パンクロックと箱根駅伝 19話

僕らは日野先生に案内されて、広間の隣の応接間に連れて行かれた。
その部屋は、立派な赤いヴェルヴェットの絨毯が引いてあり、革張りの立派なソファーと大きな気を輪切りにしたような立派なテーブルが設置さていた。壁に沿うように設置されたガラスケースには監督時代の栄光を表す為のトロフィーや賞状が所狭しと並んでいた。

「す、すごいへやですねぇ。トロフィーがこんなに。」

俺は、ため息混じりに驚愕したが、日野先生は部屋の角にある液晶テレビの下の台座の中に設置されたVHSの準備をしながら。

「そんなに、トロフィーがすごいかね?」

と、嫌みではなく当たり前のように問いかけてきた。

「いや、こんなトロフィーみるの初めてです。」

先輩が恐縮そうに返事をする。

「そうか、でなも、ここにあるものは魂がないんだよ。まぁ、その話はおいておいて再生できる準備が出来たからソファーに腰掛けてくれたまえ。」

促されるままに、俺と先輩は腰掛けた。先輩をちらりと横目で見ると興奮気味で少し落ち着きが無かった。
リモコンを持った日野先生が先輩の横に腰掛けた。

「緊張するかね?」

「はい、父親がどんな人間か知りたいんです。ずっと、父親を憎んでたんですが、でも、父親だと思って憎んでたのが、母親を騙した宗教がらみの結婚詐欺師だったんです。だから、わしは親父の消えていった魂に報いたんです。」

日野先生は熱く語る先輩の目をジッと見る。

「奇遇だな。俺も同じ事考えてたんだよ。」

「同じ事ってなんですか?」

俺がそう聞き返すと、日野先生は小さなため息をした。その時、奥さんがすてきな中欧風のマグカップにたっぷり注いだ、ミルクコーヒーを持ってきてくれた。

「ありがとうございます。」

それを一口すすると、コクのある深い苦みとまろやかな甘みを感じた。少しとろみがあって、胸が奥からポッポッと暖まった。
日野先生も一口啜って、マグカップを静かに置いた。

「うん、でビデオ見る前に、俺の話からしようか?俺がどんな人間なのかを。」

そういうと日野先生は遠くの方を眺めた。

「是非、お願いします。」

先輩が快く返事をした。
俺も同じく。

「是非聞かせてください。」

と返事をすると、日野先生はマグカップの中のコーヒーを少し眺めてから話し出した。

「、、、。長い話になる。専央大学監督だったのは今から30年ぐらい前の事だ。まずは、もっと若い時から話そう。俺は、小さい時に東京オリンピックのマラソンを見てから、ずっとオリンピックの選手になることばかり考えていた。それで陸上部に入りずっと陸上一本だった。大学はもちろん専央大学だ。3年の時に箱根で優勝してな。当時、名門と呼ばれた山手鉄鋼にスカウトされた。そして。実業団で紆余屈折を経て、ついに10000mでモスクワオリンピック日本代表に内定を貰ったんだ。あの時は嬉しかったよ。でもな、日本選手団のボイコットがあって。俺は憧れ続けたオリンピック選手にはなれなかったんだ。他人は簡単に(次がある)(絶対ロスはいける)なんて、失意の俺に声を掛けた。ただ、俺の脚はモスクワまでに全てを掛けていて、もう使い物にならなかったんだ。痛め止めの注射の打ちすぎでバカになっていた。そう、幻のモスクワオリンピックこそが俺の全てだったんだ。」

俺は、驚愕を受けた、優しそうで小柄な初老の男性としか思っていなかった日野先生がこんなに偉大だとは思っていなかった。

「そして、俺は腐った。ずっとオリンピックの為に我慢してきた何かが自分の中で暴れて、もう止められなかった。廃人同然だ。ギャンブル、暴力なんか日常茶飯事で、借金もいくらしたかわからない。ああ俺はこのまま糞虫みたいに死ぬんだと思ったよ。でもな、俺には救いが2つあった。まずは、今の奥さんに出会えた事だ。借金にまみれて家賃も払えずアパートを追い出されて飲み代すらもなくなって、借金取りに殴られて日比谷公園で浮浪者同然に座っていんだ。そんな俺に、品のある女子大生が(駅伝の日野さんですよね。)と声を掛けてくれたんだ。それが今の奥さんで、陸上好きで俺の事を知っていた。しかも奥さんの両親も俺のファンだった。そこでお世話になって救われたんだ。だから俺は、今も生きている。俺は陸上の神に生かされたんだ。そして、仕事をはじめ結婚し、娘も生まれて、少しずつ真人間に戻れた俺に、専央大学の監督の話が来た。それが2つ目の救いだ。その時はちょうど32歳ぐらいの時だ。」

日野監督は自分の過去をゆっくり丁寧に話している。

「良い話ですね。だから、僕たちを、、」

と、俺が相槌を入れたが。日野監督は言い切る前に首を振った。

「違う、そうじゃないんだ、俺の罪はここから始まるんだ。」

普段あまり聞くことのない罪という言葉にこの部屋凍り付くような感じがした。でも、そうだ、ここで話が終わってしまえば僕たちにこんなにも面倒を見てくれる事の説明が付かない。
日野先生は少しコーヒーを飲んでセキ払いをしてから話を続けた。

「専央大の監督になった俺は、実は、箱根で優勝させる事なんてどうでも良かった。頭にあるのはただ一つ。絶対に教え子からオリンピック選手を出さなければいけない。それだけだ。再び心を鬼にして、ただひたすらに厳しさを求めていった。オリンピック選手という大きな花を育てるには、チームと言う肥料が必要なんだと俺は考えた。そう、俺は非情だった。チームワークや人間性なんてどうでも良くてあくまで冷徹に厳しくした。勿論、今の常識で考えられないような事も沢山した。貧血の選手には鉄剤を大量に服用させて血管をボロボロにさせたし、怪我が直らない選手には痛み止めを血を吐くまで飲まさせた。練習は常軌を逸するレベルで行わせ、ついてこれなくて消えていく選手はただのゴミだと自分に言い聞かせた。強く才能ある選手を手に入れる為には金がいる。金を手に入れる為には大学に交渉しなければならない。交渉するためには勝利がいる。勝利の為には強い奴がほしい。強い奴を得る為には才能が会る奴を集めて極限まで競わせるしかない。それについてこれない奴はゴミだったんだ」

優しい日野先生からゴミと言う言葉がでるのが信じられないが、きっとこれこそこ日野先生の優しさの裏側なのだろう。

「俺は、着実に結果を出していった。10年も監督をやっていると何回か箱根で優勝し、オリンピックまであと少しと言う選手を何人か育てられるようになってきた。選手の前では(箱根駅伝で勝つことが大切だ。)とは言うけれど、俺は、ずっとオリンピックの事しか考えていなかった。そんな俺の最高傑作が伊達だ。」

俺は手をポンっと叩く。

「ああ、伊達監督ですか。」

「あいつは、強かった。まるで、おれの生き写しの様だ。ただ、あいつは大学生で燃え尽きてしまった。将来を期待されながら、まったく実業団で力を発揮できなかったんだ。」

日野さんがもう一口、コーヒーを啜る。

「なんでですか?」

マグカップを置いてから、俺をしっかり見てこういった。

「壊し屋。俺は、壊し屋って呼ばれていた。」

俺は、ビックリして声が上ずる。

「壊し屋ですか?」

「ああ、才能がある選手を育てるが。全部卒業して実業団に行くと使い物にならなくなる選手が多かったからそう呼ばれたんだ。でも、そんな事は全然気にしていなかった。俺は、強さこそが全てだと思った。勝ち続けなければこの世界では一瞬で忘れられる。たった一人オリンピックで活躍して有名になる選手を作るためにには多くの犠牲が必要なんだ。箱根駅伝ってのはそのためにあるんだ。悪魔の山だ。」

「悪魔の山とは?」

先輩が興味に深く質問する。

「そう、あれは悪魔の山なんだ。箱根を走るためには大学生活の全てを捧げなければならない。しかも、4年間苦しみに耐えた対価として(箱根走った)という称号がもらえるのみだ。その中から才能があるものを見つけて実業団にいってがっつり稼げばいい。ただな、走れなかった者達、ブレーキした者達は何も貰えないんだ、本当に何も残らない。だから、かれらの抜け殻。つまり怨念や恨みが積もってるんだ、あの山にはな。俺はそれに気がつかなかった。」

「どう言うことですか?」

「監督をやってから、定期的に(ウチの息子をポンコツにしやがって。)なんて選手の両親が殴り込んでくる事があった。でも、どうせ名前も覚えてないような2流選手だったので、そんな風に言われても相手にしたことがなかった。でも、監督やってから12年目ぐらいから、思うように結果が出せなくと共に苦情を言ってくる親御さんが増えてきた。ただ、俺はそれを時代が変わったせいにした。俺は悪くない最近の奴らは根性がないんだ。と言い聞かせた。でもな、実はその時には部内が腐敗し、賭博と暴力と窃盗が蔓延していたんだ。しかも俺はそれを全く知らなかった。だから、俺は悪くない悪くない、悪いのは全部選手が情けないの原因だと思ってな、今まで以上にガムシャラに練習させたんだ。そしたらな、、、。」

そこで、日野先生が言葉に詰まった。しばらく間が空く。
日野先生は息を整えてからこう続けた。

「そしたらな、、、、。娘が自殺未遂したんだ。幸い、命に別状はなかった。それで、病院のベットに横たわる娘に聞いたんだ、(なんでそんなバカなマネしたんだ。)ってな。そしたら、娘は俺の目をさげすむようににらんでこう言ったんだ。(お父さん、私は貴方が壊し続けた物の一つよ。)ってな。俺は雷に打たれた気がしたんだ。俺が壊し続けた物ってなんなんだってな。」

うーん。ドッスン