パンクロックと箱根駅伝 21話

日野先生がビデオの再生ボタンを押すと、VHS独特のゆがみのあるノイズと供に25年前の箱根駅伝が画面に映し出され。
どこかの大学の選手が白い息を吐きながら雪化粧に染まった大平台のヘアピンカーブを下っていた。

「これは、6区のだから、早送りするぞ。」

一度画面が暗転して高速早送りが実行された。DVDになじんだ僕らにとっては、すごく新鮮な状況である。

「よし、ここらへんだろ。」

と、日野先生が再生ボタンを押すと、『ガッ、ウィーン』という音と供に早送りが停止され、再び箱根中継が映し出された。

「おっ、ちょうどいいぞ。」

場面は丁度、7区で、先頭が平塚中継所で襷渡しをする所ぐらいだった。

「そろそろ、親父の出番ですか?」

先輩が、画面をじっと見つめながら日野先生に質問した。
日野先生は頷いた。

「そうだ、お前の父親は拓法大学でな。この年は駒不足だが、かなり善戦していたんだ。よし、暫くしたらやってくるぞ。」

画面をジッとみていると、まるで先輩の生き写しのような人物がオレンジのランニングを来て中継所で襷がくるのを待ちかまえていた。
身長も顔つきも体型もそっくりなのだが、唯一はっきりした違いといえば、綺麗に刈り込まれた90年代風のツーブロックヘアだった。
そして、なんとなく人間としてのオーラが違うように思えた。先輩が狂った野良犬だとすれば、お父さんのほうは誠実な忠犬だろう。
テレビのアナウンスが声を荒くさせながら実況する。

「さあ、3位は拓法大学!!4年前に優勝してから、今一歩振るわなかった拓法ですが、今年は少数精鋭で大躍進!5区山登りの区間賞から一気に追い上げてきてきました!!さぁ、8区待ち受けるのは街田4年生!この街田、箱根はこれが最初で最後!実は彼は高校時代将来を期待されながらインター杯前に疲労骨折。それが原因で右膝の軟骨を殆ど摘出する事になりました。でも、彼は諦めませんでした。高校生活も大学4年間殆どリハビリばかりした。しかし、それでも諦めなかった彼は、夢の大舞台への切符を掴みました。さぁ、今襷が渡る!今、蘇った天才が再び走り出した!!!拓法大学トップとの差は2分45秒。」

俺は、思わず、ブルッっと震えが来た。いつも見てきた先輩の生き写しが画面の中で箱根駅伝を走っているからだ。

「良い選手だよ。動きが一つ一つ大きい。きっと怪我がなければ、日本を背負ったような選手だよ。」

日野先生が目を細める。俺と先輩は黙って頷く。
しばらく、見続けているとレースの全体の様子が分かってきた。本命の大和大学が往路で大ブレーキして大混戦。まず先頭にいるのが横浜学院大。1分差で高田大学。その後ろにいるのが拓法大学で約2分差、そしてその後ろ1分差で6チームの集団。その中に専央大学も入っていた。
先輩のお父さんは必死に前との差を詰めているように見えた。

「本来なら、もう少しゆっくり行きたいところだろうが、現在3位で、後ろには大集団、少しでも気を抜けばあっという間に順位が下がる。だからこういう時は飛ばして行くしかないんだな。」

先頭との差は殆ど変わらないが、集団とのリードは徐々に開いてきた。
実況がタイムの説明をする。

「さあ、ここで途中経過のタイムを見てみましょう。個人で一番タイムがいいのは、高田大学の大城。そして、2番目にいいのが拓法の街田です。」

俺は、思わずこう言った。

「すごいですね!!2番じゃないですか?」

日野先生は首を振る。

「そうじゃないんだ。オーバーペースなんだよ。」

しばらく、見続けているいると先頭は藤沢駅前を抜けて、遊行寺の坂に差しかかかる。

「遊行寺の坂は、あまり有名ではないがな、それでも15km走ってきた選手には壁のように見えるんだ。」

先頭の選手が遊行寺を登り切ろうとしたあたりで、アナウンサーが大きな声を上げた。

「おーっと!!ここで大変な事が起きました!!拓法大学の街田です。遊行寺に入ってきてから、膝をポンポンと叩くような仕草が合ったのですが、今の表情を見てますと、とても苦しい悶絶するような表情。そして今、後続の集団が抜かします。一気に順位を落として9位になりました。おそらく膝が痛いのでしょうか?ペースも一気に落ちてきました。」

その、悶絶するような表情に、俺も先輩も何もいえずただただ喰いいるように見続けるだけだった。
非常にもレースは続く。そして、先輩のお父さんは後続のランナーに抜かれ続け、あっという間に最下位になった。その足取りは殆ど引きずるようになっていた。

「街田、懸命の走り。しかし、もうこれはちょっと無理ではないか?あと、2kmを切ってはいるが、先程から右へ左へ蛇行してフラフラしている。もう、やめさせたほうがいいのではないでしょうか?おーっと、今、地面に倒れました。もう限界です。ですが、立ち上がりました。またフラフラと動き出します。あー、顔は激痛でゆがんでいる。これは、体はもう限界で、もう心だけで動いています。」

もはやいつ棄権してもおかしくはない状況で、あまりに酷い残酷ショーを見せられている気分だった。

「普通に考えたら棄権した方がいい。でもな、棄権させるのも勇気がいるんだよ。」

日野先生の言葉は重かった。
前を行く選手達は、次から次に戸塚中継所から9区へ向け走り出すが、先輩のお父さんはいつまでたってもたどりつかず、遂に拓法大学は繰り上げスタートになり白襷を付けて走り出していった。

「あー、っと!!今、無情の繰り上げスタートの号砲がなってしまったー!!拓法大学は創部以来これが繰り上げスタートは初めてです!!」

繰り上げスタートから1分たって、先輩のお父さんはフラフラになりながら中継所に現れた。

「さあ、いま、街田がやってきました。もう、殆ど、歩いている。いや、歩いているより遅いペースかもしれません。ですが、頑張って走っても、中継所には誰もいない、誰もいない中継所に、拓法大学の4年生。街田道朗。今、たどり着きます。あー、倒れ込みました。」

カメラは倒れた先輩のお父さんに向けられる。小さな声で『ごめん』と泣きながら謝る声が聞こえた。右膝は赤紫色に腫れていた。
日野先生がビデオを止める。

「どうだ街田。お前、今のこれ見て。父親の襷受け継げるのか?茨のみちやだぞ。」

日野先生が先輩に問いかける。先輩はすっと立ち上がり。

「絶対にやってやります。こんなん見せられたら、いてもたってもいられません。自分の命を懸けてでも、あの渡せなかった襷を受け取りたくなりました。」

「そうか!!牧田くんはどう思った?」

日野先生が俺をじっと見る。

「あの。ずっと今まで先輩と一緒にいて正直、バンドも辞めたくは無かったですが、でも先輩についてきて良かったと思います。先輩の夢を支えたいです。」

日野先生は、うん。と頷くと、タンスから小さなバッチを出して。自分に手渡した。それは真鍮性で日の丸がかかれていた。

「日野先生これは?」

「それは、モスクワオリンピック行く前にもらってた日本代表のバッチだよ。共産圏に持って行くとバッチが賄賂の代わりになるからって言われて結構な数をもらってたんだ。色んな人に渡してしまって、殆ど残りはないんだけど、牧田くんにあげるよ。」

俺は、すごくびっくりした。

「そんな価値のあるものを貰ってよろしいんですか?」

「俺は、君の勇気と優しさの方が価値があると思ったんだ。だから、あげる。大切にしてくれよ。」

俺は、ソファーから立ち上がり。

「ありがとうございます。絶対に力になってみせます。」

と。深々と頭を下げた。

その日は、そのまま解散して、先輩は朝練の準備をし、俺は入寮への準備をすることにした。
預金口座を見ると、たしかに50万入金されていた。
井上さんにお礼の電話すると。

「金なら心配するな。俺はお前のファンなの忘れないでくれ。」

と、気持ち悪い事を言われたが、とにかく感謝した。

うーん。ドッスン