パンクロックと箱根駅伝 8話

先輩との昔話に思いを巡らせていると。

「飲みなっいすかー?」

ヌケヌケと色黒でチョビヒゲを生やした柑橘系の香水がプンプンするお兄ちゃんが、俺の心情を察せず呼び込みしてきた。しかもこいつは、今日2回目である。

「2回目っすよ!」と断ると。

「あ、うす。」と、不貞腐れた態度で口をタコにさせてきた。余裕のない俺はケリでもくれてやりたい気分だった。

しばらくすると、駅の階段をヨロヨロと降りててくる男がいた。目は窪み、頬はこけて、髪はボサボサ、髭は剃っておらず。靴はサンダル。服装は上下の汚れたスェットだった。そして、目を疑うことに先輩によく似ていた。

俺は、何回も目を疑った。あれは、きっと先輩に似たフーテン男だろう。きっと別人に違いない。いや、しかし、あれは、やっぱり、いや、まてよ、え、あ。先輩だ!

駅前の広場に降り立った先輩に駆け寄った。近くに行くと先輩は微かにゲロくさかった。

「先輩大丈夫ですか?こんなに遅れて何かあったんですか?」

「牧田、すまん。わし、やっぱ歌えんかもしれん。今日家出る時に、急に吐き気がして止まらへんかった。」

「えっ?食中毒ですか?何かいけないもの食べました?」

「ちがう。こわいんや。歌うのがこわい。」

先輩はもしわけなさそうな目をして震えながら確かにそう言った。

俺は、自分の耳を疑った。俺の耳がおかしいのであって欲しい。幻だったらどんなにいいだろう。

先輩は俺の英雄なのだ。いつだってどんなピンチでもいつでも、何も恐れないパンクロッカーだったはずなのに、こんな弱音を吐いてるのが今だに信じられなかった。

しかし、迷ってる時間はない。

「大丈夫ですか!行けますか!」

と聞くと

「ああ、なんとかやってみるわ!」

そう答えたので、

とにかく先輩をライブハウスに連れいった。下北沢の商店街を南にまっすぐ抜け、突きあたりのドーナツ屋の脇の通り雑居ビルの地下にライブハウスはあった。駆け出しバンドの登竜門「Out Space No.3」略称「スペ3」と呼ばれる600人収容の中々立派なライブハウスである。

もう出番が先のバンドが演奏している時間なので、階段を下り入り口に近寄に近よると音が漏れているのが聞こえてきた。

残りの2名のメンバーが何かと調整や準備やってくれてはいるが出番まであと40分を切っている。とにかく時間がなかったが扉を開ける前に先輩が歌えないわけがない。そんなわけがない。と、自分に言い聞かせ。振り返り、先輩の肩をがっしり掴んだ。

「大丈夫です。先輩なら!いつでもあなたは天才だったじゃないですか。俺の憧れなんです。この頃、何かあったみたいですが、ステージに立って曲が掛かればきっと大丈夫です。」

先輩は顔を上げ俺を見ると。

「ありがとう」と小さな声で言ってから「ただ、」と何かを言いかけて口をしぼめた。

その顔は、とても不安そうだった。

何があったかは知らない。

ただ、あなたは、こんなところで終わる人じゃないはずです。

ライブハウスの扉を開け、受付の入れ墨だらけの太った女に「すいません今きました!」と告げ。ステージに向かう扉ではなく、裏手の控え室に向かう扉を開け中へ入っていった。カビ臭い匂いが俺の鼻をくすぐった。

先輩をライブハウスの控え室に連れて行くと、井上さんと星崎さんはステージ衣装に着替えていた。

井上さんはTシャツにジーパンさらに改造したファミコン用のパワーグローブを付けているのがいつものスタイルだった。

星崎さんは、札幌の怪しい雑貨屋で買ったビスマルク時代のプロイセン軍の下士官の制服をステージ衣装にしていたので軍服姿だった。

イスに腰掛けた井上さんがライブハウスの人と困った顔で話していた。

「ああ!今、着ました!すいません!おい!街田ぁ!もうあと10分切ってるぞ。あっ、すみません!時間通りお願いします。ふぅ。ふぅ。おい!街田ふざけんなよ!てめぇ!あっ、そっちもお願いします。すみません。」

と井上さんがライブハウスの人に何度か謝りながら先輩に怒った。

この人が普段めったに怒らないのだが、今日は本気で怒っていた。無理もない、先輩は井上さんのドラムのテクに惚れ込み本気でスカウトしたのだ。「わしが、絶対おまえにも夢見せてやるから一緒に田無土をでようやないか!」と言う一言が決め手になったそうだが。先輩が今はこんな情けない姿なので怒髪天を突いていた。

「ほんまにもうしわけない。」

いつもの先輩から想像もできないほど小声で謝罪した。それはまるで小学生が学級会で怒られている時のようだった。

「もうさ、ここで怒ってもしょうがないから、準備させよ。その汚いスェットは、脱がして、牧田、いつも衣装以外に着替え持ってたでしょ。」

怒られている井上さんを尻目に奥でこっそりタバコを吸っていた星崎さんがそう言ったので、俺は慌てて自分の着替えを自分のバックから取り出した。

「あー、それそれ。その半ズボンを着せて、上は裸で大丈夫。靴は入らない裸足にしよう。少なくともその小汚いスェットよりパンクロッカーに見えるわ。」

先輩に着替えを渡すと先輩は俯いたままモソモソと着替えだした。

控え室にいた他のバンドの人たちが、その様子を訝しげに除きこんできた。

そこに、佐藤さんが部屋に入ってきた、彼の一番の心配は出演中止による、返金問題だったので先輩が来たので少し怒りの溜飲が下りていた。

「あー、いたいた!こねーかとおもったじゃん?まあ、もう怒る気もしねーからどーでもいいや。で、大丈夫かな?街田くん?もう大丈夫だ!って言ったから今日呼んだんだけど、。あー、なんか体調わるいのかな?」

そういうと先輩の顔をのぞき込んだ。

そこから一瞬の間があってから、先輩ははっと顔を上げて。

「あっ、いや、大丈夫です。今日、ちょっと寝坊してしまって、でも大丈夫です。」

そう言うと何かのスイッチが入った用に先輩はシャキっとした。

「ははは、そうか不安だったよ!君たち楽しみにしてるお客さんも多いし!頼むよ!」

と。佐藤さんは笑うと先輩のぎゅっ、ぎゅっと肩を揉み、部屋を出てステージ脇に移動した。

「なんだよ!おまえ寝ぼけてただけなんか!」

井上さんは先輩の腹をボンと軽く叩いた。

「すまんのう!まあ、わしにまかせろ!」

「はぁ、あいかわらず。お前は都合良くて疲れるわ。」

そう言うと井上さんはソファーにどさっと腰掛けコーラを飲んだ。

「とりあえず!急いで支度して!時間無いよ!」

星崎さんが僕らを急かす為にパンパンと手を叩いた。俺もまだ支度が全然できていない事に気がついて慌ててしたくした。

用意が住んで一息つくとライブハウスのタイムキーパーが部屋に入ってきた。

「じゃあアブラボウズさん。準備してください~。」

井上さんが重い体を「よっと」っと持ち上げ。

「じゃあ。いこうか、街田たのむよ!」

と、先輩の方を向いて呟いた。

「おう、もう、大丈夫や!まかせておけや!」

と言うと2人は先にステージの方へ向かっていった。

俺も、彼らに続いてステージ行こうとした時。

「牧田」

と星崎さんが小声で俺の名を呼んだ。

「ん?なんですか?」

と、聞き返すと、星崎さんは俺の耳元に手を当て

「あの、もう今更なのは分かってるけど、大丈夫なの街田。絶対におかしいよ。」

と聞いてきたので、俺も星崎さんの耳に手を当て

「今は先輩を信じるしかありません。」

と返した。

そして、時間が着て、アブラボウズのメンバーはステージの上に立った。

真っ黒な防音壁で囲まれたステージには興奮仕切った客が汗塗れですし詰めになっていて、それを色とりどりのレーザーや証明がまぶしく照らしていた。

いつもなら興奮するはずのステージが、今はまるで火刑台の上のジャンヌダルクのような気分にさせられた。

もう、先輩を信じるしかないのだ、頼むから。歌ってくれ、先輩。

俺はベースを持ち音の確認を終えた。

「よし、問題なし。」

4人で確認は音を確認したことを目で合図すると。

先輩がマイクを持った。

「ほな、みなさんおばんです!わしらアブラボウズ!色々迷惑かけてすまんわ!でも、今日は最高のライブにしていくで! 1、2、1、2、3、4」

一曲目「鮫肌ジャイアントスイング」だったが、先輩は問題なく歌えていた。いや、むしろ今日はいつもよりも声がでていたし、パフォーマンスも完璧で、客のテンションは最高潮だった。

やっぱり先輩が歌えない訳はない、おれの杞憂だったのだ。よかった。

一曲目を終えて、そのまま二曲目「メカ座敷童の逆襲」が始まった。

ところが演奏を始め、最初のフレーズで先輩が急にピタっと歌うのをやめてしまった。

あっ、ああ。起きてはいけないことが起きてしまった。

ステージ上の俺たちは演奏を停止し、フロアはざわざわし始めた。

先輩は電池が切れたロボットのおもちゃの用に立ちすくんでいる。不穏な空気が会場を包み、横目で見たステージ袖では佐藤さんの顔が見る見る曇っていくのが見えた。

「おい、どうしたんだ!街田!おい!ふざけんな!」

井上さんがドラムスティックで先輩を指さして怒鳴った。それと同時にフロアから轟々とヤジが飛んできた。

「なんだ!あいつ!」「ふざけるな!金返せ!」「歌えないなら!やめちまえ!」「なめてんのか!?」

俺はベースを置いて、先輩の方へ駆け寄った。

「先輩、大丈夫ですか?」

先輩は力なく泣きそうな目で力なく俺に言った。

「牧田、やっぱ、むりやった。どないしよ。」

俺もどうして良いか分からなく気が動転していた。

そこにステージ袖から佐藤さんが駆け寄ってきた。顔が普段の表情から信じられないほど顔が真っ赤になっていた。

「おい、おめぇら、どうすんだよ?これ?あそびじゃねぇんだぞ!あぁ!おい、客斑切れってぞ!どうすんだよ!おい!」

佐藤さんに一番近かった俺が胸ぐらを捕まれた。

今までこんな時は先輩に助けてもらっていた、できれば俺が先輩を助けたいと思ったが、俺はどうしていいか頭が真っ白だった上にヤジは一層酷くなっていった。

「金返せ!」「金返せ!」「金返せ!」

フロアからは金返せコールが巻き起こり、どうにもこうにも収拾不能になってしまった。

そこに、星崎さんが先輩の横に立ちマイクを奪った。

「みなさん、すみません。今日のライブを楽しみにしてくだっさたのに、こんな所をみせて本当に申し訳ありません。」

そう言うと、星崎さんは深々と頭を下げた。俺は今まで彼女が誰かに頭を下げた所を見たことが無かったので驚いた。

一瞬ヤジは静かになったが、直ぐに。

「謝ればいいってもんじゃねーぞ!」「そうだ!そうだ!」

と誰かが叫んだ。

「私も正直悔しいです。たぶん、もう今日で私たちはきっと終わりです。私も正直悔しい。」

そう言うと、星崎さんはポロポロと涙をこぼした。それをふき取ると涙声続けた。

「私は、くそ田舎のくそみたい街で育ってきて、本当に毎日がつまらなかったんだけど、街田がそういうの全部壊してくれて、で、ここにいる他のメンバーもそうで、本当にコイツが格好良くてここまでついてきたんですけど、街田が、ある日から別人になって、もうどうしようもなくて。せっかく、いい夢を見れたのに、こんな事になって本当に残念です。」

星崎さんは美しく筋が通った鼻を真っ赤にさせ、涙を何度も拭っていた。

初めて泣く姿を見た、俺と井上さんももらい泣きをしてしまった。

佐藤さんは俺の胸ぐらを掴むのを辞め、ヤジはいつしか静寂に変わっていた。

「なあ、街田。あんた、今日で終わりだからさ、せめて何があったかぐらいみんなの前で教えてくんないかな?もう、それで全部終わりで良いからさ。たのむよ。ねぇお願い」

星崎さんは先輩にマイクを渡した。キーーーンとハウリングの音だけが響いた。

先輩はそれを受け取った。手は細かく震えていた。

「わかった、わかった。本当に全部話すわ。まずは、ほんまにすみませんでした。お客さんも、メンバーも。佐藤さんも、本当に迷惑をかけました。すみませんでした。」

そう、言うと先輩は深々と頭を下げた。十秒ぐらいすると顔をあげて、一呼吸おいて、話し始めた。

「わしは、生まれたときから母親しか知らなかったんや。父親の事をぼんやり覚えているだけで、じいさんもばあさんも会ったことがない。母親は何かあって過去をキッパリ捨てていた。だから田無土という街にくる前は、俺はどこの街で生まれたのかも分からなかった。ただ、わかっていたのは田無土は自分の故郷では無いことだけや。暮らしは貧しいし、母親はいつも苦労していた。だから俺は、自分たちを捨てた父親が憎くていつか殴って野郎とずっと思ってた、だから、パンクロックを始めた事がはじまりなんや。なんか自分の中の父親を恨む心をパンクロックで昇華させていたんやな。」

そこまで言うと、一回息をフーっと吐いた。

「で、俺は、アブラボウズってバンド作ってな、牧田、星崎、井上っていうな、最高のメンバーと過ごす内に、その恨みも減っていったよ。でな、わしが大学に行くことになったとき、父親の親戚を名乗る人から全額授業料肩代わりするから、20歳になったら父親に会ってほしいって手紙がきたんやな。正直、生活が苦しいからOKしたんやな、そのオファーをうけたんよね。で、この前会いにいったんよ。京都の堂留市って所にさ。そこが俺の生まれた場所やった。ただ、行くまえに母親から電話でこう言われたんやね。(もし、全部真実を知っても私の事を許してな。)って、そう、泣いて謝られた。わしは、何言うとるんや大丈夫やで。そう母親に言ったわ。」

先輩の語る口調にはどこか艶があって魅力的だった。気がついたら皆が耳を傾けていた。

「堂留駅に行くとな、70歳ぐらいの爺さんが待っていた。もしかしたら、この人が父親かと思ったんだが、その人は俺のお爺さんだった。その人が駅前の立派な中華料理屋を予約しててな。そこで、二人で食事したんやな、爺さんは俺に会うのを心から喜んでくれて、もう本当に高級食材をなんでも好きなだけ食べさせてくれたわ。食事も一息ついた後。俺は意を決して父親の事を聞いたんやな。そしたら、自分によく似た青年の写真を一枚だしてきた。(これが君の父親だ。)というんや。どうゆうことや?と思って聞くとな、もう死んどったんや。俺が産まれる前にな。いや、意味が分からないと思ってな。じゃあ、俺の記憶にある父親はだれなんや?と思って問いただした。そしたらな。おれ、自分が凄い間違ってる事に気がついたんや。わしが、産まれる少し前、堂留川大水害ってのがあってな。まあ、この中に30歳ぐらいの人がおったら知ってるかもしれん。大雨が四日間に渡って降り続け堂留川が大反乱し。土砂崩れや、崖崩れが街をおそって、死者672名行方不明者98名をだした。平成でも指折りの大水害や。そんでな、母親の実家はちょうど崖の側にあってな。母方の両親は崖崩れで飲まれて亡くなってしまった。俺の父親はその時、街の消防団と共に逃げ遅れた街の人の救助に行こうとしてたんやが。しかし自分も土石流に飲まれて亡くなってしまったんや。なんてことや、俺の父親は正義感の強い人やったんや。」

まさかの告白に俺は息を飲んでしまった。そしてフロアでは、何人か泣いている人がいるのが見えた。

「でな、母親は失意の中わしを出産して、父の家にお世話になったんや。最初は丁重にもてなされたそうだが、次第に祖母から嫁いびりを受けて形見がせまくなっていったそうなんや。それというのも、祖母は俺のおふくろと結婚しなければ、息子は死ななかったと言う感情が祖母に芽生えていったそうなんや。しかし、この中で一番辛いのは母親や、両親と夫を失い、乳飲み子のわしを抱えて姑にはいびられる。そんな母親は「心のオアシス研究所」とかいう新興宗教にハマった、そしてそこの幹部と恋仲になり。その人と同姓して父の家を出た。なんて事や!わしが父親やと思ってたのはそいつやったんや!しかも、そいつは母親が受け取った多額の保険金や遺産が目当てだったんや。母の知らない所で自分の名義で不動産や証券を大量に購入しそれどころか借金で残して消えたそうや。足取りを追うにも「網里」と言う偽名を名乗っていたので足取りを終えなかったそうや。すべてを失った母親はわしを抱えて失意の中山奥で心中しようかと思ったが、朝まで死にきれず、そこで見た夕日が美しかったから。なんとかこらえてそこで過去を隠して生きていくことを決めたそうや!そこが田無土やった。」

そこまで言い切ると先輩は、だらんとマイクを下げて膝に手を突き「ふうふうふう」と息を切らした。話しているだけなのに汗びっしょりだった。

俺は、もう精神的に限界だと思い。先輩の背中をさすり。

「先輩、もう十分です。わかりました。もう帰りましょう。」

俺がそう言い終わる手前で。

「いや、たのむ最後まで言わせてくれや。」

先輩は、存在しない何かを飲み込むと強い目で頼んできた。

俺は佐藤さんをチラッと見ると、彼は小さく頷いたので

「わかりました。最後までおねがいします。」

と、言い先輩の三歩後ろに下がった。

先輩は一度天井を見上げてから、前を向いた。

「それでな、わし分かった事があってな。ずっと父親殴りたいとか言ってったけど、わし、本当は父親にあいたかったんや。うっすら覚えている、父親と過ごしたと思っていた日々が楽しくてな、なんか昔の海に行ってとっても楽しかった記憶があってな、殴りたいと同時に認められたい、愛されたい。って感情が心の無意識にあったと思うんやな。ただ、記憶のそいつは父親じゃなかった。実は、そいつは母親だましてただけやんな。なんやそれ。なんやそれ。もうわし、今まで何を恨んで生きてたんたんだろうと思ってな。もし、父親が立派に人を助けようと思って亡くなったと教えてくれたならきっと父親を誇りに思えただろうけど、もうこの年でそれを知ってもどうしようもなかったわ。でな、父親がどんな人なんやろうと思ってな父親の遺品を色々見せてもらった。卒業アルバムや、家族旅行のビデオとか色々みせてもらったんや、なんか幸せそうでな。自分の境遇から比べるとなんか幸せそうでな。この人がもし生きていたら全く違う自分がいたんだろうなと思うと何にも言えなかった。そしてな、一番俺が見せてもらって辛かったのが、数十冊は積まれたボロボロの大学ノートだった。タイトルには「練習ノート」って書いてあった。父親は中学生の時から陸上部だった。中学生の時の最初ノートの1ページに、こんな事が書いてあった。(箱根駅伝に出場する!!)って汚い字だけどでっかくかいてあったんや!ずっとな、ノートを見ていくうちに父親の事が分かってきたんや。決して走る才能が会ったわけでも、順風満帆だったわけでもない。何度も怪我して何度も手術していた。強豪の宇都宮学園大学に進学したんだが実力不足から入部すら断られて、でも高校の先生と何度も頼み込んだことも書いてあった。ノートの後半には何度も辞めたい辛いって書いて会った。きっとワシが想像もできへんぐらい、苦労してたんやろうな。そんな父親も4年生になってやっと実力が付き一軍昇格して。なんと、箱根駅伝のメンバーに選ばれたそうや。ただ、実力があるメンバーが怪我や高熱を出して何名か欠場して、奇跡的な出場だったそうだ。なので、父親は8区で大ブレーキをし、陸上部始まって以来の繰り上げスタートになってしまい父親が中継点に到着したときは誰もいなかったそうなんや。決して父親だけの責任ではないけども、相当、監督やチームメイトやOBやファンからスケープゴートにされ、最後のノートは、本当に辛かったんだろう。色々な事を自分の責任と感じて長々と謝罪文を書いていた、それは涙を流した後で滲んでいたんや。でな、その、ノートの最後の、、、最後のページ。」

そこまで、言うと先輩は一回涙を手のひらで拭って鼻をすすった。

俺も、いや、ここにいる全員が涙が止まらなくなっていた。

「それからな、最後の1ページに、練習日誌ずっとボールペン2色で書いてあったんやけど、最後の1ページだけな、明るいピンクの蛍光ペンでこう書いてあったんや。(ずっと、ずっと辛く長い陸上生活でしたが、僕もやっと素敵な女性と出会い幸せな家庭を築く事ができました。あの辛い日々が会ったから、今の幸せがあると思うと色あの時の事は色々と肯定できそうです。ただ、一つ心残りは最後の中継所で襷を渡せなかったことだけだな。僕にももうすぐ子供がうまれる、病院で検査したら男の子だそうです。彼がこれから何を目指し、どんな人間になるか。それは神様しかしりません。ただ、親として、あの時 渡せなかった襷の思いを繋いでくれたら僕の心残りはもうありません。なので、産まれてくる男の子の名前は。)」

そこで、もう一回涙をぬぐい、ふぅと先輩は息を吐いてから。

「なので、産まれてくる男の子の名前は、名前は。繋。街田繋にしたいと考えてます。)そう書いてあった。そして、わしの名前は街田繋や。」

先輩の精神はもう限界だろうきっと止めるべきなのだ、しかし、俺は心がしびれきってそれができなかった。

きっと、星崎さんも井上さんもそうだろう。

「なんか頭が真っ白になってな、よく覚えていないんやけれど、そこから父親と母の両親の墓参りにいったりした。でな、東京に帰ってから俺は、おふくろに電話で、死ぬほど謝られたが(全然なんもないで)とだけ言って電話を切った。それから寝込んだ。死んだ父親はなんて報われない人なんやろうと思った。産まれてくる子供の顔は見れず、愛した妻は両親と仲違いして新興宗教にハマり、恋仲になって騙され、残された子供は辺鄙な田舎町で世捨て人のみたいに生きていた。果たしてわしは、父親の何を繋いだのだろうと思うと、口の中にガーーーっと黒くて気持ち悪い虫が入ってくるような気がしてな。なんかそれかや、わしは歌えなくなった。その黒い虫が俺の中に住み着いて、お前に歌える歌はない。そう耳元で囁いてくる。悪夢ばっかり見る。もう辞めたい。しかし、メンバーを田舎から連れてきた責任もあるし、絶対に成功させてやりたいとおもってたんやが、もうダメやった。何度やっても、何度やっても、俺の中の黒い虫が囁くんや!お前はもうダメだって。」

ライブハウスは普段なら耳をつんざくほどの轟音が鳴り響き熱気が渦まいてているが、今日は初めて空調の音が聞えるぐらい静かだった。僕らはおとなしく、色とりどりの光線に照らされがら独白を続ける先輩を眺めるのみだった。

「だから、もう終わりや。みんな、さようなら。以上 アブラボウズでした。」

先輩はマイクをスタンドに戻し、泣きながらゆっくりステージからはけていった。

俺は、どうして良いか分からず、とりあえず、まだステージの上にいた佐藤さんに。

「あの、今日はせっかくの機会なのに、本当にすいませんでした。」

謝ったが、佐藤さんは何も言わず首を横に振った。彼の顔も涙ではれていた。

「今日の事は俺はもうなんもいわん、客もみんな納得してくれてる、だから君は早く街田を追いかけろ。アイツは必ずこのステージに再び立たなくては行けない人間だ。ほら、早くしろ!」

そう言って俺の肩をポンと押した。俺は慌ててベースギターを取り、控え室に行ったが。先輩はそこにはおらず、スェットとサンダルも無かった。

はっと思い、控え室を出て入り口の方を除くと丁度だれかが出て行くのが見えた。

「先輩、ちょっと待ってください!先輩!」

ライブハウスのドアを開け走って階段を駆け上がったがそこには、先輩の姿は無く、夜の繁華街の明かりと電車が高架橋をすぎる音しかなかった。

うーん。ドッスン