パンクロックと箱根駅伝 3話

「牧田のオヤジは、多無土が汚れた街だとウソをいっている!多無土を脅かすゴキブリだ!消えろ!死ね!死ね!死ね!」

と黒板に、なぐり書きでデカデカと書かれていた。意味が分からずしばらく立ち尽くした。

同級生の一人に「これなに?」と話しかけてもまるで何もそこにはいないかのように徹底的に無視をされた。ほかの同級生に聞いても結果は同じだった。

しばらくたって、担任がいつも通りにせむし男のように体をゆらゆらさせながら教壇の前に立った。そこには明らかに落書きが書いてあるのだが、それには決して触れる事は無かった。

そして、ホームルームが終わると何もなかったのように黒板係が落書きを消しだした。

担任は「授業までに綺麗にしなさい。」とだけ言ってそそくさと教室を出ていった。

俺は唐突に受けた理不尽すぎる仕打ちを全く理解する事ができなかったし、担任がそれに対して見向きもしないことが余計にショックだった。

一日の授業が終わり傷心のまま帰りの支度をしていると、ボンタンズボンの5人組が机の周りを囲んだ。背が高くピアスの穴が開いているのがサッカー部の飯田、背が低く不細工で口だけ達者なのが隣のクラスの関口、あとの3人は違うクラスで誰か分からなかったが、共通しているのは殆ど眉毛がない事だった。

「牧田くーん、ちょっと隣の校舎に連れションいこうか。」

と、関口が腰を屈め俺に顔を近づけ嘲笑するような口調で言った。息がタバコ臭かった。

「い、いや、ごめん帰るんだ。」

どう考えても悪い予感しかしないので、鞄を持ってさっさと帰ろうと思ったが。

「あれ?靴あるの?飯田君がもってるよ。」

飯田の方を見ると俺の靴を持っていた。

しまった帰れないではないか。

クラスメイトは誰も彼も、そそくさと教室を出て行き俺の事を助けてくれる気配は無かった。

「わかった。いこうか。」

観念して、席を立つと、隣の校舎へ向けて彼らと一緒に歩きだした。隣の校舎とは普段授業を受けている校舎の裏手に立っている古くからある鉄筋の建物の事で、第2音楽室や第2図書室など、ただ建っているだけでは問題があるので仕方なしに利用している、人気のない校舎だった。

移動中に逃げ出す事も考えたが、飯田が俺の肩に腕をガッツリ回して逃げられないようにされていた。

「じゃあー。トイレ入ろっかー。あっ、これイジメじゃないよ、連れションね、あくまで連れションね。びびんなくていいよー。」と関口が言うと誰も使わない第2図書室からさらに奥にいった倉庫の中に作られた、その奥の小部屋、大昔に用務員が使っていた、トイレに連れこまれた。

大便器が1つ、小便器が1つ、モップの無いモップ掛けしかない蜘蛛の巣誰けの汚いトイレだった。窓ガラスは上に小さく2個ついてるだけで、外からは完全に死角になっていた。どんなに楽観視しようとも、本当に誰の目にも付かない所だと言うのは、十分すぎるほど理解できた。

便所に入るなり、肩を組んでいた飯田が、するっと腕の力を緩めたと思うと、トイレの壁側モップ掛けの横に俺をガツンと叩きつけた。

背中に激痛が走った。

「ごっほ、ごっほぉ。」

蒸せ返り呼吸ができない。

「ひゅーー。はぁはぁ。」

なんとか空気を肺に入れ、冷静に自分の置かれた状況を確認すると、怒りに満ちた10個の瞳に囲まれていた。

そのまま、しばらく無言で睨みつけた。

飯田が口を開いた。

「なんで、こうなったかわかるよね。」

彼は怒りで全身が震えていて、当たり前のように俺に言ってきたが理解ができなかった。

「ごっほ、わ、わかんないです。」

咳き込みながらしどろもどろに答えると。

飯田にワイシャツが切れそうなほど強く胸ぐらを掴まれた。

「はぁ!?ふざけんじゃねえぞ!ゴキブリ!!」

5人から一斉に怒鳴りつけられた。

「なあ、聞いたぞ!お前のオヤジ。田無土の公害調べにきたんやろ!あの裏の山の何とかセンターでな!あそこできてからなぁ。俺ら本当に苦しんだぞ!あれのおかげで、おじさんの工場潰れてなぁ。しちゃかちゃになってなあ。俺んち車売ったんだ!この疫病神!」

「てか、あそことか、結局うそじゃん!小学校の時の先生が全部金もらってデータ操作してるっていったの聞いたぞ!ふざけやげって俺たちの生活奪って!自分だけ良いもん食ってんだろ汚ねぇ東京野郎!」

「つうか、おまえキモいよマジで。存在が破滅的!死んでくれない?」

「つうか!なんで、お前、あのマンションすんでの?キモい!ただのゴキブリ野郎なんだけど。」

「お前らがこの街を汚染してる。」

憎悪を剥き出しにした5人組から理不尽な罵詈雑言を延々浴びせられ全く意味が分からなかった。とても悲しかったしい気分になったが混乱がそれを上書きした。

その後、ありとあらゆる嫌がらせを受けた。その日だけじゃない、誰も助けてくれない。なのに毎日続く。地獄だった、未だに口にする事でさえ辛い。

その時は、何故そうなったのか理解できなかったが、これには根深い問題があった。

2004年に田無土のレアアースは人体に有害な物質を微量に含んでいる可能性が高いと某大学研究グループが発見した。まだ正確に立証はできないが、田無土市は長年に渡りレアアースを大量に採掘したために人体や自然に少なからず影でているのではないかと発表し、論争が巻き起こっていた。

当然の如く、街には公害の立証を防ぎたい人々が少なからずいた。それに伴いR財閥を中心とし、2006年に街ぐるみによるデータ改竄により隠蔽工作をした疑惑が持ち上げられた。

それに関連して、父は新たに立ち上げられた土壌汚染計測センターに出向したのである。父の仕事は公害が問題が実在するか立証する事だった。その有害性立証され、その測定結果に基づき、レアアースの採掘が人体への影響がどの程度認められるかにより、大きく損をする者、大きく得をする者が複雑に絡み合っていた。

そのような公害騒動に踊らされるうちに、いつしか街が陰鬱な雰囲気に包まれてしまっていたのだった。

さらに、過去を遡れば鉱山経営時代に噂だけで闇に葬られたれた幻の公害病「昭和19年ダムド病」「昭和22年ダムド病」の遺恨もあったそうだ。追い打ちをかけるように、バブル期のレアアースの採掘にあたっての土地利権の売買で成金と債務者を大量に生み出し、自殺者も月に何人もでるような血なまぐさい過去もあったのだ。

そんな中、土壌汚染の計測に関わっている父は、まさに渦中の人物と言って良い。

その息子である私などは、疫病神のレッテルを張られ街の鬱憤のガス抜きの為に生け贄にならざるを得なかった。言うなれば現代の魔女狩りである。

彼らにとってはイジメではなく正義だった。

そんな街の歴史を象徴するように街には2つのギャングが存在した。一つはR財閥に関係した地区の出身の上下黒いジャージに金の刺繍を入れた「ブラックジャム」であり。

もう一方は農村の地区や林業の地区。それからR財閥に裏切られた関連企業の関係者の息子が集まった「ホワイトカウンシル」だった、彼らは服装は自由だが全員白いビックスクーターに乗っていた。

双方とも、頭の良くない連中だったが政治的なポリシーだけはしっかり確率されていた。「ブラックジャム」は公害が認められると大損をする。「ホワイトカウンシル」は公害が認められると大儲けする。損するか得するか。それだけの事が彼らを自分自身が正義であると信じて疑わせなかった。

俺を毎日しつこくいじめ抜く彼らは当然の如く、公害が認定されると大損する連中の息子で、ブラックジャムのメンバーだった。

しかし、学校全体、いや、街全体には彼らだけではなく、俺と父親の事を恨んでいる人間は山ほどいたと思う。

よく考えてみれば、校舎が妙に綺麗だったのも、学区には公害否定派が多かったからかもしれなかった。対照的に公害を訴える地区の中学時代は悲しいほどボロボロだった。

しかし、当時の自分からしてみればそのような遺恨などは、どうだってよく、とにかく毎日辛く早く東京に帰りたかったのである。

平和な東京から、こんな地の果てに住まわせた父親を恨みたい気持ちも芽生えていたが、父親は傷心な上に疲れて果てているのがありありと見て取れて「学校ではうまくやってる。」としか言えなかった。

うーん。ドッスン