パンクロックと箱根駅伝 30話

浜さんの壮絶な過去を前にして俺は何も言葉に出来なかった。確かに俺も先輩と出会う前は色々な理不尽なイジメに出くわしたが、浜さんの語る過去はそれとはまったく違う性質のものであると痛感した。なぜならば、俺は最初から父親の仕事が原因でゴミムシのように扱われたが、浜さんは膝を手術する前までエリートランナーだったからだ。

マネージャーの仕事を始めてから何度か古い陸上雑誌に目を通したが、

『期待の高1 浜 翔太 5000m 14分03秒のビックレコード樹立』

と大きく取り上げられているのを見た事がある。そう、浜さんは全国から注目された有望な選手だったのだ。

「浜さん、そんなひどい事されたのに、なんで陸上を辞めなかったんですか?」

浜さんは目を閉じてコーヒーを啜って、「ホッ」っと白い息を吐いてからこう続けた。

「文化祭があったんだ。」

「文化祭ですか?」

「ああ、文化祭があってな。駅伝大会前の合宿と被るから高校1年生と2年生のときは参加しなかった。それに対して同級生からは『ランニングバカ』だの『空気よめない陸上部』だの言われて顰蹙をかったが、俺にとってはどうでもいい事だった。くだらない文化祭に時間を使うよりは、よっぽど練習してるほうが有意義だと思ってた。俺は心のどこかで選ばれし天才だと思ってた。だから、高校時代の青春を全て陸上に捧げる事に対して何の疑問も抱かなかったし、それが美徳だと信じていた。」

浜さんはもう一度コーヒーを啜る。

「でもな、高校3年生の時には、『浜はメンバー外だ。合宿には参加させない。文化祭に参加しろ。』そう、コーチに冷たく言われた。とてもショックだった。その日は、家に帰ってずっと泣いていた。メンバーに入れなかった自分は価値のないゴミクズなんだ。そんな考えが頭を離れなかった。」

「そんな時代があったんですね。」

何かの勢いをつけるように浜さんは自分のホホを軽くぺチっとたたく。よく見ると浜さんの目は充血していた。

「文化祭の3日前から、俺は文化祭の準備に参加させてもらうことになったが、だが、何せバツがわるかった。準備は3週間前から周到に進められいて。しかもクラスの出し物がダンスだったんだよ。ガラの悪いストリートダンス部の同級生に『はぁ、お前なんなの?ずっと練習出てなくて今更文化祭にでるって、ダンス舐めてるの?』そんな風に俺は攻められた。しかも、肝心のダンスは下手糞だった。ミスするたびに、仲が悪かった野球部の奴らが鼻息を荒くして俺を攻め立てる。『おい、元エリート!走れなくなったお前なんて何も偉くないからな。』そんな事を言われたよ。くそ、俺はずっと陸上だけやっていればいい。その教えをずっと守って一生懸命やってきたのに、一回走れなくなってしまうと、俺には何の価値もなくなるのか。そう思うと言葉に出来ない悔しさがブワァとこみ上げてきたんだ。」

浜さんは、ふぅーと息を吐く。

「ただな。俺を庇ってくれた女の子が一人いた。バスケ部の宮崎さんだった。『ちょっと、みんな怪我がどんなに苦しいかわかってなさすぎだよ!浜くんも怪我で苦しいんだから皆で支えようよ!』そんな事を皆の前で言ってくれたんだ。うちの高校は陸上部と同じくらい女子バスケ部が強くてな。宮崎さんもバスケ部の特体生だった。彼女は、別に美人じゃないけど、ポニーテールがよく似合う色黒で少し体がっしりした笑顔が素敵で明るい良い子だった。しかし、彼女も俺と同じく故障に苦しんでて。2年生のウィンターカップで右ひざ十時断裂をして、それが原因でまともに走れなくなり、途中で退部したそうだ。その退部も。怪我で弱くなった瞬間に部から嫌がらせやイジメを受けて嫌になって辞めたって言ってたよ。だから、俺の気持ちをよくわかってくれてな。夜遅くまでダンスの練習にに付き合ってくれて本当に助かった。宮崎さんのお陰で俺は文化祭も無事終えられたんだ。俺と宮崎さんは怪我で苦しんだもの同士、硬い友情が芽生えた。」

「いい話ですね。」

「そうだな、いい話だよな。俺は、それから駅伝メンバーから外れるにつれて学校の同級生達と関わるようになって言った。大げさじゃなく、宮崎さんの存在は大きくて、スポーツなんかやってない同級生とネット動画みて馬鹿笑いするありきたりの青春も悪くないな。って思えるようになった。『ああ、もういいや。自分が補欠にも入れないであろう全国高校駅伝大会が終わって引退したら、もう陸上に関わるのは辞めよう。もう、あんなに苦しくて意味のない事は辞めよう。』そう決意したんだ。そう思った矢先の事だ、宮崎さんが急に学校を休みがちになったんだ。誰も理由は知らなくて、宮崎さんがどうしたのか俺は気になってしょうがなかった。多分、俺は彼女のことが好きだったんだ。しばらくして、12月の中ごろ、久しぶり登校してきた宮崎さんに俺は呼び出されたんだ。彼女は俺になんて言ったと思う?」

俺は、頭を捻ったが今一しっくり来る答えが思いつかなかった。

「わかりません?告白とかですか?」

浜さんは両手を頭の後ろで組んで天井を見上げながら。

「そうだったら、どんなによかったか。」

と、呟いた。そこから、5秒ほど天井を見上げた後にこう続けた。

「宮崎さんは俺にこう言ったんだ。『浜くん、私、妊娠したの』」

俺は、まさかの展開に驚愕し「ウッソ。」と声を出してしまった。

「俺は何が起きたかサッパリわからず気が動転した。勿論相手は俺ではないし、当然の如く狂いたくなるほどショックだった。俺は猛烈に混乱する頭で何を言うべきか必死で考えてこう聞いた。『あの、何を言っていいか全然わからないんだけど。なんで、俺にそれを伝えたの?』宮崎さんはゆっくりこう言ったんだ。『あのね。私、高校時代。怪我してから何のために生きてる分からなくてね、何回も死のうと思ったの。だけど、死ねなかった。浜くんなら私の気持ち分かるでしょ?だけどね。今お腹の中に赤ちゃんがいるの。もしもね。この子が生まれたら、私はポンコツなバスケット選手じゃなくてね。お母さんとして生まれ変われる気がするの。ずっと、ずっとね、私は普通の女の子より何倍も苦しいことしてきてね。でも、それが全部意味なかったの。だから、私は生まれ変わるの。浜くんならその気持ち分かるでしょ?』宮崎さんは潤んだ目で俺をじっと見てきた。きっと、彼女は俺に肯定されたかったのだろう。」

浜さんはそこで下を向いて顔を覆う。俺は何といって言いかわからず沈黙した。しばらくした後に浜さんが続ける。

「そこでな、電流が走ったんだよ。」

「電流ですか?」

「そう、自分が自分でなくなるような衝撃を受けて俺は気がついたら宮崎さんの肩をしっかりつかんで、こう叫んだんだ。『意味のない努力なんてないんだ!違う!それは違うんだ!絶対に頑張った事には意味があるんだよ!お母さんになるは否定はしない!ただ、努力した事を否定しちゃダメなんだよ!君は頑張って努力したお母さんになるべきなんだ。君は永遠に続いて、、、そう永遠なんだ。』我ながら支離滅裂だったと思う。宮崎さんは呆気に採られた顔をしていた。『だけどさ、浜くんだって。報われない努力してきてさ、そこから生まれ変わろうとしてるじゃない。私と何処が違うの?』俺は、そこで言ってしまったんだ。」

「何をですか?」

「俺は宮崎さんに、こう言った。『意味のない努力なんてない!いいかい、走った距離は人を裏切らないんだ!いつだって裏切るのは自分自身のほうなんだ。俺はそれを証明してみせる。』彼女は『どうやって証明してくれるの?』と言った。だから大声でこう叫んだんだ!『俺が箱根駅伝を走ってそれを証明してみせる!!』ってな。そしたら、宮崎さんは泣いてしまった。『なんで浜くんまでそういうの?君は卑怯だよ。」それ以来、話すことは無かった。」

浜さんの目から、少し涙が出てきて、彼はそれを拭った。

「だから、俺は大城監督の心があるチームで頑張りたいと思って、何とか入れてもらったんだ。だけど、現実は厳しくて、この脚じゃあ、とても箱根は走れそうもない。だけどな、俺は自分が誰かを支える事が大事なんじゃないかと思うんだ。もしも、自分の気持ちが通じた選手が走ってくれれば、どこかで自分も走ったことになるんじゃないか。卑怯かも知れないけど、そんな事を強く思うんだ。だから俺は伊達監督に反抗したし、反伊達勢力も作ってしまった。バカかもしれない。きっと不器用だ。だけどな。俺の中で宮崎さんに言ってしまった言葉がいつまでも消えないんだ。彼女は高校中退してシングルマザーになって、場末のスナックで働いていて俺のことなんてすっかり忘れたかもしれない。でも俺は、ずっと忘れないんだ。なんだろ、あれは自分に言ったんだ。宮崎さんの為でも、ほかの誰でもなく、自分自身の為だったんだ。走った距離は人を裏切らない。ただそれだけを言い聞かせてる。」

俺は、震えた。浜さんという人間の大きさに感服したからだ。俺は浜さんの手をギュッと握った。

「浜さん。私はあなたにどこまでもついて行きます。」

浜さんは優しく笑って。

「一緒に地獄を駆け抜けよう。」

と、言った。




うーん。ドッスン