パンクロックと箱根駅伝 11話

伊達監督から、陸上部に入る資格がないと完膚なきまでに論破された傷心の俺と先輩は、どちらが言い出すでもなく駅前にむけ歩いた。銀杏が瓦屋屋根を黄色く染めた丘の上の住宅街を言葉もなくトボトボと歩いた。その途中。先輩が上を向いてこう呟いた。
「牧田おまえ本当にいいんか?本当に、マネージャーになるんか?」
先輩がそう呟いた。
俺は、同じく青空に浮かぶちぎれ雲を眺めながら返事をした。
「いいんです、マネージャーになったからといって先輩が入部できるわけでもないでしょうけど。それでも、止まった先輩の魂が動き出すなら何だってしますよ。ここまで先輩を突き動かしてしまった、自分の誠意だと思ってください。」
この言葉に偽りはなかった。現に先輩を陸上部へ行くように焚きつけたのは自分なのだから。「そうか、ありがとうな。でも、お前にも、人生があるやろ、そんなこれから就職も考えなきゃならんし、、親御さんも、、。」
俺は、先輩の口から唐突に「就職」「人生」「親御さん」などの今まで聞いた事ない台詞がポンポン飛び出したので俺は思わず吹き出してしまった。
「ん、なんかおかしいか?」
「おかしいもなにも、つい先週までパンクロックに命を懸けてた貴方が何を言うんですか?俺は先輩を追いかけてこの大学に進んだんですよ。その時から腹をくくってましたよ。もう、一生まともな生き方はできないって。浮浪者になるか、成功するかそのどっちかしか最初からないんですよ。だから気にしないでください。」
先輩の歩きが少し遅くなった。ふと、横を見ると先輩は照れくさい顔をしていた。
「なんかありがとうな。」
「いいんです、私は貴方の影です。ずっと支え続けますよ。」
「そっか、牧田はワシの影か。でも、ワシ、もうこんな情けない姿やし、陸上部だって結局入れるか分からんし、牧田は牧田で別に自分の人生を歩んだってええんやぞ。」
狂喜の固まりだった先輩から、まるで普通の優しい人みたいな台詞が出てきて、俺もなんだか照れくさかった。
「それは違いますよ。もし、ここで僕が自分のやりたい道を急に探して選んでも、普通の大学生として、ありふれた青春を謳歌し、ありふれた恋愛をし、ありふれたサークル活動をしてから。急にありふれた就活するんです。そこで自分の道は終わります。私が、何かの影でいられるのは先輩が太陽だからです。太陽が沈めば、影は夜の一部になってしまいます。つまり、それが私です。だから、俺は、先輩についていきたいんです。先輩にずっと輝いていてほしんです。その為だったら人生を賭けれます。それに、ここで俺が急に陸上部のマネージャーになる人生なんて、なんだかパンクじゃないですか。だからいいんですよ。」
そう言い終えると先輩は急にそっぽを向いた。
「な、なんじゃあ、男同士で照れくさいこというなや、アホッ!」
と言った後に、犬の小便で劣化した電柱に唾とも痰ともとつかない体液をペッ ペッ ペッと吐きかけた。きっと先輩なりの照れ隠しなのだろう。
そこで俺は、すぅうと一回息を大きく吸い込むと覚悟を決めた。アレを言うべきだ。言わなければならない。
「先輩、今から大切な話をします。これはマジの話です。いいですか?これから一緒に、駅前の1000円カットに行きましょう。二人で坊主にしましょう。」
先輩は明らかに怪訝な顔をした。
「えっ!なんで1000円カットにいってボウズにすんねん。」
先輩の肩を掴み真剣な目で睨んだ。
「俺は真剣です。これが決め手になるか分かりませんが、ボウズにしましょう、さっき先輩がウンコしてる間に携帯でうちの大学の陸上部についてザッと調べたんですが、どうも、それなりに強豪らしくて下級生は全員坊主強制みたいです。つまり、陸上部に入れば遅かれ早かれ坊主にはなるので、腹くくって坊主にしましょう。誠意を見せればどうにか道が開けるかも知れません。」
先輩は明らかに目を泳がせながら狼狽し、手つかずの五右衛門のようなボサボサ頭を名残惜しそうに撫でながら。
「ほんまに?ほんまに坊主にするんか?坊主にせんとあかんのか!?」
俺は常々思っていたのだが、この男のボサボサ頭に対するこだわりが全く理解できない。先輩と出会ってから数え切れないほど、「もう少しまともな髪型にしたらどうですか?」勧めた事があるのだが。そのたびにイヌイットに殺される狐のような悲しい目をするのだ。そして、家に帰って自分で適当にはさみでザンギリに切って「これでええやろ!」と言ってくるのだが、出鱈目なザンギリすぎて文目開花以前の音が聞こえそうな代物だった。
まずは先輩の、小汚い頭を坊主にでもしないと、伊達監督に話すら2度と聞いてもらえないだろう。肩を握る手がギュッと強くなる。
「いや、今日こそ切りましょう!それしかありません。それから明日スーツアイロンをかけて来てください。朝9時にもう一回、伊達監督のところにいきましょう。」
先輩の瞳がシロナガスクジラのように深く哀しげになった。
「いや、牧田、そこまでせんでええんちゃう?」
「なに言ってんですか!舐めてんですか!?ここまで来たら覚悟を決めてくださいよ。」
ずっと先輩と一緒にいて感覚が麻痺していたがよく考えたら、今日の先輩の格好は特に酷かった。ボサボサの小汚い頭に、秋なのにシャツ一枚で膝が穴が開いたジーパンを履いていた。しかもシャツは上野の怪しい古着屋で買った、380円で買った襟がベロベロに伸びた代物で、「83年ワァルドーツアー」とカタカナで書かれた上にインド人らしき人物が綱引きしている絵柄であり、常人には、とても理解に苦しむ物だった。そんな人物が陸上部監督の前に急に現れて「陸上部に入れてくれ」なんて言ってきても、きっと合法ドラックでイかれた学生だとしか思われないだろう。全くもって門前払いさせられて当然である。
俺はさらに強く先輩に詰め寄る。
「どうしてもです。絶対です!絶対に坊主にしてください。もう、覚悟を決めましょう。パンクロックが通用しない世界に殴り込むんです。すべて捨てましょう!分かりました!先輩がやらなくても俺はやりますよ。坊主にします。」
俺も破れかぶれなのだ。もう、後には引けない。
先輩はうーーー。とうなって首を捻ってから。
「分かった!分かった!分かった!でも、1時間だけ考えさせてくれない?わしも心の準備が必要で、、。」
なんだ、このトンチキは!陸上部に入る度胸はあるのに、てめえのそのへんな髪型がそんなに大切なのか。そう思ったらさすがにカッカと腹が立ってきた。
「あー、もう知らないっす。じゃあ、自分坊主にするんで。明日、9時集合よろしくお願いしますね。」
そう言い残すと俺は、「おい」と呼び止める先輩を残して早歩きに床屋に向かった。途中カタバミが生いしげる空き地を抜けてだいぶ近道をした。
先輩にはああは言ったが、俺だって坊主にするのは嫌なのだ。しかし、もうこうする以外に方法が思いつかない。そして、出来るだけ早足で歩かないと床屋に着く前に不安と焦燥と後悔に追いつかれて、床屋の門前で挫折し坊主に出来ない気がしたのだ。

俺は、武蔵境の美容室「epika1」に一時間掛けてワザワザ通っていた。カット一回5800円である。正直に言えば貧乏学生にはとても高い、そう高すぎる。そして、電車賃の往復を入れると7200円になる。だが、そこの美容師の立石雪さんがすごく素敵なのだ。決して美人ではないが話が面白く笑顔から覗く八重歯がキュートだった。彼女の柔らかな髪のにおいを嗅ぎながら髪をトリートメントしてもらうのが何よりも好きだった。むしろ俺は彼女が好きなのだ。でも、知り合いのバンドマンの女なのだ。「彼女客が取れないらしくて割り引くからいってあげてよ。」と言われ仕方なく行ったが最後。美容師を出る頃にはも狂おしいほど好きになってたのだ。もう、捕まっていいから彼女が鍬ばさみをもつ細い腕を掴んでキスしたい衝動で一杯になり、頭の中ではギターがアンプが壊れそうなほどの轟音をかき鳴らした。彼女は長い髪のギタリストが好きだった。それを目指して気がつけば、俺の髪は肩まで届く綺麗なストレートヘアになっていた。

「お客さん。本当に良いんですか?」

「おやじさん、ひと思いにやってください。」

禿げて鼻毛がでたオヤジが、農耕機具を持つ納付のように俺の頭を刈り取っていく。羅証門の老婆に上げたらさぞ喜ぶであろう。俺の美しい髪が地面に落ちて幾たびに、自分が浮ついた夢物語から泥臭い現実と戦ってイくことを感じていた。酔狂だ、なぜ、先輩の為にそこまでするのだろうか。なぜ、俺は彼の影なのだろうか?俺は混乱している。しかし、この混乱と葛藤こそ自分を正常な人間に近づけるような気がなんとなくしていた。

「こんな感じでいいですか?」

鏡をみると、俺ではなく貧相で痩せこけた色白の狐みたいな男がそこにいた。
「はい、大丈夫です。」
思わず涙が一粒でてきた。しかし、1000円を腹って店の外にでて寒風に頭をさらすと何故か勇気が出てきた。
俺は、ずっと先輩の影だったのかも知れない。きっと、大切にしていた肩まで伸びる長い髪も先輩からバンドに誘われたからそこまで伸ばしたのだ。
手で触れるとジャリジャリ音を立てる坊主頭の感触が、自分を実像にさせるような感じがした。

夜はとっぷりと暮れ、白い息がパチンコ屋のネオンで照らされた。

うーん。ドッスン