パンクロックと箱根駅伝 43話

合宿は無事は、いくつかの波乱を残したまま終了した。
結局、白井さんの靴を傷つけた犯人の事は分からなかったが、白井さんに無事靴を渡せた今となっては犯人などどうでもよかった。

宿の人に帰りの挨拶をする為に集合したが、合宿が始まる前と終わった後では、チームの雰囲気がピリッと引き締まっているの肌で感じた。

単純に強化合宿としての手ごたえを感じた者、メンバー選考に有利な手ごたえを感じた者、それからメンバー入りに絶望を感じた者。それぞの思惑が絡まってチームに独特の緊張感をもたらしていた。

ところが、巨乳のギャル女将が挨拶の為に出てくるとみんな揃って鼻の下をダラリと伸ばした。きっと色々と溜まっているのだ。

帰り道。FMラジオから『恋人はサンタクロース』が流れてきた。もうクリスマスも近いんだぁ。と思いながら、バスの窓から、アクアラインから海を眺めた。

井上さんは東京湾をジェットスキーで渡ったのか。なんて機動性の高いデブなんだろう。と思うと同時に鼻水を垂らしながら爆走していた顔を思い出してしまって、笑が堪えきれず誰にもばれないようにクスクス笑ってしまった。しかし、井上さんが命を掛けて靴を届けてくれた事に対しては非常に感謝していて、その事に対しては極めて丁重にメールでお礼を送っておいた。

合宿から帰って、数日後にミーティングが専央大キャンパスの第二キャンパスで行われる事となった。普通の大学生達はもう冬休みに入っており、ほとんど人が居ないキャンパスはまるでブラキオサウルスの化石のように巨大で静かだった。
選手たちが集合してから、丁度5分後キッカリに現れた伊達監督の分厚い唇から淡々と16名のメンバーが発表された。

「それでは、エントリーメンバー読み上げるぞ。戸川、大和、前川、福永・・・」

実績のある選手から名前を呼ばれていったので、ボーダーラインの選手たちは戦々恐々として自分の名前を呼ばれるのを待っていた。勿論白井さんもその一人だが。「、、、安藤、白井、以上。」と名前を呼ばれた後、白井さんの強化ガラスのように強張った顔が弛緩して安堵の笑みを浮かべるのが見えた。その逆に、メンバー落ちした選手は、緩慢な毒ガスで死を迎えるかのように青い顔をしていた。

その後、伊達監督により今後の練習メニューと本番に向けた戦術的スキームを説明したのちに、簡単な挨拶を添えて、ミーティングは終了した。

選手たちが撤退した後に、マネージャーとして極めて事務的にミーティングで使用した第2会議室の清掃を速やかに開始する。
俺が、長机を元の位置に戻していると、浜さんがプラスチック制の長箒で床を履きながら俺に『やったぜ』と言わんばかりの軽いウィンクしてきた。2軍、3軍の為に身を粉にして頑張ってきた浜さんの事だ、2軍の選手が不良品ではなく、頑張れば箱根駅伝のエントリーメンバーに食い込めると証明出来たので、きっと相当に嬉しいに違いない。だが、正メンバーになるにはさらに厳しい戦いを白井さんは勝たなくてはならない。

では、先輩はこんな厳しい世界で本当に戦えるのだろうか?日野先生と一体どんな練習をしてるのだろうか?先輩がどんなにクレイジーでもこの世界のクレイジーさに本当についていけるのだろうか?

しかし、俺の心の中に先輩と白井さんの事以外に、もう一つ心に引っかかっていることがある。大和さんの事だ。

はっきり言ってしまえば、俺は一目見た時から大和さんは苦手だと思った。そして現在は一番嫌いん先輩である。

少し前の事だ。マネージャーになって初めて1軍のペース走のタイムを取ることになったのだが、「今の一周、78秒」とタイムを読み上げるべき所を「今の一周、1分18秒」と読みげてしまった。俺は、ストップウォッチに1分18秒と書かれていたからそう呼んだまでなのだが、業界用語的に、100秒以下のタイムは分に直さないそうなのだである。そんな事も知らずに、俺は陸上競技場50周も業界用語的に誤った数字をを呼び続けた事になった。(因みにナメクジは近くにいたのにもかかわらず、間違っている事を教えてくれなかった。)

当然、死に物狂いで練習していた一軍の選手からは多大なる顰蹙を買っていた。練習中の選手は非常に気が立っているので、ど素人の新米マネージャーが些細なミスでもしようものなら、清王朝末期の宦官並みの陰湿な説教を受けるのが当時のトレンドになっていた。

練習が終わると当然のごとく、大和さんにロッカールームの奥にあるボイラー室に呼び出された。彼は平安人のような薄くて白い顔に似合わず背が高く、筋肉質な体をしている、特に脚が立派でまるで具足をつけた武者の様だった。

大和さんは、雨が降りしきる不燃ゴミの日に不法投棄されたマグロの頭を見るような目で俺を蔑んできた。

「あのさぁ。おまえさ。ふざけてんの?あのタイムの読み方?そもそもさ、なんでお前みたいなパンピーの学生が俺たちの世界にノコノコやってきた?ずっと聴きたかったんだよ。お前といい、細野といい。クソパンピーが適当な仕事して真剣にやってる選手に迷惑かけるのやめろよ!マジで!」

まぁ、確かに適当だったかもしれないが、別に俺は遊びでおふざけでもなんでもなく、先輩の夢を叶える為に、今こうしてマネージャーとして陸上部に奉仕しているわけではあるが、鼻息をフンガフンガさせながら怒り狂う彼に説明してもオラウータンに投資信託の話をするぐらい通じそうもないので、とりあえず謝罪することにしておいた。

「いや、とにかく申し訳ありませんでした。心入れ替えて頑張るんでよろしくお願いします!しかし、でも、ただ、パンピーと言われるのは心外です!」

先輩の影響だろうか、たまに絶対に反論しないほうが良い相手であっても、どうしても納得できないと無意識にポリっと余計な事を言ってしまい噛みついてしまう悪い癖がある。
ただどうしても、狂った人力車のような人生を経験しているのに、十把一絡げにパンピー、すなわちチャラチャラした一般大学生。と言われるだけは納得できなかった。
ただ、納得できるできないはともかく、反論すると余計怒られるのが世の常であり、大和さんが、眉をゲジゲジのようにうねらせながら、更に怒りを露わにする。

「ああ、ふざけんなよ!お前らはクソパンピーやんか!大学なんてクソパンピーの集まりや!本当に苦しいことも知らずに、親の仕送りと学校さぼってバイトで夜は飲み会だの!そんあ連中ばっかや!だからな!俺が必死で戦ってる世界にクソパンピーがノコノコやってきて土足でズカズカ入ってくるのが、俺は一番ムカつくんだよ!!フザケンナ!!!お前なんか今日で辞めちまえ!!」

あまりに理不尽な怒り方に、さすがに俺も怒りで頭がブルカノ式噴火、又はプリニー式噴火を起こしそうだったが直前の所で我慢して、そこからはなんとか猫の可愛い動画を思い出しながら、20分にわたる大説教を耐え抜き許して貰うことができたのである。

大和さんを食べ物で例えるなら、井上さんに騙されたと思って食べてみろと言われて食べたら食中毒おこした、下高井戸のガソリン臭いホヤの刺身ぐらい嫌いである。

そんな大和さんの事がなぜ気になるかと言えば、もちろん合宿最終日の吐血と、謎の手紙の欠片の事だ。

それとなく大和さんがどんな人物なのかぶないを聞いて回った。すると彼が異常なまでに一般の学生を嫌う理由がわかってきたのだ。

うーん。ドッスン