パンクロックと箱根駅伝 20話

日野先生はどかしそうに膝をさすった。

「俺は、勝利のために全てが見えなくなっていたんだ。未だに娘が自殺未遂した理由さえよくわからない。そう、俺はオリンピックこそが全てで、それ以外は何も見えていなかったんだ。さっきも話したように、闇雲に強い選手を作ろうとする課程でなんでもやったよ。どんな犠牲をも厭わなかった。そうだ、俺は選手を物としか見てないからそんなことが出来たんだよ。俺が壊し続けたのは選手の人生だったんだ。箱根駅伝を通して4年間の人間関係だ。人間にはもっと豊かな人生があって、箱根駅伝なんてそのたった一部分なんだよ。でもな、自分が箱根駅伝の狂乱の中にいるとそれが見えなくなるんだよ。彼らは自分の人生そのもの箱根駅伝にぶつけていたんだ。それを良いことに、俺は選手を自分の為に利用して、そして壊し続けてたんだ。俺はそれに気がついて猛烈に反省した。自分に関わった選手が今何をしているか、色んな人に聞いて訪ねたんだよ。そうしたら、まるでモスクワオリンピックを逃した俺のようにロクデナシになってる奴が何人もいたんだ。ああ、俺はロクデナシだった俺の人生を作り続けていたんだ。」

日野先生の語る口調は次第に強くなり、まるで自分を攻めるようだった。

「しばらくたってから、俺は何が正しくて悪いのか分からなくなった。だから、その年の箱根駅伝が終わってから監督を降板した。びっくりしたのが、俺が退任の挨拶をするときの選手やOB達の憎しみの籠もった目だ。みんな俺の事を恨んでいた。『俺の人生をめちゃくちゃにしやがって。』そんな声が今にも聞こえそうなほどだった。当然の如く挨拶が終わっても小さな拍手がパラパラ聞こえただけだったんだよ。どこからか小さい声が聞こえた。『やっと、粗大ゴミがいなくなるな。』ってな。俺は弱い奴はゴミだとと思っていたが、一番のゴミは俺だったんだよ。俺も、箱根の山に眠る骸の一つになったんだ。」

最後は力なく言い終えた日野先生に、俺は思わずこう言った。

「いや、日野先生は全然そんな人に見えませんよ。本当に感謝しています。」

「そうだな、そこから俺は監督を辞めてスカウトや体育会全体の経理の仕事に回った。ずっと監督一本でふんぞり返っていた身だ。辛かったかったよ。でもな、違う仕事を一生懸命やってても俺の頭は自分をずっと攻めていた。どこからか聞こえてくるんだ『気分はどうだ壊し屋?ぬくぬくと働いて言い身分だね。』ってな。そんな声を聞きながら働いていたある日、体育事務室で『陸上部を辞めさせないでください!』と泣きながら懇願している奴がいた。吉岡だった。俺は、ピンと来たんだ。『あいつを助けよう』なぜだか分からない。そう思ったんだ。」

吉岡、、、そうださっき段ボールの陸上グッズに吉岡って名前があった。

「吉岡って、あの二階の段ボールに。」

日野先生は頷く。

「そうだ、あの吉岡だ。吉岡は、当時陸上部一年生で居眠りがひどかったらしく、どこでも急にパタンと眠ってしまう。それが当時の監督の逆鱗に振れて退部を宣告されていたんだ。でも、何故かわからない。『助けなきゃいけない。』そんな声が聞こえた。『監督、吉岡は俺が彼の面倒を見るから時間をくれ』そう言ったんだ。みんな唖然としたよ。幽霊のようにボォっとして事務所で働いてる元壊し屋が何を言うんだってな。でもな、吉岡の話をよく聞いて直感的に分かったんだ。こいつはナルコレプシーだってな。」

聞き慣れない言葉に先輩が聞き返す。

「ナッ、ナルコレシプーってなんですか?」

「ナルコレプシーは過眠症の一種で、脳の病気なんだ。それで俺はとりあえず家で吉岡をおいてな。病院に通わせながら面倒をみたんだ。1年たって完全には良くなったわけではないが、もう一度彼を陸上部に戻したんだ。彼は強かったよ。彼はナルコレプシーが問題になっていただけで才能はすさまじかった。そして、4年の箱根では9区を走って区間2位だった。たまげた、俺以外の人もたまげたはずだ。『あのクズやりやがった!』ってな。そんな吉岡が言ってきたんだ。『日野先生ありがとうございます。私の人生は貴方に救われました。きっと貴方が救ってくれなければ、きっと僕はプータローでした。』ってな。その時、なんだか少し救われた気がしたんだ。『壊し屋と呼ばれ続けた俺だけど、本当は誰かの人生を救う事が出来るんじゃないか』ってな。そこから、全国から才能はあるが何か問題のあって誰も引き取らない選手を見つけてきては、俺の家で1年修行させて陸上部に送り込むようになった。片目が見えない選手。文字が書けない選手。心臓が悪い選手。親に殺されかけた過去を持つ選手。補導歴がある選手。色んな奴がいた、でもな、俺が見つけてくる奴は必ず箱根で活躍するんだよ。自分でも不思議なんだ。いつしか俺は『ジャンク屋』と呼ばれた。」

ジャンク屋日野。なんだろう俺の胸はワクワクしてきた。俺は質問する。

「じゃあ、僕らの事も。」

「そうだ、伊達監督になってからは、すっかり『ジャンク屋』は廃業したつもりだったが、俺は一目見て分かったんだ。これはとびっきりのジャンクが来たぞ。ってな。」

俺は、食いつくように聞いた。

「もしかして先輩は才能があるんですか?先生の目にはそう見えたんですか?」

日野先生はフフっと笑った。

「才能あるかどうかなんて走ってみないと分からないんだ。ただな、俺は人生を掛けて箱根駅伝目指す奴の気持ちを組んでやりたいんだ。そして、君だ。牧田君がいたから俺は街田を引き受けたんだ。」

俺は驚く。

「自分ですか?」

「そうだ。自分になんの利益もないのに誰かのためにマネージャーになるなんて酔狂な人間は世そうはいない。なんだかわからないが目だけギラギラ輝いている、こいつらを物にするのがジャンク屋最後の大仕事だと思ったんだ。」

先輩が深々と頭を下げる。

「ほんま、ありがとうございます。」

「礼なら牧田くんに言ってくれ。勘違いするなよ。街田には地獄をたっぷり味合わせるからな。その代わり絶対強くするわ。」

地獄。と言う日野先生の口調は嘘でもジョークでもなんでも無かった。

「ところで、ビデオを見る前に、街田はお父さんがどんな選手だったか知ってるか?」

先輩は首を傾けながら。

「えっと、才能がなくて苦労して、やっと箱根を走るも大ブレーキせいて襷を繋げなかった。としか知らなかった。」

日野先生は腕を広げて首を振る。

「間違いだな。俺は昔のデータ引っ張り出して街田のお父さんについて、事細かに調べたんだ。それでわかったんだ。才能は合った。しかも超天才だ。」

俺も先輩も驚愕して「えっ!」っと驚きの声をもらす。

「えっ!?じゃ、じゃあなんで、あんなに苦労したって日記に書いてあるんですか?」

日野先生はテーブルの下に置いてあったメモ帳を取り出す。

「街田道朗。高校1年生で当時としては破格の14分31秒のビックレコードを出す。しかし、その後、膝の怪我で軟骨の大部分を摘出。以後、15分50秒以上の結果を出せない。並の選手になる。長距離の世界にはいるんだよ。脚の筋肉が強すぎて関節が持たなくて一年だけ燃えて消えていく天才ってのがな。そして街田のお父さんがそうだったんだよ。」

うーん。ドッスン