パンクロックと箱根駅伝 38話

先ほど勢い任せで砂浜に倒したおかげで自転車のギアからジャジャジャと砂を嚙む嫌な音がしてる。そして、今にもチェーンが外れそうなガタガタという怪しい挙動が足から伝わってきている。

チェーンが外れたらどうしようかと思ったが、時間が丁寧に運転する事を許さず、もうただひたすらにガチャ漕ぎするほか無かった。

そんな状況にあって、追い打ちを掛けるように急に激しい砂混じり風がビュービュー吹いてきて、口の中までジャリジャリしてくる。全力で立ち漕ぎしても全く前に進みやしない。いっそ自転車を捨てた方が早いんじゃ無いかと思うほどだ。でも俺は、絶対にスタート前までにはこの靴を届けなきゃならない。

下っ端のマネージャーが合宿の締めの練習をきっと俺は大島さんやナメクジに酷く怒られるだろう。それでも構いはしない。井上さんが海を越えて運んで来たこの靴をどうにかして届けななきゃならなきゃいけないんだよ。これは、さんざん砂を噛む思いをしてきた俺たちの希望の靴なのだ。

そうだ、今でこそアホみたいにこき使われる坊主頭の陸上部のマネージャーだが、俺の心に流れるのはパンクロッカーの血なのだ。俺は自分の人生に抗うために先輩と歌いつずけたんだ。だから、こんな不正を許しちゃならない。どんなに砂まみれで最悪な人生でも抗う事だけは忘れちゃいけないのだ。俺が、パンクロッカーであるためにそれだけは失っちゃいけないんだ。

体を必死に左右にクネらせながら必死でこいでると、呼吸がキツくなり、だんだん目の前が狭くなって、肺の中に鉄の味が充満して来た。

はぁはぁ。きっつい。でも。希望の靴を届けなきゃならない。希望?それって誰の希望なの?それは、えっと。白井さんの希望?いや、それだけじゃない、浜さんの希望だけでも、届くれ井上さんの希望でも、ましてや自分の希望でもない!

?、、、?

じゃあ、誰の希望なんだ?はぁ、はぁ。それは、、なんだ?あれ?何考えてるんだっけ?キツイ!わからない。俺は何を考えてるんだ?ああもう、こんな事考えてる場合じゃないもっと一生懸命漕がないと。

答えが一瞬浮かんだのだが、ゼエゼエ叫ぶような荒い呼吸の中に消えていった。

二等辺三角形の富津公園をちょうど面積で二分するように走る横断道路との交差点を過ぎてから、見通しの悪いカーブを曲がり終えると選手たちが、ウォームアップを終えランパン、ランシャツに着替えだしている姿が見えた。

よかった。間に合った。

俺は思わず、「はぁーーー、」っと息をつき、再び。ゼエゼエと息を切らして自転車のハンドルに持たれかかった。

その様子に気が付いた大島さんが

「おい。牧田、何してんだよ!!もう8分前だぞ。てめぇふざけんなよ!」

と、怒鳴るような大きな声を出しながら、般若みたいな顔してすっ飛んで来た。

『そうだよねぇ。そりゃおこるよね。一番大切な練習の前に、黙って下っ端のマネージャーがどっか行くんだもん。』

大島さんの激昂と裏腹に心は澄んでいて罵声も大して気にならなかった。

そこにナメクジもやってきて何やらギャーギャー言い始めたが疲れで頭が真っ白になってきて何も頭に入らなかったので、さっさと謝って白井さんに靴を渡したかったが、唾を何度か飲み込んでから 「す、すみません。」というので一苦労だった。

そこに白井さんが駆け寄ってきて、

「いやいや、靴忘れて牧田に宿まで取ってきてもらったんだよぉ。すまんすまん。」

と言って、靴が入った袋をひょいっと取って行った。

「牧田!そうなら一言ぐらい言えよ!」

不満そうな顔でナメクジがそう言って立ち去った。きっと怒りのスイッチが入った所に急ブレーキを掛けられたのがよっぽど気に食わなかったに違いなかった。

大島さんは相変わらず怖い顔しながら。

「どうでもいいけどはよ支度しろ!」

と言ったので俺も気持ちを切り替えて。

「すっ、すみません。すぐにタイム取りの準備します。」

そう告げると俺は汗だくで息が切れたまま、自転車の籠に給水ボトル2種類、ストップウォッチ、それから包帯と消毒液が入った救急袋を積載した。

白井さんを横目で見ると、まだ紐が通ってない新品の靴にベテランの畳職人のような素早さで紐を通していた。

その最中、誰かが『おい!白井さん靴を宿に忘れてたらしいぞ!やる気ねぇなら、Aチームでやるとか言うなよぁ。雰囲気ぶち壊しかよ!』と聞こえるような大きさで悪口を言った。

俺がそっちの方を見ると大嫌いな石原がニヤニヤして、寺本という小心者の舎弟にワザと話しているが見えた。俺は当初今回の犯人は石原ではないかと思っていたが、彼の口ぶりからしてみてどうも違うようだ。

むしろ、その発言を聞いてギョッとした顔をした寺本の方が犯人なのではないかと考えたが、靴が届いた以上もう誰が犯人かなんてどうでも良かった。

今は、白井さんがどんなタイムで走って、何番でゴールして箱根駅伝に希望をつなげられるかだけが大切なのだ。

靴を履き終えた白井さんが俺の所に小走りでやってきて小声でこう言った。

「どんな魔法使った知らんけど、最高だぜ!お礼は帰ったらたんまりやるからよ。」

「お礼なんていいです。頑張ってください。」

「任せろ、ここで負けたら男じゃねぇからな。」

そう言って、白井さんはスタート位置向けて走って行った。勝負に向かう彼の背中がいつもよりずっと大きく感じた。

うーん。ドッスン