取り掛かった。

練習のスタートは11時からだ。つまりスポーツ店が10時に空くとしても白井さんが必要としている靴はここから40kmは移動した先の木更津でしか購入できない。俺は、10時前にはマネージャーとしての業務があるからどうしたって無理だ。確かに、普通の青年より俺はずっと修羅場を経験していると思う。でも、無理な物は無理じゃないか。こんな腐った仕打ちを受けたら、声高らかに犯人探しをすればいいのに。俺だったら、靴がズタボロに切り裂かれたらその瞬間やる気をなくしたと思う。なぜ白井さんは諦めないのだろうか?

うん?なんで諦めないんだろう。

その瞬間。俺の脳内に先輩の姿がよぎった。

「ええか!最後に勝利するのは情熱なんや!俺の歌声が最後に勝利するんや!」

「牧田よう聞けや!!もし自分がボロ雑巾になったらそのボロ雑巾を高級ブティックに飾らずにいられんほど輝いてみれろや!この世でただ一つそれができるのがパンクロックの魂なんやで!諦めず藻がいて戦い続けるのが、何より美しいダイヤモンドや!」

そうだ、戦い続けるのが美しいダイヤモンドだ!そう思うと俺はとっさに電話した。

先輩ではなく、井上さんにだ。

うーん。ドッスン